第十五話 六諸侯の美・マリア(1)
六諸侯の美・マリアの邸宅は、その通り名に恥じぬ、美しい造りだった。
広い前庭には季節の花々が咲き乱れ、灌木の葉は一枚一枚に至るまで丁寧に刈り込まれている。
庭の中央には白大理石の噴水が配されており、空に弾ける水飛沫が、昼下がりの陽光を受けて白く輝いている。
真新しく整った石畳には、雑草どころか落ち葉の一つも見当たらない。
病的なまでに美しい。そんな印象を覚えさせる庭園だった。
銀の甲冑を身に着けた燦然たる門衛に要件を告げると、彼は快く俺達を邸内にいざなった。
邸内もまた、細部までこだわり抜かれた造りだった。
その印象を端的に表現するなら、『整然としている』といったところか。
内装の幾何学的な意匠は、転生前でいうところのアール・デコに近い。
あらゆる家具調度は左右対称に配され、寸分も崩れたところがない。
部屋の真ん中に鏡の仕切りを置いたように、完璧な線対称を描いているのだ。
これは、非常に重要な情報だった。
実際のところ、この内装も、美の試練と密接に関わりがあるのだった。
執事の男にしばしの待機を命じられ、俺達は豪奢なソファに腰を沈める。
「ニャんだか、落ち着かニャいね……」
シルクが、天鵞絨張りのソファーの上で身を固くする。
「お前はただの付き添いなんだから、そんなに緊張すんな」
「わかってるよ。それより、大丈夫ニャのか、今回の主役さんは」
「はい……!」
勇者クレセントは、顔をこわばらせつつ、拳をぐっと握る。
彼女にとっては最初の試練だからな。緊張しているのかもしれない。
……簡易AIが緊張するものだろうか?
まあいい。
俺はクレセントに向き直ると、試練の内容について最後の打ち合わせに入った。
「クレセント、改めて確認だが……。今回の試練はあんたに任せるぞ、問題ないな?」
「はい」
「マリア卿の試練がどのようなものかは分からないが……知識の試練の経験から鑑みると、おそらくマリア卿も何らかの質問をあんたに投げかけてくると考えられる」
「はい」
「ジェバは俺の知識を問うてきた。ということは、マリアは美的感覚を測るための質問をしてくると想像できるな」
「はい」
「美というのは、主観的なものだ。自分が美しいと思う意匠と、他人が美しいと思う意匠は、全く異なると考えたほうが良いと思う」
「はい」
「つまり、マリアがあんたの美的感覚を問うてきても、あんた自身の美的感覚を馬鹿正直に答えては、反感を買うことになるかもしれない」
「はい」
「だから──いいか、ここが重要なポイントだぞ。マリアがたとえあんたの美的感覚を問うてきたとしても、マリアのそれに迎合するように答えるんだ」
「はい」
「マリアにとっての美は……この建物の内容を見る限り、『秩序と調和』の中にあるように思える。……まあ、これは俺の印象でしかないけどな」
ここまでヒントを伝えておけば、流石にちゃんと答えてくれるだろう。多分。
この美の試練では、魅力値の判定の他に、マリアとの問答をこなす必要がある。
彼女の質問に正しく答えないと、たとえ魅力値がどれだけ高くとも、試練を突破することはできない。
質問の内容は、先ほど俺が話した通り、美的感覚を問うものだ。
その際、マリアの美的感覚に迎合すれば、試験を突破できる。
ここで一つひねりがあって、マリアの美的感覚は、ゲーム開始時の乱数の値によってランダムに決まる。
その美的感覚に沿った形で、マリアの邸宅の造りも変化するのだ。
マリアが絢爛さに美を見出す設定ならば、彼女の邸宅も華々しいものになる。
逆に、侘び寂びを重んじる設定ならば、彼女の邸宅はひどく質素なものになっていたに違いない。
そして、今回のマリアの美的感覚は、幾何学的な整然性を求めているようだ。
なので、質問には、それに迎合するよう答えれば良い。
仕組みさえわかれば、なんてことのない簡単な試練なのだ。
と、俺とクレセントの会話を聞いていたシルクが、神妙な面持ちでこんなことを言い出した。
「ジェイド……アンタまるで、美の試験の内容を知っているみたいだね」
