八通目 過去を辿る手紙

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藤野 則子様


 突然のお手紙失礼いたします。

 私は高瀬 千重子の娘で、高瀬 かなえと申します。

 三十年以上も前のことになりますので、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、先日亡くなりました母、千重子がお借りしたまま返せなかった『茶掛ちゃがけ』を、貴方様に返却して欲しいと言い遺しましたので、大変不躾ではございますがご連絡させていただきました。


和顔愛語わげんあいご』と書かれた掛け軸は、私が幼き頃より、我が家の玄関に掛けられておりました。毎朝、目の端に捉えつつも、茶道や禅語に疎い私は興味を持つことはなく、母にその真意を尋ねることもありませんでしたし、母も語ることはありませんでした。

 

 ですから、どのような事情で母がこの掛け軸をお借りし、なぜ今になって私に返却を託したのか。一切わからぬままに、貴方様に文をしたためることが果たして良いのかどうか、とても迷いました。

 ただ、母一人子一人、肩寄せ合って生きてきたなかで母が私に頼み事をしたのは、後にも先にも今回が初めてでした。そんな母の願いを無下にもできず、甚だご迷惑なことと思いつつ、こうしてお尋ね申し上げた次第です。


 もし差し支えなければ、経緯などをお教えいただけたら幸いです。

 でももし、そのままにして欲しいとお望みでしたら、この掛け軸は私の方で大切に保管させていただきます。

 お手数をおかけして申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


          高瀬 かなえ


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「ねぇ、これってさここで公開しちゃって大丈夫な手紙なの?」

封を切って広げた手紙を一読した後、ヘアメイクの北嶋凛子はぼそっと言った。


「でも、もう封開けちゃったし、ついでに読んじゃたし」

フウミンこと横井文香がにこやかに答えた。


「そもそも誰宛て? 高瀬も藤野もうちのスタッフに居ないよね。」

「旧姓とかの可能性は? ほら、うち既婚者が多いし」

「わたし、違う」

「うちも高瀬でも藤野でもないよ」

「いやいや、まずさ、何でこんな手紙がスタジオ宛に来るわけ?」

「スタジオ宛ではないんですが、ここの住所で届いたみたいです」

受付を担当している柴野美桜が答えた。


「で、青木オーナーは?」

こういう時だけオーナーをつけてカメラマンの大杉結奈が聞く。


「この手紙を頼むと言って、浴衣イベントの会場の打ち合わせに行きました」

「ふーん。つまりわたしらで好きにしていいと?」


 「それで、スタジオに改修する前に住んでいた人のことを大家さんに聞いたんですが、藤野という名前ではなかったと」

「えー! 藤野じゃないの?」

「でも、三十年くらい前ここが長屋だった頃に藤野さんって家族がいたような気がするって」


「さすがスタジオのかなめ。柴野ちゃん!

で、その藤野さんは今?」

「残念ながらその頃大家さんをしていたのはお父様だそうで、詳しくはわかりませんでした」

「えー! そんな!」

「ただ、事故か事件で家族を亡くして、それからしばらくして見かけなくなったと言っておられました」


 スタッフは机に置かれた一通の手紙を見ながら途方にくれた。

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