ノヴァの物語8

 あたしはそっと部屋の様子をうかがいに行った。


「ラディ! どういうことだよ? 僕は全然知らなかったけど、人の娘に勝手に手を出して。君にとっても娘だと言ってただろう?」

 あれは抑えているけど、怒っているときの父さんの声だ。

「いや、まだ手を出しては……ないよ。キスくらいはしたけど」

「ラディ!! お前なっ!」

 父さんはおじちゃまの襟をつかんで、拳を振り上げた。

(あ、殴られる)

 あたしは思わず目をつぶった。


 でも、部屋の中は静かだった。

 目を開けて見ると、父さんは振り上げた手を震わせ、そのまま固まっていて、

「ディープ。君の気が済むのなら、殴っていいよ」

 おじちゃまの落ち着いた声がした。

「でも、これだけは信じて欲しい。君がノヴァを大切に思っているのと同じように、僕も彼女を大切に思っている。君にとっては大事な娘で変わらないけど、僕にとっては娘じゃなくなったんだ。信じて欲しい、としか言えないけど」


 父さんは握った拳を下ろして、襟をつかんでいた手を緩め、とんっと、おじちゃまの胸を押した。

「そんなことは言われなくてもわかってる。頭ではね。でも、気持ちが追いついていかない。僕はどうしたらいいのかわからない。喜んでいいのか、怒るべきなのか。とにかく、君にだまされて、裏切られたような気分なんだよ」

「ディープ、ごめん。黙ってて」

「君を思いっきり殴れたらいいのに、と思う」

「僕達がお互いの気持ちを確かめたのは、ごく最近のことだよ。こんな形で驚かせたこと、本当に申し訳ないと思ってる」


 父さんはしばらく黙っていた。

 そして、目を閉じて呼吸を整えて、

「ラディ、ひとつだけ約束しろ。僕をお父さんと呼んだら、絶対に許さない。絶対に、だ」

「約束するよ」

「僕は君を殴りたい気持ちだけど、でも、そうしたくはないんだ。だから、君を殴らないで済むように、しばらく僕の前に顔を見せないで欲しい」

「わかった」

 父さんは小さく言った。

「物分かりの悪い父親で……ごめん」

「こっちこそ、ごめん。じゃあ」

 父さんは部屋を出ていこうとしているおじちゃまの背中に向けて、最後に声をかけた。

「ラディ。あの子のこと、よろしく頼む」

 おじちゃまは黙って片手を上げて、部屋を出てきた。


 部屋を出たおじちゃまは、壁に寄りかかり、手の甲で額の汗を拭いながら、大きく息を吐いた。

「ああ、本当に殴られると思った。あいつ、本気だった」

「父さん、納得してくれたと思う?」

 そう尋ねたあたしに、

「納得? 突然聞かされて、納得なんてできないだろう、普通。努力しよう、努力したいと思っては、いるだろうけど」

 そのとき、父さんの声がした。

「ノヴァ、そこにいるんだろう? 入っておいで」

 その声の調子は、さっきのように怒ってはいなかったけれど、

「は、はい、父さん」

 おじちゃまは、励ますようにあたしの背中を叩いた。


 あたしが部屋に入ると、父さんはなんだかチカラが抜けたように座っていて、

「父さん、ごめんなさい」

 父さんはあたしを見た。

「なぜ、ノヴァがあやまる必要がある?」

「だって、父さん、傷ついたという顔をしているから」

 父さんはかすかに笑った。なんだか淋しそうだった。

「ああ、確かに驚いたけど。僕の方こそ大きな声を出して悪かった」

 

 会話が途切れ、少しして、

「……あの」「……ノヴァ」

 ふたりの声が重なった。あたしは急いで言った。

「あ、父さんからどうぞ」

 父さんは少しためらってから、

「ノヴァ。ハグしていいかな?」

「あ、はい」


 父さんは立ち上がり、あたしを優しく抱きしめた。久しぶりの父さんのハグは、父さんの懐かしい良い匂いがした。

「ノヴァ。反対するつもりはないんだ。ラディはいい奴だし、信頼してる。君を大切に思ってくれているのも知ってる。今までもこれからも、ずっと変わらないことも」

「父さん……」

「でも、今、混乱していて。少し時間をもらえるかな」

「……はい」

「いつのまに、こうして大人になっていってしまうんだろう……。いつだって君の幸せを願っているんだ」

 あたしは少し泣きそうになった。

「ありがとう、父さん」

 父さんはあたしの背中を軽く叩いて、身体を離した。

「ラディに、さっきは感情的になってすまなかったって、伝えてくれるかな」

「はい」


 

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