第3話 愛情のベクトル
「ねぇ、香織ちゃん」
「はい」
「今ここでお母さんに連絡取れるかい?」
「お母さんに、ですか?」
「うん」
「どうしてお母さんに……」
「どんな感じのお母さんなのかなって」
「…………」
「連絡しづらいかな?」
「……いえ、ワンさんが望むなら……」
香織ちゃんは自分のスマートフォンを取り出した。
「スピーカー通話にしてくれるかい?」
「……わかりました……」
スマートフォンを操作し、テーブルの上に置く香織ちゃん。
ぷるるるる ぷるるるる ぷるる
『もしもし! 香織なの!?』
「あっ、お母さん。あのね……」
『何時だと思ってるの!』
「あの……」
『門限は九時のはずでしょ! 約束は守りなさい!』
「お母さん……」
『あぁ、もうちょっと偏差値の高い高校の方が良かったかしら!』
「ねぇ、お母……」
『外で変なもん食べたりしてないでしょうね!?』
「…………」
もう返答することも諦めた香織ちゃん。
声を上げず、ただ静かに頬を涙で濡らしている。
『まったく誰の影響なのかしら!』
「もしもし」
『だ、誰!?』
横から声をかけたオレ。
香織ちゃんも驚いている。
「私、香織さんの友人の太一と申します」
『友人!? 男性の!?』
「今、香織さんと一緒におりまして、この通話もスピーカー通話にしています」
『何でそんなことを! 香織、あなた男のひとと何をやってるの!?』
「あ、お母様、誤解なさらないでください。お付き合いしているとか、そういう関係ではありませんので」
『あなたが娘を連れ回しているのね! 早く娘を返して!』
「すみません、それは出来かねます」
『はぁ!? 警察に通報するわよ!』
「では、私は児童相談所に通報します」
『えっ!? どういうことよ!』
「お母様が娘さんにしていることは、虐待に近いです」
『そんなわけないでしょ! 私は娘を愛してるわ!』
「愛してる、か……では、娘さんの進路についてですが」
『そんなの私の言う事を聞いていれば間違いないの! それが幸せの近道なのよ!』
「本当にそれが幸せにつながりますか?」
『なっ! あなた一体何様のつもりなの!』
「私はしがないバンドマンですよ」
『あぁ、なるほど。あなたは親の言う事を聞かなかったのね!』
「まぁ、そうですね。それは否定しません」
『香織、聞いたでしょ! 親の言う事を聞かないと、こんなクズみたいな人間になってしまうのよ!』
母親の暴言に、香織ちゃんは恥ずかしそうにうつむいた。
「実は、僕には兄がいましてね。親の言う事を何でも聞く、とても優秀な兄です」
『見なさい! 親の言う事をきちんと聞いていれば、優秀な人間になれるのよ! あなたのお兄様はご立派ね!』
「でも、兄はもういません」
『えっ?』
「高校卒業を待たずして、兄は自ら死を選びました」
『なんで……』
「兄は私にだけ遺書を残していました」
『遺書……』
「そこにはこう書いてありました」
<俺が自由にできるのは、もうこの命しかない>
ハッとする香織ちゃん。
そうだよ、さっきキミが言った言葉と同じだよ。
「お母様、香織さんと会話していますか?」
『わ、私は……』
「香織さんが高校で何の部活に入っているか知っていますか?」
『…………』
「香織さんが今興味のあることを知っていますか?」
『…………』
「香織さんが将来どんな職業に就きたいか知っていますか?」
『…………』
「香織さんの心が今、限界の淵にあることに気づいていますか?」
『…………』
「先程仰っていましたよね。自分の言うことを聞くことが幸せへの近道だと」
『そ、それは……』
「娘さんのことを何も知らないアナタが、娘さんを幸せにできるんですか?」
『…………』
「なぁ、アンタが幸せにしたいのは一体誰なんだ!」
『…………』
「アンタ、娘をまったく見てねぇじゃねぇか!」
『…………』
「アンタの自尊心を満足させるために娘を利用するのはやめろ!」
『そんなつもりは……』
「普通に生きてりゃ、親の方が先に死ぬんだ。娘の人生にアンタが最後まで責任を持つことなんざ出来ねぇんだよ」
『…………』
「娘さんも小さなガキじゃない。今娘さんは未来に目を向け、将来に思いを馳せて、大人への階段を登り始めてる。一度、話を聞いてあげてくれませんか?」
『………………わかりました……お約束します』
香織ちゃんに笑顔でサムズアップを送ると、嬉しそうに涙を溢しながら何度もうなずいていた。
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