第三十話 決戦

 邪魔者は失せたな。


 俺はロングソードを振りかぶると、ヴァイスゲイルの横っ腹にその刃を叩き込んだ。


 触手がのたうち回り、バカでかい口の奥から怨嗟の声が発せられる。


「グアアァァァァ! コロス! 殺ス! こロす!」


 効いてる効いてる。

 どれ、どれくらいダメージを与えたかな? デバッグで見てみよう。



『HP:24,788/25,000』



 212。大したダメージじゃねーじゃねーか。

 痛がりだな、ヴァイスゲイルは。


 ここからは、まあ単純作業だ。


 飛び出してくる触手をうまいことかわしつつ、隙を見て剣で突いたり切ったりする。


 時々クリティカルヒットになって、400近くダメージを与えたりする。

 それを幾度も繰り返して、少しずつHPを削っていく。



『HP:9,092/25,000』



 だいぶん削れてきたな。


 このまま剣でチマチマダメージを与え続けていれば、いずれは倒せる。


 倒せるが、流石に時間はかかるな。


 俺の与ダメージは、宝珠の力をもってしても200前後。

 武器が市販のロングソードなのだから、それもやむなしではある。


 ……一応、一気に敵のHPを削ることのできる秘策はある。

 あるにはあるのだが、それなりにリスクもでかい。

 やらずに済むならそれに越したことはない。


 だが、そうこうしている間にも、王都への侵攻は継続している。

 モタモタしていれば、ベリルの命も危険に晒される。


 焦る。


 しかし、焦りは隙を生む。

 それは、時に致命的な隙になる。


 敵の触手攻撃が、俺の胸にヒットする。

 たいしたダメージではない。羽根で撫でられた程度の感触だ。


 だが、攻撃を受けた衝撃で、上着の一部が破けてしまった。


 破けた隙間から、宝珠がまろびでる。


 深い輝きを宿した宝珠は、俺の視界の端で、ゆっくりと落下してゆく。


「……あ……」


 宝珠は地面の上で一度弾んで、そのまま崖下へ──。


「し、しまった!」


 敵の攻撃に注意しつつ、崖下を覗き込む。


 宝珠の青い光が、地面と幾度も衝突しながら坂の向こうに落ちていくのが見えた。


 青い光はつづら折りの道の途中で止まることなく、山裾の森の中に吸い込まれていった。


 ……や、やっちまった……!


 やっちまった!!


 宝珠無しじゃ、ヴァイスゲイルになんて勝てっこねえぞ……!


 今から、取りに戻るか……?


 俺がそんなことを考えた瞬間、ヴァイスゲイルの触手が、ムチのように音を立てて飛んできた。


 ほとんど目にも止まらぬその攻撃を、かろうじて避ける。


 だめだ!

 宝珠を失った途端、奴の攻撃を目で追いきれなくなった……!


 逃げようにも、攻撃が激しくて逃げている余裕なんぞないし、そもそもボス戦は逃げられない仕様だ!


 再び飛んでくる触手。だが、カウンターが発動し、俺の剣が触手にヒットする。


 すかさず、ダメージを見る。



『HP:9,091/25,000』



 クソッ! 全然減らねえ!


 あと9,000回もぶっ叩けってのかよ。その前に俺がくたばっちまう!


 悲惨な現実から、目を背けたくなる。


 しかし、これが、宝珠抜きで戦った場合のヴァイスゲイルの実力なのだ。


 負け確イベントと言われる最大の所以だ。


 だから、試練を攻略できなかったプレイヤーは、王都を見捨てて逃げることになる。


 そして、隣国の国境にたどり着いた時に、風の噂で聞くのだ。

 王都ヴァルチャーの陥落と、アルバトロス王国の滅亡を。


 触手の一撃が、ついに俺の身体を捉えた。


 したたかな一撃が俺の脇腹を横殴りにし、俺の身体は山側の崖に叩きつけられる。


 怖い怖い怖い。


 冷や汗をかきつつ、己のステータスを確認。



『HP:97/193』



 ほぼ半分持っていかれた……!


 か、回復剤を……。


 俺は懐から回復剤を取り出し、震える手で瓶の蓋を抜く。だが──。


「……あっ……!」


 蓋を抜いた勢いで手が滑り、回復剤の瓶を取り落してしまった。


 瓶は、地面に叩きつけられて、あっけなく割れた。


 中身の回復薬は、みるみるうちに土に染み込んでゆく。


「く、くそッ…………!」


 懐から新たに回復剤を取り出し、今度は慎重に蓋を開け、中身を飲み下す。



『HP:193/193』



 ……全快……危なかった……。


 いや、しかし、回復剤は残り3個しかない。

 回復が早すぎたか……?


 いやいや、だが、敵の攻撃が97以上のダメージを叩き出せば、それでしまいだった。

 俺の判断は間違ってなかった、と、思う。


 回復剤が尽きた時……。


 俺は、死ぬのか──?


