第9話



 ◇



 ……シエル」

「よう」


 二人掛けの椅子が向かい合っている、列車のパーテーション内。俺がその中から手を挙げると、ルージュは動かなくなってしまった。


 扉を開けた状態で、ぽかんとした顔のまま眉を寄せる。


「……見送り?」

「ああ。聞いたことないだろ? 列車の中から見送るという初の試みだ」

「このままだと、どう考えても一緒に行っちゃうけれど」

「そういうことだ」


 ルージュは眉を寄せたまま、俺の真向いの椅子に座った。


「どういうこと? 貴方も実習訓練に参加するの?」

「ああ、そういうことになった」

「え、ええ……? そういうことになった? 急に? 意味がわからないんだけど」

「俺もわかっていない」


 理屈で説明しろと言われたって、何も言葉は出てこない。

 俺だって自分がここに来た理由はわかってない。なんで俺はこんな列車に、呼ばれてもいないのに一緒に乗っているんだ。


「サボリにしたってここまでする? 過激すぎない?」

「寝るだけじゃつまんなくてな。遠出しようと思って」

「なによそれ」


 緊張に塗れていたルージュの顔が破顔した。それだけでも俺がここに来た甲斐があるというものだ。

 空気が緩和した後、ルージュは顔を引き締めた。


「真面目な話、どういうつもり? どうして貴方はここに来たの? どうしてここに来ることができたの? 何のためにここに来たの?」

「矢継ぎ早に話すな」


 再三言うが、俺だって自分の行動を理解していない。

 どうして俺がこの選択肢を選んだのか――ブランシュにそそのかされたからなのか、虫の知らせがあったのか。理路整然と説明できる自信がない以上、直感的な原因になる。


 ただ――これは逃してはいけない一つのポイントのような気がしている。


「どうしてここに来たか。それは嫌な予感がしたからだ」

「嫌な予感? ……私が死ぬとか?」

「いや、もっと、大きなことだ」


 こんな抽象的なことを言っている以上、ブランシュに感化されたのは一因だろう。彼女がすべての糸口になってしまっている。間違いなく彼女と出会ったせいで、俺の人生の歯車は狂いだしている。


 問題は、狂った状態が良いのか、正した方がいいのかということだ。

 前者でいうのなら、俺はルージュと共に実習訓練に行った方がいい。何故なら、それは”普通の俺が”がとらない行動だからだ。未来で起こりうる不確定要素を打破する行為になるからだ。


 それが行動理由なのだが――これを説明するにはブランシュという存在から話さないといけない。それは面倒だ。信じてもらえるかも怪しいし。


「大きなこと? これから何があるっていうの?」

「わからない」

「もう! さっきから何も教えてくれないじゃない。こんなときもふざけるの?」

「至って真面目だ」


 考えろ。

 ルージュを納得させるのは二の次でいいから、まずは自分を納得させろ。


 覚束ない足取りで進んでいくのが危ないことはよくわかっている。

 ブランシュという存在の目的と、言葉の節節に存在する意図を掴め。そしてその中で俺の目的をはっきりさせるんだ。


 少なくともあいつはブロンの娘で、そして、地獄の未来というものを知っている。

 疑うべきは――あいつは本当に自分の父の不貞をやめさせることが目的なのか?

 そんなことでわざわざ過去に戻ってくるか? そんなこと、なんて部外者が言うべきではないけれど、話していた感じ、そこまでブロンに拘っているようにも見えなかった。ルージュとブロンがくっつくことを危惧している様子もなかった。俺の目から見ても二人がうまくいくとは思えないし、ブランシュもそこは懸念していない。


 だとすれば、ブランシュは何を抱えているのか。何を成そうとしているのか。言葉の裏にどんな考えを有しているのか。

 俺に接触してきた以上、俺に関係しているのだろう。俺という人間になにをさせようというのか。


 掴みかかってでもブランシュに真実を吐かせるべきだった。未来の地獄とやらにそれほどの価値があるというのなら。


 それも今更。列車は動き始めている。途中下車は認められない。

 当然、ブランシュは近くにいない。

 色々と遅かったのか、色々と早かったのか。


「不安そうな顔してるけど、一緒に来ていいの? 戻って怒られたりしないの?」

「……これも訓練をサボるためさ」


 俺は虚栄心とともに、肩を竦めた。



 ◇



 列車は走る。

 多大な煙を吐き出しながら、線路の上を一直線に進んでいく。


 通り過ぎる景色はほとんど平地。学園のある森林地帯を抜けた後はほとんど障害物の見えない道を行く。人里がぽつぽつと見えてきて、人が動いているのも見ることができた。


 窓から顔を出して、遠く先の景色を見遣る。

 この先にあるイコリアという土地は、ただっぴろい平野である。王国東南部に位置するその場所は戦火が及ぶとして危険地帯となり、すでに一般人の非難も完了して、人っ子一人いないゴーストタウンとなっている。戦争用に整理され、どんぱちやり合うには適した土地と言えた。


