第8話 購入済みって……

 お姫様のさわがしさに我慢できなくなったのか、ツムトがポケットから顔を出していた。


「あ、これは、う、ウサギにございます」


 黒い毛玉がポケットから飛び出すのを見て、あわててそう言う。


「ウサギ、チガウ。オデ、ツムト。ヒロト、トモダチ。ナマエマチガウ、ヨクナイ」


 宙に浮かぶツムトが俺に抗議こうぎする。


「ご、ごめん……」


「ツムトちゃんと言うのね。そっか、ヒロト君のお友達なのね。なら、私もお友達になって欲しいな。私の名前はアリシアよ。よろしくね、ツムトちゃん」


 ツムトはアリシア様を観察するようにじっと見つめている。


 気づくとアンナさんが俺の背後に立っていた。手にはデザートナイフを持っていた。


「もしも、あの毛玉ががいをなす存在であった場合はお分かりですにゃ?」


 こ、怖い。アンナさんは護衛も兼ねた侍女なのか、お城ならそういうこともあるのだろう。


『アリシア、タベル、イイ?』

 

 ツムトは空中で回転して俺の方を向いて尋ねる。


「だ、駄目だめだよ。お姫様は大切な人なんだよ。絶対、食べちゃ駄目!」


『ヒロト、アリシア、タイセツ?』

 

 この国の王女様で、さらに世界を救うといわれる聖女様だぞ。


「大切な人に決まってるだろ!」


『ワカッタ。アリシア、タイセツ。アリシア、トモダチ。オデ、トモダチ、タベル、ナイ』

 

 ツムトは分かってくれたのか、アリシア様の頭の上にふわりと着地する。


「た、たいせつなひと。た、たいせつ!? ああ、アンナこれって……」


 アリシア様は顔を真っ赤にしてぶつぶつ独り言をいっている。またいつの間にか移動していたアンナさんがどこから出したのか扇子せんすで仰いでいる。


「おそらく誤解ごかいでしょう。ああ、聴こえていませんね。ヒロト様、アリシア様はいまはただのポンコツ娘と化しております。おそうなら今ですにゃ!」


『ヒロト、アリシア、タベル?』

 

「食べるか!」


 残念そうな表情を浮かべるツムトとアンナさん。おいおい、なんだよそれ?


「はっ!? 私としたことが、我を忘れてしまいました。ツムトちゃん、私が食べちゃいたいほど可愛いですって? お主分かっておるではないか。愛い奴じゃのぉ、ほれほれ」


 アリシア様の膝の上に降りたツムトはで回されている。何か気持ち良さそうにしているし、危ないことはしないだろう。


「あの、アリシア様。私のような者が長居ながいをするのもどうかと思います。そろそろおいとまさせて……」


「何言ってるのかしら。あれ? もしかして聞いてないの?」


「何のことでしょうか?」


「ヒロト君、あなた私に買われたのよ」


「へっ!? …………。えーーーーっ!」


 思わず大きな声が出てしまった。ツムトも驚いて目をパチクリさせている。アリシア様は『これでヒロト君は私のもの……。ぐふふっ』と悪い顔をして笑うのを俺は見逃さなかった。いったい俺はどうなってしまうんだ?



「ここが練兵場れんぺいじょうですにゃ」


 アリシア様は大神殿だいしんでんというところで大事な会議があるということで、出かけてしまった。俺は城内をアンナさんに案内してもらっている。あまりに広すぎてすでに自分がどこにいるのか分かっていない。


 その練兵場では、白銀はくぎんよろいに身を包んだ騎士様たちが訓練をしている。現在は他国との戦争はほぼ無いと言う。人族の国家は共同して、この世界の敵である魔王襲来しゅうらいに備えているらしい。街道かいどうに現れる盗賊団の討伐とうばつや、冒険者たちでは対処できないような魔物退治が主な仕事だということだ。


「騎士団は第一から第三まであって、継承けいしょう権のある三人の王子様たちがそれぞれをひきいているにゃ」


「そうなんですか」


「あそこにいるにゃ」


「誰がです?」


「ついてくるにゃ」


 アンナさんについていくと、芝生しばふの上で気持ち良さそうに昼寝をしている茶髪の男がいた。


「寝たふりはいいから、とっとと起きるにゃ」


「アンナ嬢、俺の至福しふくの時間を邪魔じゃましないで欲しいんだが。どうせ姫様がまた面倒なことを言ってるんだろ」


「今回はそんなことは無いし、ダグラスもちゃんと働かないとそろそろお城から追い出されかねないの。昼寝して指導しない剣術指南けんじゅつしなんやとい続ける国なんて無いのにゃ」


「へいへい。で、何をしたらいいんですかね」


「このヒロト様に剣を教えるにゃ」


「ふむ。彼が例の……」


 剣って、聞いてないんだけど。


 アリシア様によると、国のしきたりとかいろいろ無理矢理じ曲げて、俺を従者じゅうしゃにするらしい。それも女神様に選ばれた聖女の権限も使って各所への根回しは済んでいると言っていた。やっぱり、お姫様の従者は剣が使えないといけないらしい。


 このダグラスさんという人もお姫様から何か聞いているのだろう、真剣な顔になって俺の身体をジロジロ見ている。ううっ、緊張してきた。


「坊主、ちょっと待ってろ」


 そういうとどこからか木剣ぼっけんを持って戻ってきた。


「これくらいがいいんじゃないか。取りえず構えてみろ」


 俺は前世の体育の授業でやった剣道を思い出して構えてみる。


「ふーん。なら、振ってみな」


 竹刀と木剣は違うはずだが、これまでの鉱山労働のお陰か軽々剣は振れた。たしかにあの重たいツルハシよりも断然軽い。


「いいと言うまで続けてくれ」


 姿勢や腕の角度、目線など次々と指摘されることを修正し反復、確認、定着させていく。すごい。力ずくで振られていた木剣は、まるで身体の一部にでもなった気がしている。このままどこまでも振っていられそうだ。剣速は増していき、空気を切る音も変化した。


「ああ、そこまででいい」


 ダグラスさんが止めたけど、もっと振っていたかった。ただ剣を振ることがこんなに楽しいものだとは知らなかった。当然だけどツルハシを振るのとは大違いだ。


「剣聖様から見てどうなのにゃ?」


「悪くない。ああ、悪くないんだが、才能は無いな」


「えっ……」


 俺の気分は、一転して奈落ならくの底に突き落とされた。

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