第二十九話 アルバトロス山侵攻
森の中を、駆ける。
宵闇に暗く染め上げられた木々が、視界の奥から端に向かってすっ飛んでいく。
増強された脚力は、山道をものともせず、俺の身体を上へ上へと運び上げる。
時速20キロは軽く出ていると思う。宝珠によって強化された身体能力によって、俺はありえんくらいの速さでトレイルランニングを決めている。
──結局、宝珠は俺が使うことにした。
クレセントと合流してからイルゲイルを倒すとなると、時間がかかりすぎる。
敵の部隊は、既にヴァルチャーの街に攻撃を仕掛けている。
被害が少ないうちに、敵将の首を取って、この戦いを終わらせたかった。
イルゲイルの居場所は、おおよそわかっている。
敵の方針はこうだ。
王都の正面に通じるオウル山道から、陽動の一部隊を派遣する。オーガや竜人を主力にした精強な部隊だ。
警邏や国軍がそちらに気を取られている間に、イルゲイル率いる本隊がラプター山道から回り込んで、裏から王城に入る。そういう算段だ。
そのラプター山道を、今俺は駆け上がっている。
切り立った崖に挟まれた、急峻な山道だ。
つづら折りの道だが、崖が急すぎるため、ショートカットできる箇所はない。
愚直に急勾配を駆け上るしかない。
曲がり角を曲がること幾度目か。
目を上げて坂道の先を見る。
──見つけた。
魔王軍の軍列だ。
二列縦隊で歩む人型の姿が、反対側の折り返し近くに動いている。
あの中に、イルゲイルがいる。
だが、先頭を歩くオーガ達の身体がでかすぎて、後続の様子がよく見えない。
──強行するしかないか。
決断してから行動まで、0.1秒も要しなかった。
俺は正面から猛然と敵軍列に突っ込んでゆく。
みるみるうちに、敵軍列との距離が詰まる。
敵先頭のオーガが、俺の姿に気づいて武器を構える。
前列の二匹は、それぞれの手に歪な形の棍棒を握っている。
その棍棒が振り下ろされる頃には、俺はもう彼らの脇をすり抜け、彼らの背後に駆け抜けていた。
こんな体力バカ共を、真面目に相手なんぞしていられない。
狙いはイルゲイルのみ。雑兵と戯れている暇はない。
オーガの背後に控えていたのは、主戦力のオーク達だった。
俺はようやく剣を抜き、駆け抜けざまに切りつける。
何匹かの首を切った。肉を引き切る手応えがあった。
だが、確かめるために後ろなど向かない。
前だけを見る。
と、突然、一匹のオークの背後から何か小さなものが高速で飛んできた。
剣の柄で受け流す。
投げナイフだ。
眼前のオークを斬り伏せ、引き倒す。
すると、ナイフの持ち主が姿を現した。
「単騎で突っ込んでくるたあ、い〜い度胸だなァ、オイ!」
山羊みたいな角を頭から生やした、小柄な男だ。肌は漆黒。髪は銀。
魔族のイルペインだ。
ここにイルペインがいるということは──。
俺はとっさに飛びすさる。鼻先を、黒い塊が通り過ぎてゆく。
凄まじい破裂音とともに、地面が揺れ、土が弾け散る。
巨大な鉄棍。それを持つのは、イルペインと同じく黒い肌を持つ巨漢。
魔族・イルクルーエルだ。
イルクルーエルは、無表情のままギロリと俺を睨みつける。
「兄者の攻撃をかわしやがった! こいつ手練れだぜェ!」
イルペインが、ヒャハハと甲高い声で笑いながら、ピョンピョンと飛び跳ねる。
魔族のイルペイン、イルクルーエル兄弟……! こいつらに連携されると、宝珠持ちでも難儀する。
こいつらは、無視して進めない。
だから──。
俺は、剣を鞘に収めた。
そして、電撃のように動いた。
速攻で料理してやる。
まずは、鈍重なイルクルーエルから。
「兄者ァ! 左だ!」
「ぐおっ!」
兄のイルクルーエルの腕を掴んで、一本背負いをかます。やつの頭が地面を向きかけた瞬間、掴んだ手を離して投げ飛ばす。すると、やつの身体は数十メートルもある崖の下に落下していった。
単独で残った弟のイルペインに向き直り、猛然と突進する。
飛び道具を使うこいつを放置すると厄介だ。俺はイルペインの間合いの中にまで飛び込み、腕を掴んで脇の下に挟み込んだ。
ゴキ、という鈍い音と共に、イルペインの腕がありえない方向に曲がる。
「グアあああァァァァッッッッ!」
のたうち回るイルペインの足首を掴み、崖下に向かって放り投げる。
「ち、チキショオォォォォ……!!」
イルペインの悪態が、ドップラー効果とともに遠のいていく。
魔族は空を飛べない。運が良ければ生きていられるだろうが、ここに戻って来るまでには時間がかかる。
周囲にはオークの群れ。
奴らは遠巻きに俺を取り囲み、じりじりしている。立ち向かってくる様子はない。
と、そこに、一喝する声。
「待て! その男に手を出すな」
ついに、真打ち登場か。俺は声のした方に首を巡らす。
群青色のマントを羽織った黒色肌の美男子が、おもむろに近づいてくる。
