女と男とスクープと
深夜。
週刊誌の記者が乗る車の前を、痩せた長身の男が通り過ぎた。
帽子を深めに被っていたが、その整った顎先から、ターゲットの俳優にまちがいなかった。
記者がカメラのシャッターを切る中、男はタワーマンションの中へ消えて行った。
「これから、深夜の演技指導なんですかね?」
大あくびをしたあと、ドライバーがつぶやいた。
男が合鍵を使い、ドアを開けると、リビングのほうから、キャッチーなメロディーがかすかに聞こえてきた。
リビングに入ると、長いソファーの上で、若い女が体操坐りをしている。
その視線は、大型テレビに映る女性アイドルたちにくぎ付けであった。
「みんなかわいい。食べちゃいたい」
すっぴんの口もとから、よだれがたれている。
古びたジャージ姿の女に、男は軽蔑の目を向けながら、上着をソファーの背もたれにかけた。
「おい」と男がソファを後ろから蹴ると、夢の世界から急に呼び戻された女が、殺意のある目を向けた。
世の多くの女性を惑わせ、「食べられたい」と言わしめている人気俳優であったが、それを睨んでいる女に、その魅力は伝わっていないようであった。
「夜だぞ。ヘッドフォンで聞けよ」
「うるさいわね。ここは私の部屋よ」
「金を出しているのは事務所だろう。偉そうに」
「今日も機嫌が悪いわね。主演映画の試写会があったんでしょう?」
「そうだ。そこで、女どもにべたべた触られて、気持ちが悪い。シャワーを浴びてくるから、その間に、テーブルの上を片付けておけよ」
女は、食べ物飲み物であふれかえっているロー・テーブルから、飲みかけの発泡酒をつかむと、バス・ルームへ向かう男へ投げつけた。
「私だって、三流プロデューサーに、ケツ触られて、いらいらしてるんだから、邪魔すんなよ」
女は、もともと、コアなファンをもつアイドル・グループの二番手だった。
いまはグループを卒業して、女優業を邁進している。
若手ながら、個性派俳優として、業界の評判はすこぶるいい。
対して男のほうも、モデルから俳優に転身し、実力派中堅俳優として注目されていた。
バラエティー番組で見せる意外な一面のため、男性からの人気もそこそこある。
二人とも、翌年に大きな仕事が控えており、世間の注目をより集めたいと考えた両事務所は、火のないところに煙を立てることにした。
仕事以外では家に引きこもることの多いふたりを恋人に仕立て上げ、スキャンダルを自作した。
ときおり、お互いの家を行き来するだけなので、お金になるならと、当事者二人も反対しなかった。
じっと、画面に映る同性アイドルを視姦している人気女優の右隣に、上半身はだかのこれまた人気俳優が坐り、ソファーの上で、髪を拭いている。
女は、ムダな脂肪のない男の裸を、冷めた目付きで見た。
「何回も聞いて悪いんだけど、襲わないよね?」
「だれが、きみのような小娘に欲情するか。相手をするなら、君のマネージャーのほうがいい。連絡先を教えろ」
バスタオルで顔が隠れている男にではなく、女はテレビに向かって、「四十過ぎた小太りおじさんのどこがいいのよ」とつぶやいた。
「最高じゃないか。わかっていないな」と反論をしながら、男はタバコに火をつけた。
女がねだったので、男は自分の吸っていたタバコを渡し、新しいタバコを口にくわえた。
「カミングアウトはするの?」
「今度、大きな賞を取ったら、その授賞式で公表するつもりだ。数年後かな。もっと金を貯めておかないと。なにが起きるかわからないからな」
「また、私の整形疑惑が出てる」
分厚い洋書を読んでいる男のとなりで、写真週刊誌を読んでいた女がつぶやいた。
女の口の端からは、あたりめが飛び出していた。
「素顔を見ても、よくわからないけれど、本当なのか?」
男が電子辞書を操作しながら尋ねた。
お気に入りの緑の缶ビールを開けながら、女が答える。
「本当よ。中学生の時、付き合っていた大学生に顔を何度も殴られてね。私が浮気したせいなんだけど。親に言いたくなかったから、知り合いのヤバい人に泣きついたら、今の顔になって、いつの間にか、舞台の上に立っていたわけ」
「その大学生はいまどこに?」
「さあ、天国にはいないと思うけど」
「それぞれの地獄を、皆、生きているんだな」
男は本を閉じ、立ち上がると、大きく背伸びをした。
その服の袖を、女が引っ張った。
「ねえ、あんた、バイなんでしょ。相手をしてよ。何だか最近、ムラムラするの」
「品のない女だな。まあ、別にいいけど。男が怖いわけじゃないんだな」
男が女を見下ろした。
「殴らない男は好きよ」
「殴るクズは男じゃない」
「わあ、名言が出た。さすが、俳優」
茶化す女の言葉を無視して、男は寝室へ向かったが、途中で足を止めた。
「ところで、この部屋、ゴムはあるのか?」
「ないよ。いいじゃん。生で」
あっけらかんと言う女に、男は「絶対にいやだ」と言い放ち、上着を手に取って、玄関へ向かった。
女が男についてきて、お使いを頼んだ。
「ゴムのついでに、今月号の現代麻雀を買って来てよ。出ているはずだから」
「断る」
舌打ちをしながら、リビングに戻ろうとする女の背中へ男が声をかけた。
「ちょうどいい。下で記者さんが、寒い中でがんばっているから、きみも来いよ。これも仕事だ」
「げえ。凍死させろよ」と、女は舌を出して嫌がるそぶりを見せたが、「ちょっと待ってて」と服を着替えはじめた。
十分後、ふたりが手を繋いで、マンションから降りて来た。
深夜四時のことであった。
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