第2話 前世の記憶

「卒業する君たちが夢に向かって邁進まいしんしてくれることを、先生たちは願っています」


 体育館には制服姿の生徒たちが並ぶ。


 校長先生のありがたいお話を俺は眠気をこらえながら聞いている。手元には中学の卒業証書。ああ、やっとこの牢獄ろうごくから解放される。この地獄の三年間を振り返るが、よく自ら命を絶たずにここまでたどり着けたものだと、自分を褒めてやりたい。


 式が終わり、胸がときめくような告白イベントとは全く縁の無い俺は、逃げるように教室を後にする。階段の下では隣のクラスのサッカー部キャプテンが後輩の女子たちに囲まれている。下駄箱の前では1組の野球部のエースが彼女とイチャついてやがる。ぜろと俺は呪詛じゅその言葉を小さくつぶやきその横を通り過ぎる。


「おい、桜川! 無視すんな、聞こえてんだろ」


 三年間ぼっちで友達のいない俺に、こんな中学最後の日に声を掛けてくるなんてろくな奴のはずがない。俺は全力で聞こえないフリをして靴を履く。


「ぐおっ!」


 背中に飛び蹴りを喰らい盛大に倒れ込む俺。何十回、何百回とこんな目にあってきたせいか、受け身だけはうまく取れるようになった。痛む背中をさすり、制服のほこりを払うと何事も無かったように立ち上がり歩き出す。我慢だ、耐えるんだ。今日を乗り切ればアイツらとは顔を合わせることも無い。その為に必死で勉強してあこがれの進学校に合格したんだ。


「おーい、桜川くーん。一緒に卒業パーティしようぜー」


 俺は肩をつかまれた。鮫島さめじまだ。後ろには取り巻きの下田しもだ葛野くずのがニヤニヤして控えている。


「三年間、毎日さみしいボッチのお前の相手をしてやったんだ。感謝の気持ちを俺たちに示して欲しいものだぜ。なあ、二人とも」


「その通り。俺、腹減ったなあ」


「もちろん奢ってくれるよな桜川。ああ、別に金だけ置いていってくれたらいいし」


「そういうことだ。財布だせや、桜川さくらがわ


 鮫島が俺の胸ぐらをつかんでおどす。こんな人の多い中で恐喝きょうかつなんてこいつくるってやがる。だが、誰も俺の状況を見ても無関心をよそおっている。教師ですら遠目とおめに眺めているだけだ。


 鮫島は地元の有力者の長男だ。目立つ産業のないこの町は鮫島家が室町時代から所有する採石場さいせきじょうを土台に、スーパーや漬物工場、タクシー会社などを展開していて、町の人たちの多くがその仕事に従事している。ウチの両親も含めてこの家に逆らう者はいない。冗談のような話だが支配されていると言っても言い過ぎではない。俺の当面の目標は東京の大学に進学してこんなふざけた町から脱出することだ。だから今は耐えるしかない。


「鮫島君はお金持ちじゃないか。僕みたいな貧乏人からお金なんて……」


「うっせーなゴミ虫、人間様に口答えすんな!」


 俺は突き飛ばされる。


「俺は、お前みたいなのが嫌いなんだよ。従ってるフリしてその目は俺を見下してる、俺はそういう奴が嫌いなんだよぉ!」


 またこいつ俺を蹴りやがった。尻もちをついて鮫島を見上げる。


「きゃーーーーっ!」


 女子生徒の叫び声がした。これは俺たちに向けられたものではない。その方向を見ると作業服を着たおっさんが刃物を振り回していた。


「お告げだ。俺は神さまのお告げを聞いたんだ。殺すんだ。殺せば……」


 何かブツブツ言っている。クスリでもやっているのか? 卒業式に不審者なんてこれはニュースになるぞ。おっさんの近くでサッカー部のキャプテンが血を流してうずくまっている。悲鳴はアイツの彼女か。正直どうでもいい、あいつらも俺を虐めてたし……。


 学校一の巨漢の体育教師がさすまたを持って出てきた。たしか国体で柔道で入賞したとかいう武闘派だ。さすがにあんなヒョロいおっさんでは勝ち目は無いだろう。あの教師も虐めを無視していた共犯だ。怪我をしても同情する気もない。こんな異常事態だが、俺は鮫島たちから逃げ出す隙を探す。面倒ごとは勘弁かんべんだ。


「はあ!?」


 体育教師の巨体がさすまたごと投げ飛ばされた。見間違いじゃない。作業服のおっさんが左手だけで柄を握ったと思ったら、体育教師の体ごと持ち上げたのだ。何なんだあれは? 腕力があるとかそういう次元じゃない。


「見ぃつけたぁ!」


 小柄な女の子の前に立つ刃物を持ったおっさん。あの子は姫咲ひめさき姫咲由美ひめさきゆみ。俺の初恋の相手だ。彼女は恐怖で動けないでいる。ああ、このままじゃ……。俺が三年間虐められるきっかけになったのは彼女が原因だったな。


 気づけば俺は駆け出していた。りないな……、俺。


「うぉーーーーっ!」


 勢いと体重を乗せておっさんに体当たりした。


「あん?」


「さ、桜川君!」


 俺の全力の体当たりにおっさんはびくともしなかった。姫咲さんが俺を見て驚いた顔をしていた。うん、俺もびっくりだ。


 やはり、お姫様を救い出す王子様には俺なんかじゃ成れないようだ。ひっくり返った俺におっさんは馬乗りになる。振り上げられた刺身さしみ包丁、それが俺の胸に刃物を突き立てられる。何度も何度も。人って簡単に死なないもんなんだな。意識が無くなるまで俺は青い空をただ見ているしかできなかった。



 そんな前世での記憶がよみがえったのは最近のことだ。


 俺はこの世界に転生していたようだ。特に神様的な何かが案内してくれた記憶もないし、特別な能力を与えられているわけでも無さそうだった。何度も『ステータスオープン』などと呟き、そして叫んだが、半透明の画面などが浮かび上がることは無かった。


 いわゆるスラムという酷い環境で俺は何とか生き抜いていたようだった。この場所で、似たような身寄りのない子どもたちと一緒に隠れて、ひっそりと生活していた。


 ゴミ捨て場に作られた隠れ家も人さらいに見つかり、抵抗した年上のお兄ちゃんたちが殺され、お姉ちゃんたちは連れて行かれてしまった。


 その時のショックが原因だろうか、前世の記憶が戻った。だが、異世界のめで生きるのに役立つ知識なんて持っているはずもなく、かえって自分の置かれた悲惨な状況に絶望させられることになった。俺より幼い子どもたちの面倒を見ながらなんとか生き抜いていたが、再び現れた人攫いにこの鉱山に連れてこられたのだった。


 周りの大人たちはここを王国の墓場だと言っているが、飯も与えられるし仲のいいおっさんたちもいる。前世も含めてそんなに悪い場所ではないと俺は感じている。

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