その頭部には山羊のそれのような角。銀糸の如き長髪。
間違いない。魔将軍イルゲイルだ。
イルゲイルは俺の向こうにいるオーク共を睥睨し、静かに命じる。
「離れていろ。『
それからやつは、俺の方に向き直り、忌々しげに牙を剥いてみせた。
「よもや宝珠を手にする者が、アルバトロスの国に現れるとはな。試練が形骸化し、誰も宝珠を手にしようとしなくなった頃に、この国を急襲して滅ぼす算段だったが……」
対する俺は、不敵に笑ってイルゲイルを睨み返す。
「そうは問屋が卸さねえってこった。お前はここで死ぬんだよ、魔将軍イルゲイル……。いや、精霊の残留意思ヴァイスゲイル!」
「……貴様、なぜその名を……」
イルゲイルは怪訝そうに眉根を寄せる。
魔将軍イルゲイルというのは、こいつの仮の姿だ。
真の姿は、別にある。
精霊の残留思念──。これについて説明するには、この世界の成り立ちから語らなければならない。
この世界は、かつて一つの精霊によって支配されていた。
精霊は、自らの身の回りの世話をさせるため、この世に二つの種族を生み出した。
それが、人間と、魔族だ。
人間は知恵で精霊を補佐し、魔族は力と魔力で精霊を助けた。
三種族はしばらくの間、互いに助け合い平和に暮らしていた。
だが、いつしか人間が自らの境遇に不満を抱くようになった。
精霊は最初に自分たちを生み出した他は、特に何を生み出そうとせず、自分たちに奉仕を要求するばかりだ、と。
そしてある日、人間達のそうした不満を背に受けて立つ者が現れた。
魔術師ルーン。勇者の祖先だ。
ルーンは全魔力を使って小さな異界を作り出し、その中に精霊を圧縮封印した。
そして、異界そのものを七つに分割して宝珠とし、それぞれを七つの大国の国宝として管理させた。
魔族と人間は、この出来事以降、不倶戴天の敵としていがみ合っている。
魔族にとって人間は、敬愛する神を封印した仇敵なのだ。
それが、このゲームのバックストーリーだ。
ヴァイスゲイルは、一つの宝珠を七つに分割した際に生じた欠片だ。
欠片に宿った精霊の残留思念が、魔族イルゲイルの肉体と精神を乗っ取っているのだ。
宝珠には及ばないとはいえ、圧縮された精霊の力の塊だ。
その力をもってすれば、一国を滅ぼすことなど造作もない。
だが、宝珠を手にして立ち向かわれれば、いかなヴァイスゲイルといえどひとたまりもない。
ゆえに奴は──精霊は、虎視眈々と狙っていたのだ。
宝珠の封印が形骸化し、人々が己の脅威を忘れるその日を。
俺は腰の剣を再び抜くと、その切っ先をイルゲイルの鼻先に突きつけた。
「はやいとこ、真の姿を見せろよ。第一形態をすっ飛ばして、とっとと戦いを終わらせてーんだ、俺は」
ぐにゃり。
イルゲイルの顔面が、熱した飴のように歪む。
「……貴様が何者かハわからヌが……」
群青色のマントを突き破り、全身から触手が這い出る。
「……ここで殺さネばならん存在でアることだけハわかル。……ワカル……。ワかルゾォォォォオオオオオ!」
姿を現したのは、もはや人型を保たぬ異形。
内蔵じみた肉塊から、無数の触手が生えて蠢く。
およそ生き物とすら呼び難い、おぞましい化け物。
それが、精霊の残留意思・ヴァイスゲイルの真の姿だった。
肉塊の中央には、牙の生えた穴が空いている。
その穴が、やおらヒクヒクと蠢いた。
かと思うと、赤黒い光がその穴の中央に収斂し始める。
……精霊波──!
この光の収斂は、精霊波の準備モーションだ。
精霊波とは、ヴァイスゲイルが持つ、物理属性の固有スキルだ。
命中すれば9999の最大ダメージになる。ぶっ壊れスキルである。
生身の人間が喰らえば、即死。消し炭も残らない。
しかし、この技はモーションがわかりやすいので、気をつけていればまず当たらない。
宝珠を持っていれば、なおさらだ。
発生を確認してから鼻をほじっててもかわせる。
この技には、こちらにとってもいろいろな活用法がある。
その最たるものは、雑魚掃討だ。
……実演してみせよう。
俺は山道の真ん中に仁王立ちになり、ヴァイスゲイルの口に相向かう。
背後には、無数のオーク兵。
──あとは、もうわかるな?
ヴァイスゲイルの口に収斂していた光が、ふいに消失する。
その瞬間、俺は敵の側面に向かって飛び出した。
直後、激しい衝撃音と共に、赤黒い光条が、ヴァイスゲイルの口から噴出。
俺の背後にいたオーク共は、避ける間もなく直撃。
オーク共には、悲鳴を上げる暇すら無かった。
光条が細くなり、やがて消える。
坂道の下を見る。そこに、オーク共の姿はもはやない。
精霊波によって削られ、半筒状にえぐれた地面があるばかりだった。
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