第7話



 ◇



 確信があった。

 今日この日、星空の下で彼女に会うことができると。


 夜、寮を抜け出していつもの場所に行くと、未来から来た少女――ブランシュはすでにそこで座り込んで待っていた。瞳の中に星を映し、銀髪が風に吹かれて揺れている。


 俺の足音を聞いて、振り返る。


「来ると思ってましたよ」

「俺もだ。おまえが来ると思っていた」


 互いに相思相愛だったらしい。嬉しいことだ。

 草木の上に腰を降ろしているブランシュを見下ろすように、俺は彼女の前に立った。


「ルージュが戦場に行く」

「はい。知ってます」

「おまえの思惑通りか? これで彼女はブロンから離れるから、ブロンに近づく女の子を追い払うというおまえの目的は達成される。それでいいのか?」

「そうですね。これでルージュの話は終わりです」


 これで、だの、ルージュの話、だの、色々と含みのある言い方だ。

 どこから突っ込んだら良いものか。


「俺が彼女と関わることで何かが変わったわけでもない。あいつはどうあれ戦場に向かう事になっていた。じゃあ、俺の行動に何の意味があったんだよ」

「あの男がこの短い間でも手を出す可能性もありましたからね」

「本当かよ」


 どこかずれているような気がする。ルージュが戦場に行って話が終わるというのなら、そもそもブロンと逢瀬を重ねたっていいだろう。その時だけの話であれば、介入して止める意味もない気がする。 

 そもそも、当の本人が終わったという顔をしていない。満足そうにしていない。


 時間も惜しい。本題から入っていこう。


「じゃあ俺はおまえの満足いく働きをしたということだな」

「はい。ルージュとお友達になってくれて、感謝しています。これであの男と彼女とがねんごろになることもないです」

「じゃあ、対価だ。おまえの知っている未来を教えろ」

「そういう約束でしたもんね」


 そもそもこいつから言いだした話でもある。嫌と言わせるつもりはない。

 ブランシュは特に顔色を変えることもなく、


「なんでしょうか。一つだけ、答えられるものなら答えます」

「答えられないものってのはなんだ」

「私のことです。私がブロンの娘である、それ以上に何も情報を明かすことはありません。絶対に」


 ブランシュは自身の唇に指を当てた。


「それ以外なら、ある程度なら答えます。一つずつですよ。

 ただし、気をつけてくださいね。未来を知るということは、選択肢を得ると言う事。一つの事象について、答えを知ったうえで悩むということ。知らなければ良かったということも往々にして存在します」


 それはその通りだ。

 知ることで逆に問題が難解になることもある。


 それこそ、俺はブランシュと出会ってしまった。彼女が未来を知っているということを知ってしまった。だからこそ、ブランシュに会って話を聞くという選択肢がうまれているわけで。ブランシュと出会わなければルージュのことを聞くこともなかったし、そもそもブランシュと話していることもなくて――ここまで悩むこともなかった。


 ただ、それはそれ、これはこれ。

 人生は一つしかない。これは”ブランシュと会った”俺の人生なのだ。ブランシュと会わない人生を知らない以上、これが唯一にして絶対の在り方。知ったとしても知りえなかったとしても、そのまま生きていくしかない。


 そして、知ったのなら、知ったなりの人生を歩んでいくべき。使えるものは何でも使っていく。


「ルージュは戦場でどうなるんだ?」

「聞くのはそれでいいんですか? もっと色々と教えてあげられることはありますよ」

「ああ」


 手の上で踊らされている気がする。

 ブランシュと出会わなければ、ルージュと触れ合うこともなかったわけで、こんな質問も生まれなかった。

 すべてはこの女から始まっている。その枠の中で動くというのは癪に触るが、さっきの通り、それが俺の人生。もう、そうなってしまっているんだ。だったら、その中で最善を尽くしていくしかない。


 ブランシュは少しだけ口角を上げた。


「でも、不思議ではありません。シエルさんならルージュのことを聞くと思いました」

「俺のことを知ったように言うな」


 ブランシュは俺のことをじっと見てから、優し気に微笑んだ。


「そうですね。私はきっと、貴方のことを何も知らない」


 そんなこと毛ほども思っていないような顔で笑う。


 このタイミングで俺とブランシュとの関係を聞くべきだっただろうか。ブロンの友人である俺と、ブロンの娘である彼女と、二人の関係はそれくらいのはずなのに、彼女は俺だけにアクションをかけてくる。


