第三話 スライムスレイヤー

 依頼の洞窟は、典型的な溶岩樹型の洞窟だった。


 倒れた巨木の上に溶岩が流れ込み、その溶岩が冷えて固まった後、木だけが朽ち果て穴が開く。


 その穴が風化で広がって、大きな洞穴を形成していた。

 最深部は木の根の部分にあたるため、最も広い。

 その最深部に、今、俺とシルクの二人はたどり着いていた。


 松明の灯を背に受け、ヌラヌラと光る壁を見据える。

 壁には、クラゲのように蠢く円状のモノが張り付いていた。

 スライムの核だ。


 俺は壁に近づいてゆくと、何の躊躇もなく剣を引き抜き、その核を穿った。

 刃に貫かれた核は何度かビクビクと痙攣した後、力を失って溶けて消えた。

 すると、周囲の核が蠢き出し、スライムの粘液が剣の刃を伝って俺の手の方に這い寄ってきた。


 俺は剣を振るってその粘液を払いのけ、別の核を穿つ。

 それを幾度も繰り返す。単純作業だ。

 最後の一匹を剣の切っ先で突き倒して、俺は大きくため息をつく。


 スライムの倒し方は、簡単だ。

 剣の切っ先でスライムの核を破壊すれば、容易に絶命できる。一撃だ。

 だが、この手の雑魚退治というのは、とにかく敵の数が多い。


 一つの空間におおよそ8~10匹程度が群れをなしていて、そいつらを一匹一匹剣で突いて倒さなければならない。それが地味に面倒くさい。


 その上、一匹を相手にしている間に、他の個体がこちらに襲いかかってくる。


 スライムの攻撃方法は『消化』だ。肌に纏わりついて、じわじわと皮膚を溶かしてくる。


 酸性の粘液はさほど濃度が高くないため、人体に付着しても直ちに影響はない。


 だが、放置していれば、普通に肉まで溶かされる。


 雑魚敵とはいえ、侮りすぎると殺される。スライムというのは、そういう類のモンスターだった。


 松明の灯りで照らされた洞窟の壁面は、死んだスライムの粘液でテカテカに光っている。


 松明を持っているのは、シルクだ。彼女はもっぱら戦闘には参加せず、俺のサポートに回ってくれる。


 ぐるりを舐めるように松明で照らしてから、シルクは俺に向かってのんびりと尋ねてきた。


「終わったかニャ?」

「ちょっと待て……」


 俺は、ある呪文を心の中で唱える。


 ──即時展開、『カレントフィールド』フィルター『敵の数』


 すると、洞窟の暗闇の中に、光り輝く文字列が浮かび出た。



『敵の数:0』



「……オーケー。全滅させたと思う」


 それから、今度は別の呪文を心の中で唱える。


 ──即時展開、『セルフステータス』フィルター『戦闘回数』



『戦闘回数:232』



(戦闘回数250まで、あと18回、か。こちらは余裕だな。問題は……)


 俺はさらに追加の呪文を唱える。


 ──即時展開、『セルフステータス』フィルター『名声』



『名声:50』



(名声が圧倒的に足りない。間に合うか……?)


 俺がその文字をじっと見つめつつ思考を巡らせていると、シルクが不思議そうに首をかしげて尋ねてくる。


「ニャあ、アンタちょくちょくそうやって何も無いところを見てるよニャ。何を見てるんだ?」


 そう。シルクには、この文字列が見えないのである。

 俺はとぼけてこううそぶく。


「猫科だって、よく何も無いところを見てるだろ」

「あれは、気配を感じたから注意して見てるだけだよ。アンタは何も無いところをただ見てる」

「俺も似たようなもんだ。洞窟内の気配を探ってたんだよ」

「ほーん……そうニャんだ……」


 納得しかねるとでも言いたげに、シルクは目を細める。


 しかし、そんな疑念まじりの視線などどこ吹く風。俺は足早に、来た道を引き返し始めた。



 ◯◯◯◯◯◯◯



 洞窟を出ると、山の風景は茜色に染まっていた。

 退治依頼は、だいたい半日作業だ。結構時間がかかる。


 ──間に合うかな……。いや、間に合わせなければ。


 頭の中で運命の日までの行動を逆算する。

 それは既に何度も繰り返した思考だったが、幾度やっても安心はできない。


 俺は決して誤ってはいけないのだ。


 山道を下りながら、つらつら考え事をしていると、隣を歩いていたシルクが気遣わしげに声をかけてきた。


「ずいぶん戦ったねえ。アタシが見た限りでも、もう百回は戦ってるんじゃニャいかニャ」

「その倍はやってるぜ」


 答えて俺はニヤリと笑う。

 シルクは目を細めて笑っていたが、やがて真顔に戻って問うてきた。


「……そろそろ、本当の目的を教えてくれニャい?」

「本当の目的?」

「だって、おかしいだろ。アンタほどの男が、あんニャしょうもニャい仕事……」

「お前もしつけーなあ。趣味だって言ってんだろ」

「違うね。アンタには、何か大きニャ使命がある。アタシにはわかるんだ」


 シルクはそう言うと、鼻をひくつかせながら、黄昏色の空を見上げた。


「アンタと出会った時のこと、今でもアタシは夢に見るんだ。この山で仲間とはぐれて、オーガ二匹に襲われてさ、あの時は流石に死んだと思ったよ。でも、アンタが現れて、二匹ともその剣で散々突いて殺しちまった。ああ、勇者様ってのは、本当にいるんだって思ったよ」

