第十六話 六諸侯の美・マリア(2)

「私の試練は、ごく簡単なものでございます。これから私が投げかける質問に答えていただくだけで結構です。ただし、回答の機会は一日につき一度まで。その回答に私が納得できなければ、また明日お越しいただくことになるでしょう」


 俺の隣で、シルクがゴクリと生唾を飲む。


「──では、問います。貴方にとっての『美』とは、どのようなものでしょう?」


 勇者クレセントは、しばしの黙考の後、答えた。


「絢爛さ」


(なんだと!?)


 俺はぎょっとして勇者の横顔を見やった。


 クレセントは、実に堂々たる表情で、マリアの反応を待っていた。いかにも自信満々という風情である。


 だが、対するマリアの表情は暗かった。


「……左様ですか……。どうやら、私と貴方は、美に対する価値観が異なるようです。私が認めるのは、同じ美を志す者のみ。例え狭量とそしられようとも、その基準を動かすわけにはまいりません。残念ですが、本日はお引き取り願えますか」


 おいおいおい。打ち合わせと違うだろ!


 クレセントはしばしの間無表情のまま、ぼさっと突っ立っていたが、やがて俺に向き直り、いかにも「やっちゃったぜ!」という風に片目をつぶって舌を出してみせた。


 定型アクション『舌出し』。通称『テヘペロ』だ。


 いや、テヘペロ、じゃねーだろ!


 ワザとやってんのか、こいつ……?


 彼女に向かって今にも食ってかかろうとするシルクをどうにかなだめつつ(──というか、俺だってそうしたいのはやまやまだったが、侯爵の面前で見苦しい罵り合いなんぞ演じたくはなかった)俺は善後策を考えていた。


