cut.18

 名波耕太郎は、初めてキャンプを訪れたときと同じテントで地図に貼られたホワイトボードの前に立った。

「報告は以上で終わりということだろうか」

 彼は譲葉煙から調査結果を聴き、改めて彼女に報告漏れがないかを確認した。前回の訪問と様子が異なるのは譲葉と隣に立つ猿田、その両人に向けて5挺のクロスボウが向けられていることである。

 クロスボウを向けた5人はフルフェイスヘルメットを被っており顔が見えない。

「終わりですよ。あの犬、サモエドは放っておくのが一番だと思います。人間が近づいても害はないと思いますが、敢えて近寄る理由もない。理想的な結論では?」

 リスクを冒さずサモエドを弱体化できるのだ。感謝されることはあれどクロスボウを向けられる筋合いはない。だが、名波の譲葉たちに向けた視線は厳しい。

「今の報告だと南蔵田地区でサモエドの同一個体を見つけたということですね」

「そうなりますね」

「その個体は2週間から1か月で化物の体躯を失い腕に抱えられるようになった?」

「そのとおり」

 クロスボウの先端が背中に触れる。流石に零距離で撃たれるのは勘弁したい。

「それはおかしい。あなた達に依頼をしてから今日でちょうど33日。南蔵田地区での滞在期間が長くても、あの化物を1か月も観察できる時間はないはずです。それに、問題のサモエドは小さくならず樹海を歩き回っています。百歩譲ってあなたがたの観測が正しかったとしても、サモエドと南蔵田の個体は別存在ではありませんか?」

「なるほど。名波さんの指摘はもっともだと思う。こちらの説明が足りなかった。今の疑念にたいして2つほど補足できる情報がある」

「具体的には?」

 先を促す名波の顔を見てから、猿田に視線を向ける。猿田は譲葉の顔を見て、それからわざとらしく自分に向けられたクロスボウの様子を確認した。彼も譲葉も両手は頭の後ろに置いたままだ。

「私たちは依頼を正確にこなしたつもりだ。それが情報を話しても話さなくても命の危機に陥るというなら割にあわない」

「……意図的に情報を隠すあなたがたを信用しろと?」

「別の住人を通じ依頼を出したことを指摘しなかった点は考慮されないのですか?」

 名波の視線が泳いだ。南蔵田にいた本物の名波耕太郎が指摘したとおり、今回の依頼主は彼の住民IDとは別のIDを振られた住人だ。そのことを名波も認識している。

「武器をおろしなさい。彼らへの対応は補足情報を聞いてから決めることにします」

 名波の指示でテント内の団員が武器をおろす。猿田はそれをみて両手をおろし、首と肩を回した。彼の行動にも迎撃の素振りはない。ここまでは譲葉の読みどおりだ。

「それじゃあ補足をします。1つ目、1か月の経過観察ができた理由です。南蔵田地区周辺には私たち以外にも訪問者がいました。彼らは私たちより先に例の個体と遭遇し、その生態を観察していました。1か月という期間は彼らからの情報です」

「その訪問者は今どこに?」

「彼らは彼らで目的があったようです。現地では必要最小限の情報交換で済ませましたので、現在の正確な居所はわかりません。もう片方の補足情報をお伝えしても?」

 名波は不審の眼差しを向けている。南蔵田地区で遭遇した第三者の詳細を伏せたためだ。彼らは、自分たちの原形たる自警団に南蔵田地区を追われている。自警団員たちが犬を利用して彼らを追い詰めた事実からすれば、譲葉たちが遭遇したのは自警団員たちだと気づいていてもおかしくない。

 だが、それにしては譲葉たちへの警戒が薄い。キャンプそのものが厳戒態勢に移行しなかった。武器を携帯した団員が現れたのは報告を始めてからで、そもそもは監視をつけずに二人を中心まで招き入れたのだ。

 それはおそらく、自警団員たちが南蔵田地区に1年近く立て籠もっていたことに起因するのだろう。

 南蔵田に数日滞在すれば、それがどれだけ難易度の高いことかはよくわかる。コライドや犬にとっては問題なく暮らせる場所だが、人間には厳しい。浸水したあの街では食糧・エネルギーがまともに確保できないのだ。

 それでも彼らが生き残っていたのは、コライドの性質を利用して、食料を増やす。つまり、食料に模倣させたコライドたちを食べていたからだ。

 “窓”を見つけて、その前で缶詰や肉、野菜などを転がして“窓”に写す。それらの食品が自走すると誤解し、“窓”から現れた食糧の模倣品を別動隊が捕獲する。南蔵田の各地で行われていた自警団の漁は、実際に目にしなければ想像するのが難しい。

 人は餓死する。潜伏期間中、バングルを使った通信の他、蔵先への連絡を最小限に抑えていたことも重なり、名波たちは本物の自警団員は死亡したと考えているのかもしれない。

「構わない。続けて説明をしてください」

「では、サモエドだけが小型に戻らない理由についてです。憶測も混じっていますが、単純にエネルギー消費が追いつかなかったのだと思います」

「エネルギー消費が追いつかない?」

「太りぎみなんです。なぜか? それは樹海内にサモエドの好物が散らばっているからです。大元の身体をどうやって手に入れたのかはわかりませんが、追加で餌を食べているから戻らない可能性があります」

