第十七話 六諸侯の愛・ルタ(1)

 その屋敷に一歩足を踏み入れた瞬間、獣の匂いがむっと鼻をついた。


 玄関前のホールには、猫やら犬やらが放し飼いにされて、自由気ままに闊歩していた。


 人の数より、ペットの数の方が明らかに多い。

 ペットの間を、屋敷の使用人たちが忙しそうに歩き回っている。


 その様たるや、まるでペットが主人で、人間がかれらにかしずいているようですらあった。


 六諸侯の愛・ルタの屋敷は、タルフの豪邸に比肩するほどの大邸宅である。


 彼女の両親は王国でも有数の大貴族だった。


 だが、その両親は彼女が幼少の頃に亡くなってしまい、以来彼女は保護者もなく天涯孤独の身なのだ。


 家の中で運動会ができるほどの巨大な邸宅であるからして、さすがに一人で生活しているわけではない。


 彼女は大勢の使用人と、それからたくさんのペットに囲まれて、わりと不自由なく暮らしている。


 使用人の一人が俺の姿を認めるや、ぱっと笑顔を咲かせて見せた。


「あら、ジェイド様! ご機嫌麗しゅう」

「ご無沙汰しております。ルタ様はご健勝であらせられますか」

「ええ、それはもう。元気いっぱいで困ってしまうくらいです」


 年かさの使用人はそういって、快活に笑ってみせた。


 俺は彼ら使用人達と顔見知りなのだ。

 だから、特に何の障害もなく、ルタの部屋に案内してもらえた。


 彼女の部屋に入るなり、耳をつんざく叫び声にお出迎えされた。


「あーっ! ジェイドだあ! やっと来てくれたのね!」


 声の主は、フリルのいっぱいついた部屋着をひらつかせ、俺達の元に駆け寄ってきた。


 彼女こそ、六諸侯の愛と呼ばれる女伯爵、ルタだ。

 年端もいかない少女だが、れっきとしたこの館の主なのだ。


 彼女の歳はたかだか六歳程度しかない。

 だが持ち前の高い知能と直感を評価され、若年にして六諸侯の一人にまで上り詰めた。

 天才的なお子様なのだ。


 ことに、人を見る直感に関しては、下手な大人より断然優れている。


 彼女の目をもってすれば、どのような人物であっても、いずれその本性が暴かれてしまう。


 ある意味では、六諸侯の中で最も恐ろしい人物ですらある。


 俺は努めて友好的に微笑んで、心にあるのかないのかもよくわからない言葉を放り出した。


「ごめんなあ、ルタ。なかなか忙しくてさ。会いにこれなくて心苦しかったよ」

「そうよ! 貴方ったら筆まめだけれど不義理なんだもの」


 そう言って、ルタは頬を膨らませる。


 ──いきなり、痛いところを突かれちまったな……。


 俺の心の中に、苦い感覚が広がってゆく。


 手紙なら、いくらでも自分の本心を装える。だから、彼女の親密度を上げるために、俺はもっぱら手紙で彼女との交流を図ってきた。


 面と向かってやりとりすると、彼女に本心を見透かされる可能性があるからだ。


 ……ぶっちゃけ話をしてしまおう。

 俺が彼女と仲良くしているのは、九割がた、試練のためだ。


 こんなことを言うと、とんでもない打算野郎だと思われてしまうかもしれない。


 そう思われても仕方がない。

 実際、こればかりは本当に打算でしか動いていないんだから。


 正直、俺はこのルタというキャラクターが苦手だ。


 だが、苦手でも親密度は上げないといけない。


 六諸侯の試練で勇者を頼りにできない以上、俺が勇者の代わりに六諸侯の試練を受けなければならない。


 親密度が試される試練を攻略するからには、自分の本心がどうあれ、打算的に親密度を高めなければいけない。


 この試練は、本来、勇者の愛情の深さを試そうというものだ。


 博愛。老若男女問わぬ人間愛を問われる試練。


 そんなものを、英雄でもなんでもない一介のデバッガーだった俺が、いままさに求められているというわけだ。


 コントローラーの裏に本心を隠せるなら、いくらでも博愛の勇者を演じられるだろう。


 だが、俺は今、ただの俺としてこの場に存在している。

 表情やしぐさから、容易に本心を読み取られる立場にある。


 ……シルクは俺のことを勇者だと呼ぶ。

 だけど、俺は勇者じゃない。ましてや聖人君子でもない。

 好きな人間がいれば、嫌いな人間もいる。


 生きとし生けるもの全員を愛するなんて、土台無理な話だ。


 でも、やらないといけない。

 やらなきゃ、大切なものまで壊れてしまうってんならさ。