 え、いや、待て。

 本当に死ぬのか?


 嘘だろ……?


 死んだらどうなる……?

 リスタートできたりしないか……?


 いや……。このゲームでは、NPCは死んだらそれっきりだ。


 終わり。

 無。


 ……嫌だ。

 そんなのは、嫌だ!


 ──シルク!

 助けてくれよ、シルク!


 死にたくないんだ!

 俺は逃げたいんだ!


 ベリルに会いたい!

 ベリル、ベリル──ベリルッ!



 ◯◯◯◯◯◯◯



『HP:103/193』



 足掻いても無駄だと、悟った。


 攻撃を当てても、与えられるダメージは1より大きくならない。


 しかし、逃げることもできない。


 少しでも後ろを向けば、奴の触手が足に絡みついてくる。


 回復剤は残り1つ。後がない。


 こうなれば、最後の秘策に賭けるしかない。


 どうせ死ぬなら、最後っ屁をかましてやりたいじゃねーか。


 だが、この『秘策』は、敵の行動に完全に依存している。


 敵が、こちらの望み通りの行動を取ってくれなきゃ、それでジ・エンドだ。


 だから、待つ。

 敵の攻撃を、耐えながら。



『HP:3/193』



 ──来い。



『HP:193/193』



 はやく来い──!



『HP:102/193』



 来いってんだよ!!



『HP:2/193』



 ……あと一撃。


 あと一撃で、俺は死ぬ。


 ここまでか。


 これで死ぬなら、もう乱数運がなかったとしか言いようがない。


 俺はやれるだけのことはやった。


 シルク、ベリル、皆、すまねえ……。


 心のなかで、守りきれなかった人達のことを思い浮かべる。



 電子の魂に、向かうべきあの世はあるのか。

 そんな考えが、この切羽詰まった状況で不意に頭をよぎる。


(ねーよ、そんなもん)


 俺の魂が答える。


 そりゃそうだ。デバッグしてた時、何回このイベントを失敗してきたことか。


 その度にキャラクターがあの世に行ってたら、あの世はとっくの昔にオーバーフローしてるだろうよ。


 皮肉めいた笑いが心を満たす。


 俺達の命は、電流という名のかぼそい命綱に繋がれている。


 電源を切れば、ゲームは終わる。


 俺達の命も。


 その程度の人生であり、その程度の生命だ。問題ない。


 ……どうせ、ゲームじゃねえか……。


 虚無を受け入れる覚悟を決め、ヴァイスゲイルに相対する。


 ──その瞬間。


 ヴァイスゲイルの巨大な口がやおら蠢き、赤黒い光がその口元に収斂しはじめた。


 ──精霊波だ……!


 全身の血が逆流するような感覚。

 脳汁が出まくってテンションがブチ上がる。


「来たァ! 待ってたぜ、それェ!」


 俺は両手を前に突き出し、精霊波を受ける体勢をとった。


 ……実は、この精霊波。物理属性だから、カウンターが効くのだ……!


 カウンターの発動確率は、50%。

 跳ね返せば、間違いなく勝てる。

 失敗すれば、消し炭も残らねえ。


 死ぬか、生きるか。

 乾坤一擲。


 覚悟を決めて、収斂する赤黒い光を見据える。


 その瞬間、なぜか俺は妙な高揚と、多幸感に包まれていた。


 真に生きている実感。


 ゲームだとか、イベントだとか。そんなことは関係ねえ。


 ただ、俺という18年の人生が消えるか、それとも続くのか。

 その一事のために全賭けする。その行為に対する高揚感が、全身を駆け巡る。


 今死ぬなら、悪くない。


 そんな考えすら脳裏をよぎる。


 精霊波が、放たれた。


 邪悪の波動が、俺の身体を消し飛ばそうと迫る。


 俺の掌に今まさに触れようとしている。


 死の衝撃に、身構える。


 しかし、掌に感じたのは、弾けるような心地よい手応え。


 それは、紛れもなく──。


 ──発動した!

 カウンターだ!


 精霊波の禍々しい濁流は、その勢いを失うことなく、ヴァイスゲイルに向かって逆流する。


「くたばりやがれ!! ヴァイスゲイル!」


 精霊波の赤黒い光線の中に、ヴァイスゲイルの禍々しい身体が飲み込まれる。


 闇の濁流の中から、声にならない悲鳴が聞こえた。

 長い長い悲鳴だった。


 その悲鳴が止む頃には、精霊波の濁流も細くなり、やがて途切れた。


 ヴァイスゲイルの姿は、消失していた。


 奴がいた場所には僅かな消し炭が漂っていたが、それもすぐに散り散りになって消えた。


 肉体を失った残留思念は、空気に溶けて霧散する。

 これで、向こう百年は復活できまい。


 ……勝ったんだ。俺は。


 俺は、勝ったんだ……!

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