 半分は憶測で、半分は真実だ。

 南蔵田で自警団と遭った以降、蔵先に戻るまでに犬の生態について実験をしてもらった。譲葉の予想通り、犬は衝突後のコライドも捕食できた。そしてその場合は犬が変態しない。素体の犬は素体のままで、変態した犬は以前の変態を引き継いだままでエネルギーだけを得る。

「南蔵田地区の別のイ形が樹海内に棲息しているということですか?」

「そうなります。サモエドは餌を追いかけて移動してきた。いくら私が話しても想像できないのであれば、皆さんも確認してみるのが早い」

「餌の居所を見つけているのですね?」

 視界に入る自警団員たちは回答を待ち武器を構える素振りもない。譲葉と猿田の真後ろ、テントの入口前に二人。意識はこちらに向けているので背後を気にする様子はない。そろそろ頃合だろう。

「仮説を伝えるには事実の確認が必要ですからね。ご覧に入れましょう」

 左手首に隠していた金属片を地面に落とす。カンッと小さく音がなったのを合図にテントの入口が引き剥がされる。

 そのまま、入口からテント内に向かってまばゆい光が差し込んでくる。入口の真向かいに立っていた名波は掌で顔を遮った。その一手で指示が遅れる。

 聞き慣れた犬の鳴き声が響き、譲葉の背後でクロスボウが落ちる音がした。

「なんだ? 何がおきた」

 自ら視界を遮った名波と違い、両脇に控えた団員は仲間の末路をみた。

 譲葉に向けて咄嗟に武器を構える団員の手首を押さえ、力任せに光の差す入口へと引きずり出す。全身が写る必要はない。手首一つで十分なのだ。

 犬の声と共に身体は崩れ、譲葉の手から砂のような何かが零れ落ちる。

 残り三人。

 譲葉の反対側では、猿田が2人の団員を床に押さえつけている。二人は既にクロスボウを手放しており、身体を震わせている。

「こいつらもうダメだ。やる気がない」

「それじゃあ先に彼だね」

 といっても、目を庇い、部下を失った名波は反撃の素振りもみせず腰を抜かし、必死に後ずさりをしている。突如反旗を翻した譲葉と猿田を怖がっている?

 いや、彼が視ているのはキャンプに踏み入ってきた犬頭の人間たちだ。

「やっぱり、そいつらは俺たちを食べるじゃないか、化物、化物だ」

 あらんばかりの声を張り、泣きわめく。名波の狼狽える様はあまりにも情けない。そして、その命乞いには意味がない。一切の躊躇なく犬が吠え、宙を噛む。名波の身体は見る影もなく崩れて消えた。

「お疲れ様でした。お二人のおかげでスムーズにキャンプを奪還できましたよ」

 テントに入った犬が消えた名波と同じ体躯に変態していくなか、本物の名波耕太郎がテント内へと入ってくる。彼は犬にも猿田が拘束するコライドにも怯えない。当然ながら自分たちの行為にも。消えた名波も彼を模倣して作られたはずなのに、譲葉には二人が同一人物だったとは思えなかった。

 名波は猿田が拘束したコライドも含めて手際よく犬に処理をさせていく。自分たちとの衝突の可能性がある以上、手を抜けない。彼らの言い分は正しいが、感情の籠らないその処理を、南蔵田へたどり着いた頃の自警団員は為せたのだろうか。

 模倣から1年。その時間が彼らに別の経験を与えたのかもしれない。

「名波さんたちはキャンプを維持するんでしたっけ」

「ええ。これからバングルの重複が消えたことを確認します。終わり次第市街に向かった組と連絡。そこからはバックアップですね」

「なんかちょっとした戦争みたいだな」

 今まで黙ってコライドを拘束していた猿田がつぶやく。

「それはどうでしょうか。私たちの仲間にもコライドはいましたが、市街のどの程度まで広がっているのかはわかりません。それでも、市民の大半がコライドという事態までは起きないと思います。彼らにはコピーするための本体が必要なのですから」

「言っている意味がわかんねぇよ。生存競争なのは変わらないだろう?」

「それはその通りですが、猿田さんが思っているよりも静かに、このキャンプよりはずっと時間をかけて取り組むことになると思いますよ。そのために彼らには訓練を積んでもらったのですから」

 名波はテントの外へ出ていく犬たちを示す。犬たちは二足歩行で自然に歩く。犬たちは頭部さえ見なければ完全な人間として振る舞っている。

 自警団員たちが自分たちのコライドを作り、犬に与え、訓練した成果だ。

「譲葉さんたちは、依頼人に会っていくのでしたね。市街にいくのであれば何名か護衛をつけます。お二人のコライドが発生しない確証はありませんので」

「ちなみにさ、名波さんは私たちの依頼人を知っているの?」

「いいえ。私がみたのはお二人がやり取りしていた通信だけですからね」

 これ以上尋ねても彼が何かを答えることはなさそうだ。

 依頼人と自警団が何を思っていて、蔵先市街をどうしたかったのか。

 それは探し屋が探す必要のないことらしい。

「依頼完了の謝辞は依頼人からもあると思いますが、先に私からも。私たちを助けてくれてありがとうございました」

 テントを後にする譲葉たちに向けて、名波耕太郎は深々と頭を下げた。

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