第5話 創世神イリア


 その言葉は絶望しか無かった。

 異形いぎょうに通じる唯一の剣、セラフクライムは現界出来ない。

 ルウは完全に思考を止めた。打つことも出来ないのに何故命を削り【神槌】を振るうのか。

 言葉を失ったルウの代わりに神官がさらに追撃をかける。


「例え未完成であろとも、セラフクライムはアルカディアに生きる者に全ての【希望】なのです」

「未完成って……でも、でもカミサマの剣に手を出したらすごい代償があるんでしょ?」


 以前グランが英雄の為にセラフクライムを打った時は〈創世神〉イリアの勅命でもあった。

 それが今回は違う。〈創世神〉に頼まれた訳でも、剣を振るう英雄が居る訳でもない。

 アルカディアに住まう彼らが、天から突然舞い降りた厄災を祓うべく、神の領域に手を出そうとしているのだ。

 ある意味神への叛逆。その代償は図り知れない。神官もルウの疑問へ言葉を探した。


「……グラン様は手の感覚を失っておられます。ですからルウさんに──」

「た、大変だぁ!」


 先程、グランと共に鍛冶場へ向かった筈の弟子ネモンがドタバタと慌ただしい足音で2人の前に転がってきた。


「た、大変なんだ! グ、グラン様を早く止めてくれぇ!」


 彼の背後から目が眩むほどの白く眩い光が放たれた。

 全く不快さは無い。何処か温かみさえ感じられるその光に、ルウは吸い寄せられるように足を向けた。


「ふんふんふ〜ん」


 グランが数多の剣を生み出してきた魂の場所とも言える台座で鼻歌を唄い踊っていたのは小さな少女であった。

 見慣れない紋章の入った白い布地を羽織り、すらりと伸びた細い手足。

 それよりも皆の目を惹き付けたのは大きな碧眼。アルカディアに生きる者としてはかなり珍しい。

 彼女はルウ達が来た事に気づいていないのか、聞き慣れない発音で歌い踊り、腰までさらりと伸びた灰色の髪を靡かせていた。


 見た目は人間族ヒューマン

 しかし、どこか違和感を感じる。現に同じ人間である神官も押し黙ったままだ。

 彼女が何者であるか問う前に、少女は台座から降りた。ニコニコと笑みを浮かべたまま、小さなピンク色の唇が動く。


「久しぶり! ルウ」

「え? アタシ?」


 このようなまでの珍しい出立ちの少女を忘れる筈がない。混乱したまま記憶を探っても彼女の姿はルウの記憶の何処にも無かった。


「あはは、混乱させてゴメンね。私は貴女が産まれた時に会っただけだもん、そりゃあ知らないよね」


 再会を喜び、無邪気に笑う少女。

 産まれた時に会ったというとんでもない言葉に、ルウの思考回路は全く追いつかない。それ所か益々混乱していた。

 少女の見た目とルウの年齢はどう計算しても吊り合わないのだ。


 収集のつかない場を納めたのは、意外な事にグランであった。


「それじゃあ全く威厳がねェぞ」

「だって〜、こっちに来るの久しぶりだし仕方ないじゃない。グランも全然変わらないね!」

「まぁ確かに、おしとやかなイリア様にいきなり出て来られても俺がビビって腕だけじゃなく全身朽ちちまうな」

「むぅ。そんな事言うのひどーい! グランが私を此処に呼んだんでしょ?」

「ちょ、ちょちょちょちょい!!」


 外見明らかにルウよりも若いはずの少女と、1000年生きている父親との昔から勝手知ったる仲のような会話にルウの頭はさらに混乱した。

 思わず大きく手を振り回し、2人の楽しそうな会話の間に割って入った。

 そして、イリアと呼ばれた少女の全身をもう一度上から下までじっくりと観察する。


 先程、彼女はルウが産まれた時に会ったと言った。ルウが産まれたのは200年以上前の話だ。それを──?


「いや〜ん。そんなに見つめないでよ、ルウのえっち」


 軽く頬を赤らめるイリアの様子にルウは慌てて訂正した。変な意図は全く無い。


「ち、違う! そ、そうじゃなくて、イリア様って、アルカディアの〈創世神〉で、リーシュ様とセラフクライムを生み出したあのイリア様?!」

「そうだよ?」


 イリアのあまりにもカラッとした返答に、ルウの混乱は収まる所か更に悪化する。


 憧れて憧れて、数え切れない程大好きで読み続けていた英雄リーシュの絵本。

 生きる者全ての敵である異形いぎょうを唯一破壊する剣セラフクライムを生み出し、彼の最期まで寄り添ったと言い伝えられているアルカディアの〈創世神〉イリア。

 言い伝え通りであれば、イリアは人間年齢に置き換えると20代前半ほど。

 外見の派手艶やかはないが、暖かい笑顔と全てを癒し包み込むような優しさに、争いに疲れた者や老若男女問わず、英雄までもが密かに慕っていたという話だ。

 しかし、目の前にいる少女は小人族ドワーフのルウとさほど変わらない身長。

 暖かい笑顔と言うよりは無邪気。話し方も〈創世神〉のイメージとは何処と無くかけ離れているような感じがした。

 ルウが憧れてやまない『イリア様』と同一とは思えない。──いや、そう思いたくないというのが本音だ。

 押し黙ったルウの微妙な表情を悟ったイリアはカラカラ笑うのを止め、口元に指を当てた。


「もしかして、ルウの夢を砕いちゃった感じ? でも私は【全部違う私】だから」

「全部違うって……?」

「えーっとね説明しても凄く紛らわしいから、ルウの知ってるイリアとは別と思って、ね?」

「はあぁぁぁ……」


 そう言われても……。

 なかなか頭の整理が出来ないルウはグランよりさらに大きなため息をつく。

 ショックから立ち直れないルウをそのままに、イリアは両手をパンと合わせ、本来の目的へ戻った。


「んじゃ、時間もないし……始めようか?」

「始めるって、何を?」


 ルウの問いに返答する事無く、イリアは瞳を閉じると両手を天井へと向けた。

 聞きなれない発声で何かを呟き、天井に素早く印を結ぶ。

 白い指で紡がれた五芒星が淡白い光から5色に次々と変化し、その光は何かの意思を持ったようにイリアの全身へ纏わりついた。

 その儀式めいたものに、洞窟内の空気が一気に引き締まる。

 5色の光を帯び、ゆっくりと瞳を開いたイリアは碧眼から赤へと瞳の色を変えていた。

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