 他に誰も死なないのだから、と国民は対岸の火事。戦況の認知は薄いとも聞く。

 魔法使いが死んでるんだけど、国民から魔法使いへの目はなかなかに厳しい。化け物同士潰し合ってくれとまで言われているとか。


「結局、貴方は列車に乗ったままなのね」


 視線を窓の外から前に戻すと、ルージュが呆れた顔でこちらを見ていた。


「最初からそう言ってるだろ」

「貴方が口だけの男じゃないって確認できたわ」

「言葉に行動の伴う良い男だってことだな」

「そういう意味じゃないわ」

「これからは俺の言葉に気をつけるんだな。俺はやると言ったらやる」


 ルージュはこれ見よがしにため息を吐いた。


「行動力がありすぎるってのも考え物ね。今まではただ訓練をサボるだけだったから教官たちからは小言で済んでいたけれど、今回のは懲罰ものよ。勝手に学園の外に出て、軍規を破っているわけだから、最悪死刑もありえるかもね」


 不安そうな顔のルージュと視線を合わせて、俺は肩を竦めた。


「そうなったらそうなったさ」

「そこまでしてなんで……。私のこと、そんなに心配だったの?」

「まあな」


 ルージュのこれからについて、懸念することは多い。

 なんといっても、王国始まって以来の”最高火力”を有する魔法使いだ。彼女は魔法使いの戦場を生き残り、将来的には彼女の首の振る方向一つで物事が決まる立場につくかもしれない。実際、ブランシュもそのようなことを言っていたし。


 だとすれば、彼女の行く末を見届けるのが俺の役目でもある。なんてそれっぽい理由付けをしてみたり。


「おまえが思ってる以上におまえは色んな視線を浴びてるってことさ」


 ルージュの顔が赤い。


「……貴方って、随分と友達想いなのね」

「ブロンと友達やってるんだからわかるだろ。俺はあんなクズ相手でも友達をやれる素敵な人間だ」

「とっても説得力のある言葉ね。

 貴方が死刑になりそうになったら、私がなんとかするから」


 その目は真剣だった。

 燃え盛る瞳は、一つの決意を感じさせる。


「例えそれが国の方針でも、私がなんとかしてみせる。友達に報いてみせる」

「どうやって?」

「全てを燃やし尽くしてでも」


 その言葉を聞いて、俺がなんでこの少女についていくという選択をしたか、後追いだが理解できたかもしれない。


 危なっかしいのだ。

 どんなに火力を出せるといっても、ルージュは十代半ばの少女である。この多感な時期、その内面には多くの感情が渦巻いているだろう。


 溢れ出る魔法の力。その爆発を恐れて近づかなかった周囲の気持ちもなんとなくわかる。一度正義を信じれば真っすぐに突き進むこの性格は、良くも悪くも重く力強い。受け止めるには相当な覚悟が必要だ。逃げたくもなるだろう。


 だが、爆発を恐れて逃げだすという行為にも危険が伴っている。どこでどうやって爆発するかわからない。無関心を装うその近くで轟々と燃え盛っているかもしれない。その結果が、ブランシュの言う地獄という可能性もある。


 一人の友人のために世界を燃やし尽くす――この様子を見ていると、ありえなくもない。今回の戦場で仲間が全員死んだとブランシュは語っていたし、その仲間に報いるためにすべてを燃やすのかもしれない。


 俺はルージュの生真面目な性格とブランシュの助言を信じて、あるいは疑って、ここまで来たというわけだ。どちらにせよ、二人に唆されて来たことには変わらない。

 ルージュという怪物の未来を予想し、修正すること。必要以上に周囲を火の海に変えないように。それが王国にとって最良で、俺の役割だ。


 自分の意見がまとまって、少し落ち着いた。

 センチなことを考える性格でもないのに窓の外なんか見たりして、なんだかんだ俺も焦っていたらしい。


 感情が優先される行動は危険だ。その先に何が待っているかもわからない。

 倫理に沿って動くことは大切だ。線路の見えない列車ほど怖いものはない。


「全部、良い塩梅が大事ってことだな」


 大きく息を吐く。

 良かった。俺の意志はここにある。流されているだけではない。状況に応じた判断ができている。現場合わせというのが不安の種だが、なんとかするしかない。


 王国のために、ルージュという少女の行き先を上手く誘導するのだ。


「なに? 勝手に一人で納得しないでよ」

「大丈夫だ。俺の行動は間違いじゃないと思えた」

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