「その話もよぉ……」

「話すニャって言われたって、何度だって話すよ。あんニャに感動したのは、人生で初めてだったんだ」


 それは、俺が雑魚敵退治を始めてしばらく経った頃のことだ。


 この山の別の場所でスライム退治をこなして帰る途中、俺は褐色の鬼・オーガに襲われる白い猫人の姿を見かけた。


 オーガは人間に敵対する害獣の如き存在であり、対する猫人は、この世界では人間の味方で通っている。どちらに味方するかなど、自明のことだった。


 スライムばかり倒しているといっても、退治依頼を何度もこなしていれば、自然と力はついてくるものだ。


 俺はその時点で、既にオーガ程度なら無傷で倒せる能力を手に入れていた。


 オーガは体力があり、人間の腕力で一度刺したくらいではそうそう死なない。


 そして、やたらと膂力があり、攻撃が当たれば良くて骨折、悪けりゃ首の骨を折られて即死だ。


 だが、いかんせん、動きが鈍重なのだ。俺の素早さであれば、奴らの攻撃が当たることはほぼない。


 時間こそかかったものの、俺は二匹のオーガから彼女を救うことに成功した。


 それ以来、彼女は俺の相棒としてずっとそばにいてくれている。


 正直、彼女の存在には助けられる事が多かった。


 何より、一見地味な俺の戦いに、唯一飽きも呆れもせず付き合ってくれる。それが、俺にはありがたかった。


 ことあるごとに出会った時の話をしてくるのは、若干うっとおしいものの、それに目をつぶれば、最高の相棒だ。


 目を輝かせながら、シルクは語る。


「アタシもさ、いつかアンタみたいニャ、かっこいい女にニャるんだ。誰かのために力を使えるようニャ、強い女にニャりたいんだ」


「その意気や良し! だけどよ、俺のことを下から見るのはやめてくれよ。お前は俺の相棒であって、召使いでも子分でもお先棒担ぎでもねえんだから」

「わかってるよ」


 シルクは親しげに目を細め、笑ってみせた。

 と、その時、彼女の長く立派なヒゲがピクリと動いた。


「待って、ジェイド。妙ニャ気配がする」

「……何?」


 索敵はシルクの十八番だ。俺は反射的に気配を殺し、彼女の行動に倣う。


 彼女は道を外れ、ゆっくりと灌木の中に分け入ってゆく。俺は息を殺し、その後に続く。


 灌木林を抜けると、突然地面が途切れ、紺碧の宵空が眼前いっぱいに広がった。


 途切れた地面の先は、崖だ。


 シルクは身を伏せ、崖の縁から頭を少しだけ出して、下を覗き込む。俺もその隣から頭を出して、崖下を覗き込んだ。


 眼下の谷底に、渓流沿いの平地が見える。

 その平地に、無数の動く影が見えた。

 だが、宵闇にまぎれて、人間の俺の目にはよく見えない。


「……何かいるな。シルク、見えるか?」

「シッ……!」


 猫人は夜目が利く。彼女は黒目を真ん丸にかっ開き、しばらくのこと谷底を凝視していた。

 やがて、彼女の喉が震え声を漏らす。


「まずいよ、ジェイド……! ありゃ、魔族だ……!」


 魔族。その単語を耳にした瞬間、肌の粟立つのを感じた。


「確かか?」

「ニャ。山羊みたいな角に、真っ黒ニャ肌の人型。そんニャ奴が、三匹もいる。それに、目視できるだけで、オーガが20匹、オークが30匹、竜人も10匹……。皆、きっちり兵装してる。魔王軍だよ、ジェイド……!」


 抑えた声が、震えている。シルクの瞳には、怯えの色がありありと見て取れた。


 魔族一匹ですら、今の俺では手に負えない。

 魔法の一つでも撃たれて、消し炭にされるのがオチだろう。


 さらに、戦闘訓練済であろうオーガや竜人が二桁単位でいるとなれば、俺とシルクの二人だけでどうこうできる相手ではない。


 俺は来た道を顎で指し示し、シルクに後退を促す。


「はやく帰って、皆に知らせよう」

「ニャ……!」


 匍匐しつつ後退する俺の肚の中には、明らかな戦慄が渦巻いていた。


 ──ついに、来やがったな……!

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