第二話 冒険者の酒場
冒険者という生き物がいる。
平穏に日々を暮らす市井の者達にとって、彼らは日常を侵す異物だ。
いつ洗ったのかわからないねずみ色の旅装を身に着け、腰には物騒な得物を下げ、背嚢に全財産を背負って生きる住所不定の存在。
脚色なく評してしまえば、冒険者というのはそのような存在だ。
しかし、彼らが社会の役に立たないただの浮草かと問われれば、答えは否だ。
彼らにだって、一宿一飯を貸し与えてくれた者に対する、彼らなりの仁義というものがある。
そして、その仁義に応えるだけの環境も、この世界にはある。
俺は目抜き通りから裏路地に入り、一目散、一つの店を目指していた。
細い路地のさらに路地の、袋小路にある小汚い扉。それが俺の目指す店だ。
扉を開いて中に入る。中は典型的な酒場の店構えだったが、薄暗い。
カウンターと、島テーブルの一つにランプが置かれている以外、照明らしい照明がない。マスターの性格を如実に反映した、暗い店だ。
島テーブルの周囲には、見るからにガラの悪い連中がたむろしている。
彼らは、この街を居城にする冒険者だ。
冒険者といっても、彼らが世界を股にかけて旅をしたという話を、俺はついぞ聞いたことがない。
下手すると、このアルバトロス王国から出たこともないかもしれない。
それでも、彼らは冒険者を名乗ることができる。
この手の酒場で、マスターから仕事を受けて日銭を稼ぐことができれば、誰だって冒険者だ。
そういうシステムであるから、昼間から酒をかっくらって肝臓の限界に挑戦するような見当違いな冒険をしていても、彼らはれっきとした冒険者だった。
まあ、よほど人手に困ることでもない限り、俺が彼らのようなゴロツキまがいの連中と関わることはないだろう。
俺はひとまず、カウンターの向こうに立つマスターに声を掛ける。
「よっ、マスター」
「……ジェイドか」
マスターはうっとおしそうに俺を見ながら、吐き捨てるようにつぶやいた。
まあ、気にする必要はない。
このおっさんはいつもこういうテンションだ。
不機嫌そうなマスターに怯みもせず、俺は快活に笑って問うた。
「仕事を請けに来たぜ。あるんだろ?」
「ああ、あるよ。お前にうってつけのが。だが、仕事の前に何か一杯飲んでいけ」
「じゃあジンをくれ」
スダン! と、マスターはグラスをカウンターの上に叩きつけ、豪快に溢しつつジンを注いだ。
それから、気だるそうにのそのそと、裏手の事務所の方に引っ込んでゆく。
べちゃべちゃに濡れたグラスをつまみながら、ジンをちびちび飲んでいると、向こうの島テーブルの方からガラの悪い一団が近づいてきた。
先ほど少しだけ触れた、冒険者と呼ばれるゴロツキ共だ。
「いよう、『スライムスレイヤー』殿! 今日も精が出るねえ!」
ボサボサ髪の男が、ニヤニヤと小馬鹿にした笑いを浮かべつつ、俺の顔を覗き込んできた。
コラルという名の、冒険者の端くれだ。
俺は心のなかで舌打ちをしつつ、表面上はにこやかに応じてみせた。
「おう。今日も頑張るぜえ、俺は」
「頑張る必要なんざねえだろ、スライム退治なんてよ。ガキの遊びじゃねえか」
コラルがそう言うと、取り巻きの有象無象共が、ブヒブヒと屁みたいな音を立てて笑い出した。
しかし、俺はあえて言い返すことなどしなかった。
というのも、彼の言葉はあながち間違いではなかったからだ。──ガキの遊びというのは言いすぎだが。
冒険者が街に宿を借りて生きていくにあたり、先立つものを稼ぐ必要がある。
ゆえに、彼らに仕事を斡旋する組織が存在する。その窓口になるのが、こうした酒場だった。
わけても、この酒場は最も難易度の低い仕事の集まる、初心者向けの場所だった。言ってしまえば場末中の場末である。
実際、マスターが提示してくる仕事といったら、宅配だとか買物だとかの誰でもできる仕事ばかり。
退治という種類の仕事は、割合危険な部類に入るが、それでも、この酒場にくる退治依頼といえば、スライムだとか、ゴキブリだとか、そういうものの駆除が主だった。
で、俺はこの酒場で、そういう程度の低い退治依頼ばかりを執拗にこなしてきた。
すると、この酒場にしか居場所のない冒険者連中の間で、俺はいつしか名前が売れ始めた。
その挙げ句、ついたあだ名が『スライムスレイヤー』というわけである。
不名誉この上ないあだ名だが、実際スライムばかり倒してきたのだから、そう呼ばれても仕方がないとはいえる。
酒臭いゲップを吐きながら、コラルが言葉を続ける。
「しっかし、不思議でならねえよ。城にお勤めの近衛兵様がよ、なにが悲しくて雑魚狩りに精を出してやがんだよ?」
いい加減うんざりしてきたので、俺はコラルを睨みつけて吐き捨てるように言った。
「おめーの頭は鳥以下かよ? 何度説明してやったと思ってんだ」
「あんだと!? ゴラァ!」
眦を釣り上げて凄んでくるコラル。
凄んではくるが、実際に喧嘩を売ってくることはない。
なぜなら、スライムといえど退治依頼を大量にこなしてきた俺の方が、彼より圧倒的に強かったからだ。
俺だって、伊達に近衛兵まで上り詰めたわけじゃないのだ。
と、そこに、別の声が割って入ってきた。
「やめニャよ、ジェイド。そんニャこと言ったら、鳥に失礼だろ?」
二足歩行して流暢に喋る大型猫科の女。
よく手入れされた白毛は毛並みもよく、艶があって美しい。
彼女の名はシルクといった。種族は猫人。亜人だ。
この酒場にたむろする冒険者の中では、随一の能力を持っている。本来、こんな場末の酒場に入り浸るべき女じゃない。
シルクはカウンターに腰掛けると、俺に向かって瞼をゆっくり上下する。親愛の合図だ。
シルクがやってくると、コラルはどこかホッとしたように頬をほころばせ、大仰に肩をすくめて文句を言い始めた。
「シルクよお、そりゃねーだろ」
「アンタもいい加減、ジェイドに絡むのやめニャよ。暇かよ働け」
「弱いものいじめしてるようなやつをよぉ、バカにしてよぉ何が悪ぃんだよぉ」
「アンタは飲み過ぎだってんだよ、バカ」
シルクが肉球でコラルの頭をポンと叩く。彼はそのパンチを甘んじて受けると嬉しそうに舌を出し、いそいそと退場していった。
たぶん、アイツはシルクに絡んでもらいたかったんだろうな。
一方のシルクはもうコラルへの興味を失って、俺の方にそのキラキラ輝く瞳を振り向けてきた。
「今日もやるのかい? ニャら、アタシも付き合うよ」
「やる。でも、無理して付き合わなくていいんだぜ、シルク」
「無理じゃニャいよ。手伝いたいのさ」
やがて、カウンターの奥からマスターがのそのそと戻ってきた。その手には、一枚の紙切れが握られている。
「ほらよ。こいつが依頼状だ」
紙に書かれた内容を手早く読んで、その内容を口頭で確認する。
「スライム退治。アルバトロス山の洞窟の中で増殖したスライムを全滅させれば良いんだな。期限は10日後」
「いつも通りのケチな仕事だ。報酬は1,200ゴールドだ。やるかい?」
「当然!」
依頼状を片手で折りたたみつつ、マスターに向かって笑ってみせた。
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