……図星だ。
いや、焦ったね。こいつ、時折妙に勘が働くのな。
だが、シルクに『ゲーム知識』や『デバッグ』のことを知られるわけにはいかないのだ。
俺は努めて平静を装い、答える。
「簡単な推理だ。伊達に知識の試練を突破してるわけじゃねーんだぜ」
「……ふーん、推理か……」
疑わしげな視線を俺に向け、シルクは喉を鳴らす。
こうなるから、彼女をこの一連のイベントに連れてきたくなかったのだ。
そうこうしていると、廊下の向こうから折り目正しい執事がやってきて、俺達についてくるよう促した。マリアの私室に案内してくれるという。
さあ、ついに、美の試練のはじまりだ。
美術館のような部屋だな、というのが、第一印象だった。
余計なモノが、何一つ置かれていない部屋。
机と、椅子と、扉付きの棚と、絨毯。
部屋はただそれだけで構成されている。
だが、不思議と殺風景さは感じなかった。
むしろ、これ以上の足し引きを必要としない、完璧に調和の取れた部屋だった。
窓際に据えられた机の前に、マリアは背筋をぴんと伸ばし、こちらに背を向けて座っていた。どうやら、彼女は手紙でも書いているらしかった。
俺達が近づくと、彼女は振り向きもせず、語りだした。
「……セバスチャン。やはり、お客様にはお引き取り頂いた方が良いと思うの。だって、円卓の間で見たあの方といったら、まあ酷いものだったのですよ。その立ち姿といったら、まるで野盗か蛮族のよう……。あのような姿の者が、私の屋敷の中を蠢く様など想像しただけで、怖気立つというものです」
俺達が答えに窮していると、マリアは怪訝そうに眉をひそめつつ振り返った。
「……セバスチャン?」
マリアは俺達の姿を認めた途端、慌てた様子で立ち上がった。
「あ、あら……! これは大変失礼いたしました……!」
このマリアという女侯爵は、内弁慶という性格設定だった。見知った人間には地金を隠さないが、初対面の人間には外面良く慇懃に接するのだ。
彼女は頬を若干赤く染めつつ俺達の前に進み出ると、ゆっくりと頭を下げた。
「私はマリア。六諸侯の美などと呼ばれておりますが、僭越なことでございますわ」
やがて顔を上げた彼女は、とろけるようなほほえみとともに、俺達一行を順繰りに見回した。
六諸侯の美と謳われるだけあって、彼女の容姿は極めて美しかった。
顔立ちだけでなく、立ち姿、物腰、手のしぐさなどといった、そうしたすべての要素が、洗練されており優美だった。
俺は反射的に自己紹介しようと口を開いた。だが、思いとどまってクレセントの脇を肘で突く。
クレセントは前に進み出ると、やおら流暢に語りだした。……定型のイベントメッセージであるが。
「ごきげんよう、マリア卿。勇者クレセントでございます。円卓の間では、ご挨拶できず申し訳ございませんでした」
「クレセント様!? 貴方様が? ああ、そんな……」
マリアは両手を口元にあてがい、眼を見開く。
「見違えてしまいましたわ。円卓の間でお見かけした際とは、まるで雰囲気が違うのですもの……。無礼をお許しいただけますか?」
「はい」
「良かった……。貴方のような美しい方に嫌われてしまったらと思うと、私、胸が張り裂けそうになるのです」
美の試練では、まず最初に魅力判定が行われるが、このやりとりを見る限り、既にその判定は成功裏に突破したと見てよさそうだった。
マリアはおもむろにクレセントに近づくと、袖口から一本の鍵を取り出した。
「ご用件は、この封印の鍵でございますね?」
「はい」
「……叶うことなら、すぐにでもこれを貴方にお渡ししたいところではあるのですが、私も六諸侯と呼ばれる者達の末席に座る者。貴方に試練を授けなければなりません」
彼女はそう言うと背筋を伸ばし、表情を引き締める。
その面差しには六諸侯としての威厳がありありと見て取れた。
ここから、美の試練のイベント開始だ。
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