第五話 仕事完了の報告

 街に戻った俺達は、すぐに街の様子の違いに気がついた。


 その微妙な変化にいち早く気付いたシルクが、鼻をひくつかせる。


「ニャんだか、街の様子が変だニャ」

「ああ。なんだろうな」


 街の人々は妙に興奮した様子で、目を輝かせて噂話に花を咲かせていた。

 もちろん、俺にはその理由がわかっている。デバッガーとして何度もプレイしたゲームだからな。


 だが、現時点ではシルク同様俺も事態を把握していないテイなので、わからないふりをしてやり過ごしていた。いわゆる、ロールプレイというやつだ。


 酒場に戻るや、俺は早足でカウンターに近づき、グラスを拭くマスターに声を掛ける。


「マスター! 話がある!」


 マスターは相変わらずの無愛想で、横目に俺を見やった。


「よう、ジェイド。仕事は終わったのか」

「ああ」

「そうか。現場には、後で確認に行かせる。ちゃんと化け物共が退治されていることを確認できていれば、報酬を渡す。それで良いな」

「ああ。──それよりマスター、聞いてくれよ」

「勇者の話か?」

「勇者?」

「なんだ、知らんのか。勇者が街にやって来たらしいぜ。この街にだ」


 知るか知らんかで言えば、当然、俺は知っている。


 この世界の人間生活は基本的にAIによって自律的に営まれているが、『イベント』は開発者によって人為的に組まれたものだ。


 そして、イベントの開始条件は、基本的にプレイヤーである勇者の行動いかんにかかっている。


 魔将軍イルゲイルがこの街の付近に到達したということは、必然的に、勇者もこの街に来ているということに他ならない。


 だが、俺は敢えて首を横に振った。


「知らん。というか、もっと重要な話があるんだ」

「重要な話?」


 今度は、首を縦に振ってみせる。


「ここに来る途中の渓谷で、魔王軍が陣を張っているのを見た。俺とシルクがこの目で見たんだ」

「おい、そりゃ本当か」

「残念だが本当だ。なあ、シルク」

「ああ、ジェイドの言う通りだよ」


 あくまで真摯な態度で、シルクも俺に同調する。


 すると、にわかにマスターの表情が曇った。シルクが言うからには、本当だと確信したのだろう。


「馬鹿な。魔王軍なんて……。なんで、この街に……」

「おおかた、狙いは『青の宝珠』だろう。最近は、魔王軍が宝珠を狙って動き始めていると聞くからな」

「だが、当の宝珠の力があれば、魔王軍なんぞ鎧袖一触だろう?」

「そうだな。──宝珠を有効活用できればの話だが」


 確かに、宝珠があれば、魔王軍を倒すことなど造作もない。


 だが、その宝珠を誰も手にしようとしないまま、戦いが始まってしまったらどうなるだろう?