 まったく、俺はとんだクズ野郎だと思うよ。

 そして、これは本当にひどいイベントだと思う。

 まさに、試練って感じだ。

 人間というものの、本当の弱さを思い知らせるための……。


 俺達のやり取りを見ていたシルクが、横からそっと問うてくる。


「ジェイド、この子と知り合いニャのか?」


 俺が答えるより前に、ルタが大声で喚き立てた。


「あっ! ああっ! おっきい猫ちゃん! すごい! かわいいっ!」

「か……かわいい……?」


 シルクは目を真ん丸に見開いて、言葉を失う。

 かわいいなんて、いままでの人生で一度も言われたことがなかったんだろうな。


「ルタ、紹介するよ。こいつはシルクっていってさ……あ、手紙に書いたことあったよな」

「うんうん! 信頼できる相棒、だったよね! へえ〜〜〜〜、こんな素敵な猫ちゃんなんだあ!」

「えへ、えへへ、信頼できる相棒の、猫人シルク、です」


 信頼できる相棒と呼ばれたことが嬉しいのか、それとも素敵と褒められたことが嬉しいのか。


 シルクはくねくねとしなをつくりつつ、不慣れな敬語で挨拶してみせた。


「シルク、この子が六諸侯の愛と呼ばれてる、ルタだ」

「ルタ様……」

「様とか呼ばないで! 私のことは、ただルタって呼んで!」

「は、はい……ルタ」

「敬語もだめー! ジェイドのお友達なら、私の友達なんだから」

「う、うん……」


 わがままお姫様気質のルタには、さしものシルクもたじたじだ。

 ルタは踵を返してどたどたと部屋の奥まで駆けてゆくと、壁際のソファに飛び乗った。


「それじゃ、何して遊ぼっか!」


 満面の笑みを浮かべ、俺達に向かって問いかけてくる。

 俺は頭を掻きつつ、できる限り申し訳無さそうな顔で切り出した。


「ルタ、今日は用があって来たんだ」


 にわかに、ルタの表情が曇る。


「……ああ……。試練?」


 人が変わったような低い声。ルタは冷たい目で俺を見やる。

 俺は気圧されつつ首肯する。


「ああ」

「そっか。そのために来たんだね。来たくて来てくれたわけじゃないんだ」

「そんなことねーよ。本当にいそがしかったんだって」

「ふーん」


 ルタは値踏みするように目を細め、俺の目を見据えてくる。


「……ジェイドだったら、まあいいかな。そこにいる、よくわからない赤毛の人に比べたらね」


 依然、少女とは思えぬほど大人びた声で、ルタは呟く。

 透徹したその瞳は、あくまで鋭く俺の瞳孔を睨みつけている。


 まるでこの瞳の裏にある、俺の心まで見透かそうとでもしているかのように。


 どちらが彼女の本性なんだろう、と思う。


 年相応の子供のように振る舞っている方が、本物か。

 それとも、今見せている大人びた姿の方が、本物なのか。


 設定上は、どちらも矛盾なく彼女だ。


 大人顔負けの並外れた知能を持ちながら、年相応に振る舞いたいという願望を抱く少女。

 それが、ルタというキャラクターなのだ。


 だが、実際己の目で相対してみると、その両極の落差が嫌でも目に付く。

 その病的さが、俺には正直、怖かった。


 俺の気持ちなど知るよしもないシルクが、呑気な顔で尋ねる。


「そんで? どんニャ内容の試練ニャんだ?」


 すると、一転、ルタは明るく破顔した。


「んっとね、これから三日間、お昼に私のうちに来て、私と遊んで欲しいの!」

「それだけ?」

「それだけ! 簡単でしょ?」


 確かにこの試練は、一見簡単そうに思える。


 試練の内容は、三日間でルタとの親密度をMAXにするというもの。極めてシンプルだ。


 が、これが実際、全く簡単じゃない。


 まず、この試練は拘束期間が長い。


 一週間しかない猶予期間のうちの三日もの間、昼から夜までの半日を完全に専有されてしまうのだ。


 しかも、その間ずっと彼女の遊び相手にならねばならない。

 子どもの体力に、半日間つきあわされる羽目になるのだ。


 加えて、彼女の直感は並外れているときている。


 少しでも不誠実な気持ちを表に出してしまえば、たちまち親密度が下がってしまう。気が抜けない。


 ルタの視線が、シルクから俺の方に映る。

 途端に、寂しげな影がその瞳の中に差し込んだ。


「……本当は、ジェイドには、試練とかそういうの抜きで訪ねて欲しかったんだけどね……」


 乾いた笑いが、俺の喉から漏れる。


 もし試練がなかったなら、果たして俺は彼女の元を訪れただろうか?

