第3話 異形再び


「これは──血?」


 ルウは思わず顔をしかめた。穴倉の入口まで流れてくる程の血。何か争いが起きている事は間違いない。

 生活の基盤はほぼ洞窟内の自給自足で完結してしまう小人族ドワーフが他者の血を見たのは何百年ぶりだろうか。


 この──鉄臭い真っ赤な血。独特の匂いをもつこれは間違いなく人間族ヒューマンだ。

 多種族と手を取り合う事は少なく、同種族ですら権力争いに固執する彼らはこの近くで『また』戦を繰り広げているのだろうか?

 とは言え、こんな土臭い洞窟を襲ったところで人間側に何か利があるとは思えない。

 ならば利益ではなく、グランの持つ小人族ドワーフ唯一の【神技術】を狙った襲撃だろうか──?


 あれこれ考えてみるものの全く結論は出ない。ルウはプルプルと長い髪を左右に振り、自分の頬を叩き鼓舞した。


「怖いけど、行かなきゃ……!」


 何が起きているのかは分からないが、自分の目で確認しないと気が済まない。ルウは愛用のハンマーを両手で握り直した。




 ────────




「た、助け……」


 雨の所為でルウの足はさらに遅くなっていた。鉄の匂いを頼りに漸くたどり着いた所に、地面を這う人間族ヒューマンと、白い光を帯びた獣が視界に入った。

 相手が何者か分からないので、ルウは茂みの横から2つの気配を追った。


『────』


 機械のような【音】を放ったその獣は目らしきものはない。身体全体が何か白い棘のような毛で覆われているので獣と感じたが、生き物としての気は全く感じられない。

 しかも、その物体が人間族ヒューマンに近づこうと地面をずるりと動いた瞬間、その獣からはヌルヌルした黒い液体が染み出てきた。

 頭部らしき場所には黒いアザが無数に浮かんでおり、時折血管のように表面に浮き出ては消えるを繰り返し、脈打っていた。

 ──あれが目なのか、口なのか、そもそも生物なのかすら不明だ。

 白い毛で覆われた体躯から吹き出る相反する黒い液体が更に不気味さを増す。


「くそっ……くそぉっ……!」


 人間族ヒューマンは片足を失っていた。右足だけで体勢を整えつつ、謎の生物に対して手持ちの短剣を投げつけていた。

 しかし獣はそれを避ける素振りさえ見せず、少しずつ彼に近づいていく。


(助けなきゃ……!)


 怖い……怖い……怖い……!

 見た事の無い不気味な生物を観察している暇など無い。

 自分はここで死ぬかも知れないという恐怖と、目の前で傷ついている人間が殺されてしまう光景、どちらもルウには耐え難いものであった。


(とにかく、一撃だけでも入れば)


 ルウの持つ木槌が未だかつて戦闘に使った試しはない。

 そもそも、マトモに振るう事すら難しい為、この様な土壇場で力を発揮するとは思えなかった。

 それでも、逃げても何も解決しない。

 洞窟の近くまで血が流れていたのだ。この生物が小人族ドワーフの所まで来るのは時間の問題である。


「こらあぁっっ!! 化け物ぉー! お前なんて、どっか行っちゃえー!!」


 こういうのは気合いが大事。

 気合いと根性で解決出来ると思っているルウはありったけの大声を出し、木槌をしっかり両手で握りしめ、茂みから飛び出した。

 突然飛び出してきた小人族ドワーフに驚いたのは人間族ヒューマンの方ではなく、謎の生物の方であった。


 獣は白い頭部分を2メートルくらい伸ばし、ルウへ攻撃をして来る──ように見えたが、それは灰色の羽へと変化した。

 1枚だけではない。頭部分から同様に6枚の羽を瞬時に出すと、その生物は大きく羽を広げた。


「うぐぐぐぐぅ〜」


 思いがけない突風に身体が飛ばされそうになる。しかし、傷ついた人間族ヒューマンが何か魔法をかけてくれていたようで、ルウも彼も飛ばされずにその場所に留まる事ができていた。


『──────』


 獣は再び機械らしい【音】を放った。

 耳をつんざくような嫌な音に、ルウは思わず両耳を塞ぎぺたりと地面に座る。

 その瞬間、獣は空間の中に消えた。羽を出して飛んだと思いきや、何もない空間に吸い寄せられるように“消えた”のだ。


「なに、今の……」


 今しがた獣が消えた場所にルウは立ってみたが、何も無かった。

 獣が垂らした黒い液体と魔力の残滓ざんしは残されていたものの、魔力や法力等難しい事には一切疎いルウにその違いは分からない。


「う、うぅ……」

「あんちゃん、大丈夫じゃないよね……ど、どうしよう」


 彼は左足を失っている。今も見るに堪えない血が流れており、出血量が多すぎてルウにどうする事も出来ない。


「君は──グラン様の関係者だろうか……済まない、もう私には目が見えない。どうかこれをグラン様へ」


 彼が身に付けている赤の鎧と紋章に見覚えがある。絵本に書いてあったそれは人間族ヒューマンの中でも中枢となっているメタトロン帝国のものだった。

 兵士は先程の獣に傷つけられた甲冑の破片をルウの手に握らせると力なく微笑み、そのまま瞳を閉じた。

 ルウの手の平の中で甲冑の破片は先程の獣と同じく白い光を放っている。


「あんちゃ──」


 息絶えた兵士にもう一度声をかけただけなのに、その身体は突然黒い液体に包み込まれ、地面と同化した。


「ひぇっ……!?」


 何が起きたか全く理解出来なかったルウは思わず後ずさりする。

 地面と同化した死骸は一瞬だけ人の形を保ったものの、すぐさま白い棘を全身から生み出し、先程の獣と同じ形へと変わった。

 違いは機械の【音】や羽を放つ事が無かっただけで、再びそれは空間へと消えた。


「そんな……みんな、化け物になっちゃうの……?」


 あれは間違いなく【異形】いぎょうだ。

 攻撃対象及び目的すら不明、そもそも生物であるのかすら解明されていない。

 攻撃を受けて増殖する化け物がアルカディア中に広がったら全ての生物が壊滅するだろう。


「……オヤジに、これを渡さないと」


 考えても何も浮かばない。今のルウに出来ることは、兵士が命を掛けて伝えようとした断片を渡すことしかなかった。

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