 魔王軍はその圧倒的な力で、無抵抗の住民を鏖殺してゆくことだろう。


 これが、このイベントの負けパターンだ。


 誰も宝珠を手に取ろうとしないまま、負ける。


 そんな不吉なイメージが脳裏をよぎったか。

 マスターの喉が、ゴクリと鳴った。


 事情通のマスターが、宝珠を巡る政治的な葛藤を知らないはずがない。俺の言葉の意図を理解したということだろう。


 俺はカウンターに身を乗り出して、押し込むように言った。


「──マスター、ギルドと連絡を取って、めぼしい冒険者を引き止めておいてくれ。街が襲われた際の防衛に、少しでも戦力があったほうが良いからな」

「……それは、本当に魔王軍が来ているか確かめてからだ。お前の仕事の成果を確認するついでに、渓谷の様子も見させよう」

「ああ、それでいい。だが、気をつけろ。絶対に見つかるな。見つかったら確実に殺されるからな」


 マスターは嫌そうに顔をしかめて、俺から顔をそらす。

 実際のところ、この男が、今の俺の指示を忠実に実行するかは怪しい。


 利己的な彼の性格なら、魔王軍の接近をその目で確認した瞬間、取るものも取り敢えず避難の準備に取り掛かるはずだ。


 まあ、別にその点はどうでも良い。有力な冒険者が残ってくれようがくれまいが、大勢に影響はないのだから。


 だが、俺もこの世界の住人であるからには、一応それらしく振る舞う必要がある。


 後ろに控えていたシルクが、俺の背に触れて不安げに問うてきた。


「どうするんだ? ジェイド……」

「俺は王城に報告に行く。シルク、お前はもう帰って休め」

「……休めるわけニャいだろ」

「心配すんな。王と六諸侯に報告すれば、宝珠を使って魔王軍なんか鼻息だけで追い払ってくれるさ」

「そ、そうだよニャ……!」


 シルクは自分自身を安心させるように、無理やりな笑顔を作ってみせる。


 だが、俺のこの言葉は、残念ながら気休めだ。

 報告だけでイベントが終わるなら、ゲームにならないからな……。



 ◯◯◯◯◯◯◯



 魔王軍の到来を報告するため、俺は王城の衛士詰所に向かった。


 夜になると、王城の門は閉ざされる。だが、俺は近衛兵という立場もあり、脇の通用口から城壁の中に入ることができた。


 詰所は城門にほど近い場所にある、二階建ての石造りの建物だ。

 庇の付いた小窓から、中の灯りが漏れているのが見える。

 詰所には、必ず当直の責任者が待機している。そういう規則だった。

 俺は入口の木戸を数度たたき、声を張った。


「失礼します。近衛兵ジェイドが参りました」


 すると、間をおかず、中から声が返る。


「ジェイドだと? ……良いぞ、入れ」


 詰所の中では、数名の近衛兵が机を囲んで待機していた。

 向かって一番奥の席に座るのが、当直の責任者である隊長代理だ。

 彼は机の上に広げた地図から目を上げ、怪訝そうに俺を見た。


「ジェイド。今日は非番だったのでは?」

「喫緊で報告すべき事項があり、非番ではありますが参じました」

「なるほど。して、その報告すべき事項とは?」

「魔王軍が、アルバトロス山中に陣を敷いております。連れの猫人によると、魔族三体を含む中隊規模の部隊とのことです。陣容にはオーガや竜人も多数含まれておりました」


 この報告を聞くや、詰所内の兵士達に狼狽の気配が漂い始めた。

 隊長代理は眉間に皺を寄せて呻く。


「……あの男の言葉は、真であったか。……では、あの男は本当に……」


 その独り言の意味するところを、俺は既に知っている。

 だが、あえて知らぬふりを決め込んで、尋ねた。


「あの男とは?」

「夕刻に王城を訪れる者があったのだ。クレセントと名乗るその男は、『勇者』を自称し、王への面会を求めた。危機が迫っている故、至急お目通り願いたいと」


 まさに、ゲームのイベント通りの展開だ。


 プレイヤーである勇者は、王都に至る道中で、魔将軍イルゲイルの軍陣を目撃している。

 そこから王都襲撃を察知し、先回りして知らせに来た。


 ……というのが、これまでの経緯いきさつのはずである。


 ──プレイヤーが寄り道とかしていなければ。


 俺は隊長代理の言にうなずきを返す。


「勇者クレセントといえば、西方の王国で魔族の首級をあげたと噂される人物。本物であれば、まさに名にし負う勇者。──して、王様は謁見なされたのですか」


「うむ……。しかし、王様にはあの男を勇者と見極めることができかねた様子。無理もあるまい。あの男を勇者と証だてするものは何もない。王国での実績が、何一つないのだ」


 この情報には、メタ的な要素が含まれている。

 いずれ詳らかになると思うが、この一連のイベントを勇者がこなすには、名声のステータスも重要な要素になってくる。


 名声を上げるには、俺がやったように、冒険者としての仕事をこなしていくか、あるいはサブイベントをこなしていくしかない。


 しかし、プレイヤー=勇者はこのアルバトロス王国に入ってから、一度も冒険者としての仕事を請けず、最短ルートでここまでやってきたのだろう。


 お陰で、王国内で実績らしい実績も残さず、名声は最低の状態にある、と。


 状況はどうやら、あまり芳しいものではなさそうだった。

 隊長代理は言葉を続ける。


「よって、王様は六諸侯に招集をかけ、諮問される運びとなった」


 六諸侯というのは王の寵臣たる六人の諸侯のことだ。


 自分で何も決められない無能な王は、困ったことが起きるとすぐ、この六諸侯を呼び出して意見を聞こうとする。


 今回も、勇者の真贋を見極めるために王様が六諸侯に頼ったというわけだ。


(さて、ここからだ)


 俺は深呼吸を一つしたのち、おもむろに申し出た。


「円卓の会議……。その場に、私も同席できないでしょうか」


 隊長代理はしばしの間思案していたが、やがて静かに首を縦に振った。


「……魔王軍について情報を持っているお前なら、適任かもしれんな。しかし、求められぬ限り、余計な口出しはせぬようにな」


 俺は心の中で快哉を叫んでいた。

 なんたって、俺はこのイベントに立ち会うためだけに、近衛兵になったのだから。

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