 そんな益体もない問いが俺の脳裏をかすめる。


 と、突然シルクが俺とルタの間に身を乗り出し、一言叫んだ。


「やる!」


 彼女はぐるりと首を巡らせると、キラキラと輝く瞳で俺の目を覗き込んだ。


「この試練、アタシにやらせてよ!」

「おい、良いのか?」


 思わず、小声で問う。


「良いかって、何が?」


 怪訝そうに眉をひそめて、シルクが問い返す。

 俺は喉の奥で僅かに唸ってから、シルクの頭越しにルタを見やった。


「──悪ぃ、ルタ。ちょっと相談するから待っててくれ!」

「……? うん!」


 シルクと連れ立って、一度部屋の外に出る。

 俺は押し殺した声で、シルクに詰め寄った。


「……子どもの相手だぞ。わがままお嬢さんのご機嫌取りだぞ」

「猫人をニャめんニャ。体力には自信あるんだから。……それよりさ」


 シルクは下から俺を睨み上げ、怒気をはらんだ声で問うてきた。


「アンタさ、友達づきあいを、義務感とか打算でやるつもりじゃねーだろーニャ?」


 鋭い視線が、俺の弱い心を容赦なく刺し貫いた。


「それとも、本当はあの子とは友達じゃニャいってのか? アンタは、そういうやつニャのかい。アタシとも、打算で付き合ってるのかい?」


 舌鋒鋭く問い詰められ、俺は一瞬言葉を失う。


 ──正直なことをいうと。


 最初にシルクと出会った時、俺は彼女を打算的な目で見ていた。


 こいつは使える、と思ったのだ。


 というのも──実はこのルタの試練、プレイヤーのキャラメイク時の種族を猫人にした場合、親密度判定なしで試練に挑戦できるのだ。


 しかも、親密度の上昇値が二倍、減衰値が二分の一になるという豪華おまけ付き。


 ルタは猫が大好きなので、猫人と一緒にいるときは判定が甘くなるというわけだ。


 俺は、最初、この試練に協力してもらうために、シルクを仲間に誘った。


 協力してもらう、というのは言葉が綺麗すぎるな。

 ぶっちゃけ、彼女を利用しようとしたのだ。


 その時はまだ、俺の中で彼女は、ゲームの中のただのNPCの一人にすぎなかったんだ。


 ……でも、今は違う。


 こいつの真っ直ぐな性根に触れるうちに、その、なんていうか……。


 自分の考えの醜さにほとほと嫌気がさしちまったんだ。


 だから、俺はシルクを試練に関わらせたくなかった。

 俺は、彼女の本物の相棒でいたかったんだ。


 だから──。


 シルクの問いかけに対し、俺は吐き捨てるように答えた。


「バカ言うんじゃねえよ……!」


 すると、シルクは満足げに微笑んで、俺の肩を親しげに掴んだ。


「ニャら、ここは線引きだ。友達は友達。試練は試練。分けて考えられるようにさ」


 彼女は手の甲で俺の胸を叩いて景気付けた。


「アンタはルタの友達のまま。アタシは試練を受けに来た。そういう仕切りでいこうじゃニャいか」


 言うが早いか、俺が止める暇もなく、シルクは部屋の中に取って返した。

 彼女はルタの元に歩み寄ると、朗らかに笑ってこうのたまった。


「話は決まったよ。やっぱり試練はアタシが受ける!」

「シルクが遊んでくれるの!? えっ、えっ、嬉しい! モフモフしたいっ!」

「モフモフは仲良くニャってからだニャー」


 シルクはそう言ってふてぶてしく笑うと、ルタの座るソファの上に無造作に腰掛けた。


 それから彼女はちらっと俺を一瞥すると、一瞬ウィンクしたのち、手の甲を俺に向けてひらつかせた。「はよ出ていけ」の合図だ。


 シルク……。


 お前はそういうやつだよ。


 一度決めたら、こっちの話なんか聞きやしねえ。


 自分が正しいと信じたことに向かって、まっすぐに駆け出していきやがる。


 俺は、お前のそういうところが、たまらなく好きなんだ。

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