 勇者に再びこの試練を受けさせるには、一昼夜の間を置かねばならない。


 正直、一週間しかない猶予を、こんなしょうもないミスで浪費したくはない。


 となれば、残された道は一つだった。


 俺はマリアに向き直り、腰を折って頭を垂れた。


「マリア卿。私、近衛兵にして知識の試練の勝者・ジェイドでございます。先日の円卓の間では、失礼つかまつりました」

「ああ、ジェイド様……! ルタ様から話は伺っています。先日の一件が気になったものでしてね。貴方は、彼女と文通をされているとか」

「さすが、お耳が早い。おっしゃるとおりでございます」

「彼女の友の願いとあらば、聞き届けねばなりませんね。それに、貴方もまた、とても美しいお方……。よろしいでしょう。試練への挑戦を許しましょう」


 マリアのうっとりとした視線が、俺の視線とかち合って絡みつく。


 それはもう、明らかに、色目だった。


 相手が同性か異性かで、このマリアは若干態度を変えてくるのだ。


 俺は心の中でベリルに詫びつつ、マリアに対して愛想笑いを振りまいた。


 と、マリアは己の表情筋をやおら引き締め、先ほどと一字一句違わぬセリフをその唇からほとばしらせた。


「──では、問います。貴方にとっての『美』とは、どのようなものでしょう?」

「秩序と調和」


 ノータイムで答える。すると、マリアの顔にみるみる喜色が満ちてゆく。


「……! ああ、まさしく! それこそまさしく、私の目指す美の終着点でございます……! 貴方のようなお方が現れるのを、私は夢にまで見ていたのです!」


 マリアは頬を紅潮させて、感極まった様子で俺の両手を掴む。

 潤んだ大きな瞳が、俺の目を真正面から覗き込んでくる。

 薔薇の蕾のような艷やかな唇が、そっと花開いて吐息を漏らす。


 彼女の美貌は、間近で見るとよりいっそう魅力的に見えた。

 胸と胸が触れ合うほどに身を寄せて、彼女はかすれた声で囁く。


「……その……この後、まだお時間はありまして……? 別室で、もう少しじっくりと、その、美の真髄について、語らいたいのです……」


 これは、相手の性別が男性の場合のみ発生する、まあ、ある種のサービスシーンのようなものだ。


 この誘い、乗っても断っても結果は変わらない。

 となれば、選択肢は一つしか無い。


 俺はいかにも残念そうに眉根を寄せつつ、彼女の身を引き離す。


「大変に心苦しいのですが、それはできかねます……」


 マリアは柳眉を逆立て、にわかに気色ばんだ。

 その細い喉から、地面を這いずるような低い声が漏れる。


「……お付き合いいただけなければ、鍵をお譲りしないとしたら……?」


 稚拙な脅迫だった。

 だが、俺は怯むことなく、ただひたすらに平身低頭を決め込んでいた。


「申し訳ありませんが、私には心に決めた許嫁がおるのです……。それに、最初に卿はおっしゃったはず。一つの質問に回答すれば、鍵をお譲りいただけると」


 マリアは瞼の端に涙をいっぱいに溜め、唇を引き結んで、いまにも泣き出しそうにしていた。

 やがて、彼女はしょんぼりと肩を落とすと、静かにつぶやいた。


「……左様でしたね。……先程の言葉は、どうか忘れてくださいませ……。……さあ、こちらが封印の鍵でございます。お受け取りください」



 ◯◯◯◯◯◯◯



 マリアの屋敷を出ですぐ、シルクが気遣わしげな眼を俺に向けてきた。

 彼女はしばしの逡巡の後、俺に向かって問うた。


「……ニャんだか、あの女の人泣きそうにニャってたニャ。何か言っちゃいけニャいことでも言ったのか?」

「いや……。まあ、うん……」


 俺は気まずくなって口ごもる。

 結果的に、マリアにはたいそうひどいことをしてしまった。

 俺達の見ている前で、ひどい恥をかかせてしまったのだ。


 俺が独り身だったら、ルパン三世みたいに舌出しながら突っ込んでったと思うんだけどな。


 ベリルを裏切るわけにはいかなかったのだ。


 鬱々とした気分が腹の底に溜まっていく。

 こんなことになるから、俺はこの試練に関わりたくなかったのだ。


 俺が黙りこくっていると、シルクがわざとらしく明るい調子で声を張った。


「まあ、気にすんニャ! それより、今回もチョロかったニャ! こんニャもんでいいのか!?」

「……そうだな、それもこれも、タルフ卿からいただいた資金あってのことだな。もしもあの金がなかったら、化粧の仕方をイチから勉強しなきゃならんところだった」


 メタ的な話をすると……。


 もしも金の力を発揮できなかった場合は、地道に魅力値を50まで上げる必要があった。


 魅力値は、漫然とゲームをプレイしているとなかなか上昇しない能力だ。


 本を読んで勉強したり、毎朝鏡に向かって身支度をしたり……。そういった、冒険に直接関係のない行動でしか、魅力値は上がらない。


 もしタルフから金をせしめられなければ、俺はこの一週間の期間内に必死こいて魅力上げにいそしまなければならないはずだった。


 そうなると、名声の稼ぎがおろそかになるはずで、滅亡へのカウントダウンが一気に進んでいたところなのだ。


 というわけで、地味な試練ではあるが、この試練を余裕で突破できるか否かが、宝珠獲得に際して結構重要だったりしたのだ。


 結果として美の鍵をゲットできたことは、僥倖という他ないだろう。


「にしても──」


 シルクは眉間にシワを寄せ、クレセントに詰め寄ってゆく。


「おい、お前! 肝心ニャところでヘマしやがって!」

「……はい……」


 クレセントはいかにも反省した様子で、しょんぼりと肩を落としていた。


 しかし、本当に反省しているかどうかは、怪しいものである。


 正直、彼女の挙動は完全に予想外だった。


 簡易AIならば、あの質問の答えを間違えるはずがないのだ。


 となると、彼女の背後には意思を持ったプレイヤーがいる、ということになるが……。


 では、彼女はわざと間違えたのか? それとも、答えを知らない初心者プレイヤーなのか?


 そもそも、プレイヤーの時間軸と、このゲームの時間軸、つまり俺の意識する時間は、どのように同期が取られているのだろう?


 疑問ばかりがうず高く積み上がる。


 だが、クレセントに尋ねたところで、まただんまりを決め込まれるのがオチだろう。


 今は時間が惜しい。最優先事項にフォーカスすべき時だ。

 彼女がどういう存在かなど、国の存亡に比べれば些末なことだ。


 ということは、今相手にすべきはシルクの方だ。俺はそう判断した。


「まあまあ、結果オーライなんだから、別に良いだろ。そもそもシルク、お前がクレセントを責めるのはお門違いだ」


 俺はシルクの肩をそっと叩いてなだめる。

 すると、彼女は返す刀で俺を睨み、猛然と俺の鼻先に詰め寄ってきた。


「じゃあ、アタシにも試練を受けさせておくれよ! こいつニャんかより、ずっと役に立つよ!」

「……いや。お前向きの試練は、どうかな……無いんじゃないかな……」


 俺は言葉を濁す。

 彼女向きの試練は、ある。あるにはある。


 だが、それは多分、彼女が思うようなヒロイックな内容ではない。


 むしろ、どちらかというと惨めな気持ちにさえなりうるものだ。


 とてもじゃないが、積極的に彼女に勧める気にはなれなかった。


「なあシルク、今日はもうお前帰れ。疲れただろ?」


 猫なで声でそんな提案をしてみる。

 だが、シルクは眼を細め、疑わしげに俺を見るばかりだ。


「いいや、帰らない。アンタそう言って、二人で残りの試練を受けに行くつもりだろ? アタシは、最後までアンタについていくんだから」


 こうと決めたら、彼女の心は巨人の腕力でも動きやしない。

 俺はため息を吐いて、肩をすくめる。


「──わかった。好きにしろよ」

「ニャ。好きにする」


 シルクは短く答えて、まっすぐに俺を見上げる。

 その強い視線から、俺は思わず目をそらしていた。

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