 俺は彼女にとって何なのか。

 一人の男を中心に、しかし本人を蚊帳の外に、物語は動き出している。


「悩ませる材料を増やしてくれるな。ルージュのことをさっさと答えろ」

「わかりました。ルージュ・コレールのこれからについてですが、大丈夫ですよ。貴方の心配は杞憂です。彼女はここでは死にません。戦場にて生き残ります。優秀な戦果を挙げて、順調に魔法使いとしての道を歩み始めます」


 予想外の話に少し拍子抜けした。

 極論、死ぬのかと思っていた。以前、ブランシュが殺したくなるとも言っていたし。このタイミングで戦場に向かうともなれば、戦場で死ぬからどうでもいいという意味なのかと邪推していた。


 いや、違う。

 最初っから、ルージュはここでは死なない。

 ここで死んだのなら、彼女は何も残さない。


 ブランシュが言葉通りブロンの娘で未来から来たというのなら、彼女が生まれて自我を持つのはもっと先。直接会ったにせよ間接的にせよ、ルージュが他者――それこそブランシュに影響を及ぼすのは、直近の話ではなく更に先のことなのだ。


「その後も教えろ。戦場で生き残って、魔法使いとして優秀な彼女は、何をするんだ」

「そうですよね。これで満足してくれるような人ではないですよね」

「ルージュのことを殺したい相手だと、おまえ自身が言ったんだ。自分の発言には責任を持たないとな。二人に何があったんだ」

「その先は別料金です」


 俺は黙って睨みつけた。

 ブランシュは気まずそうに目線を逸らして、


「怒らないでください……。シエルさんの圧力は強いんですから。おまけですよ?

 ルージュ・コレールは今回の戦闘をきっかけに数多の戦争で活躍し、魔法使いの代表ともいえる立場につきます」

「それ自体はいいことじゃないか。何が問題なんだ」

「それはつまり、数多の人間を屠ったということです」


 空気が緊張感を帯びる。


 ブランシュは空虚な瞳で空を仰いだ。


「ルージュ・コレールは魔法使いとして才能がありました。それはつまり、人を殺す才能。殺戮者としても優秀でした。眼前の敵をすべて燃やすことができて、実行した。敵国の魔法使いも含めた、自分を邪魔するすべてを、彼女は燃やし尽くした。そして彼女の優秀さは、そのまま地獄を引き起こすんです」

「地獄?」

「これ以上は口が裂けても言いません」

「拷問にかけてもか?」

「相手がシエルさんでもです。知ることが罪になることもあるのです」


 確固たる瞳。

 どうあがいても譲るつもりはないようだった。


 聞いたはいいが、余計にこんがらがってしまった。

 ブランシュが嘘をついている可能性は? しかし、嘘をつく理由もない気がするし、ここまで表情を変えずに虚実を並べ立てられるものか?


 未来に何が待ち構えているっていうんだ。

 最強の魔法使いがいるんなら、この戦争に王国が勝つ。それで終わりじゃないのか。


「……まあ、どうでもいいんだけど」


 俺は回転し続ける頭脳に休養を告げた。

 どう転がろうが、俺には関係ないことだ。俺はブランシュに対して義理を果たしたし、ルージュとは別れの挨拶も済ませている。

 どちらも俺の十数年の人生の中で見れば、すれ違ったくらいの短い時間だ。そんな俺の人生に影響を及ぼさない瞬間にこれ以上脳みそを使用することもない。


 この話はこれで終わり。


「もう一つだけ」


 ブランシュは日和見を決め込もうと決めた俺に、余計なことを言おうとしていた。


「今回の実習訓練、ルージュ・コレール以外の魔法使い候補生は全員死にます。彼女はそれら死体を前に自分の責任と義務を自覚して、自身の力を開花させる」

「……。だから?」

「彼女は眼前の相手を殺すことが正義であると、ここから勘違いしてしまったのでしょう。敵からの恐怖を受け、味方からの賞賛を受けて、魔法使いの中でも受け入れられることのなかった異端児は、自分の居場所を戦場に見出してしまった。


 彼女の大罪はここから始まってしまったのだと、思っただけです」

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