第三十一話 戦いの後
満天の星空の下。
満身創痍の身体をいたわりながら山道を降りていると、坂下から白っぽい人影が登ってくるのが見えた。
それがシルクの姿だとわかるまで、さほどの時間はかからなかった。
彼女はまだ俺の存在に気づいていないらしい。足元を見つめながら、トボトボとこちらに近づいてくる。
彼女をびっくりさせないよう、俺はできる限りさり気なく声をかけた。
「シルク、回復剤持ってるか? 蚊に刺されただけで死にそうだ」
彼女ははっと顔を上げて、俺の顔を見やった。
「ジェイド!」
その顔が、みるみるうちに泣き出しそうに歪む。
「か、回復剤だね……! ちょっと待ってね」
彼女は鞄から回復剤を取り出すと、蓋を開けて俺に渡してくれた。
俺はそいつを息継ぎせずに一気に飲み干した。
「サンキュー! 生き返るぜ……!」
シルクは首をブンブンと横に振る。
それから彼女は懐に手を差し込み、美しく輝く球体を取り出す。
青の宝珠だ。
「生きててよかった……。下でこれを拾ったから、アタシ、てっきり……」
「ところがどっこい……ってやつだな!」
おどけて笑ってみせると、シルクはつられたように目を細めた。
「それじゃあ、イルゲイルは……」
「ああ、もう大丈夫だ。魔王軍もろとも消し炭になった」
「……え~~~~! じゃあ、宝珠なんて要らなかったじゃないか!」
「そうでもねえよ。それがなかったら普通に死んでた」
死、という単語を聞いた途端、シルクの身体が引きつけを起こしたように痙攣する。
彼女はそわそわと尻尾を揺らし、やおら俺の胸に頭をゴツンとぶつけてきた。
俺は、彼女の小さな頭を腕に抱き、そっとなでてやった。
「……心配かけたな」
「……アンタは、すごいよ。やっぱりアンタが、本物の勇者様だ……」
月明かりの下で、俺達二人はしばしの間、黙って抱き合っていた。
……あれ? ちょっと妙な雰囲気になってないか?
俺はわざとらしく咳払いして、声を張り上げる。
「よっし! じゃあ、帰るか! 王都がどうなってるか、気になるしな!」
「そうだね」
屈託なく微笑むシルク。
よかった。いまのはノーカン。相棒同士の友情の範囲内だ。
なんとなく後ろめたさを感じて、俺は大股に歩く。
少し離れて、後ろにシルクが続く。
何気ない様子で、シルクがポツリと尋ねてくる。
「アンタはさ、これから先、どうするつもりなの?」
「どうするって……。魔王軍の残党を撃退して、イルゲイルをぶっ倒したことを報告して……」
「もっと先の話」
「あー? そんなの決まってんだろ。ベリルと結婚して、子供をたくさん作って……」
「それで、アンタは本当に良いの? イルゲイルを倒したアンタが、それで本当に満足できる?」
「あ? 何を言って──」
「繰り返される退屈な毎日と、予定調和のイベントの違いを区別できると思う?」
山道のちょうど折り返し地点で、シルクの影が動きを止めた。
振り返って見上げると、夜空を背にして、彼女はぽつねんと佇んでいた。
月明かりの逆光で、その表情は見えない。
「断言するよ。アンタはこの作り物の世界に、いずれ堪えられなくなる」
「……おい、シルク。お前、何を考えてる……? まさか……」
「予定調和の世界がアンタを苦しめるってんなら、アタシがそんな世界ぶっ壊してやる。誰かのために戦えるやつが英雄だってんなら、アタシがアンタの英雄になってやる」
──まずい。
危険だ。
シルクは、宝珠の力に思考を呑まれている。
俺は、間髪おかず駆け出した。
シルクを止めるために。
だが、俺が彼女の身体を掴むより先に、彼女の前蹴りが俺の胸を押しやった。
坂道の上から
俺は鞠のように弾んで、坂を勢いよく転がり落ちた。
起き上がって見上げると、既にシルクはこちらに背を向け、崖から身を乗り出しているところだった。
彼女は首だけこちらに向け、申し訳無さそうに笑った。
「ごめんね。でも、ちょっとだけ待っててよ、ジェイド。あっと驚く世界を、アンタにプレゼントしてあげるからさ」
「……ッ! シルク! 待て!!」
再び立ち上がり、坂を駆け登る。
だが、間に合わない。
シルクは身を翻し、躊躇なく崖の端から空へ飛んだ。
月が彼女の姿を押し包み、そのまま奈落へと追い落としてゆくように見えた。
ようやく坂の上まで登った俺は、崖の端に首を伸ばして下を覗き込む。
シルクの姿は既に、黒い森の中に溶けた後だった。
「クソバカヤローが!! 戻ってこい、シルク!!」
俺の声は、ただ虚しく夜空の下に響くばかりだった。
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