ある中華料理店の記憶

 旅先で食事に迷ったら中華料理店を探せ。

 中華料理発祥の地ではない土地の人々が口々に述べるほど中華料理は美味しい。あるいは、格言を語る者たちは中華料理を好いている。

「どちらでもありませんよ。中華料理はどんな地域でもクオリティが一定なんです」

 ターンテーブルの向かい側に座る少女は、私たちがあげた仮説を全て一刀両断した。

 反論しようにも私はそれほど旅慣れていない。こんな議論に勝ち負けなんてないのだが、なんとなく悔しくて隣の同僚に視線をやる。

 同僚と会ったのは数ヶ月前。ツーブロックにサングラス、両手に嵌めた革製のグローブ。いかにも厳つい悪い男の記号を着込んでいた彼も、今では頭を丸め、サングラスをかけるのを止めた。

 だからといって人相の悪さは解消されなかったのだが、元々の人の良さ、甘さは覗えるようになったと思う。彼はそのことを厭がっているが人付き合いを広げていくなら価値のある変化だと私は思う。

 それはさておき、彼は私に比べて旅慣れているし、各地で中華料理屋を訪問していてもおかしくない。

「そんな目で見られても、俺もわかんないっすよ」

 ダメか。私がうなだれると少女は勝ち誇ったように胸を張り、テーブルに並べられた麻婆豆腐を口にした。

「おいしい」

 格言の出所はさておき、同僚が贔屓にしているこの店の料理はとても美味しい。私もここを訪れるのは3度目だが、少々値がはっていてもこの店で食事をしたいという同僚の気持ちはよくわかる。

「八代(やしろ)のさっきの意見だけどよ」

「なんですか?」

 議論はもう終わった。勝ち誇った少女は余裕の表情で同僚を見る。

「どんな地域でもクオリティが同じって言うのは、突き詰めるとどういうことなんだ?」

「質問の意味がよくわからないですが」

「だから、メニューが同じとか味が同じとかあるだろ。クオリティが一定だっていう根拠が」

 店長がキッチンから出てきてテーブルに料理を追加する。チリソースと酢豚。中華料理屋はどこに行っても一品の料理が多い。温かいうちに食べないともったいないが食べきるのも一苦労だ。

 私は麻婆豆腐と共にやってきた春巻きの最後の1つをつまみ、あわせて酢豚を皿に盛る。

「そう言うことならメニューをみたら一目瞭然ではないですか。見てのとおり、三瀬ですらこうやって見覚えのある料理が並ぶじゃないですか」

「なるほどな。それじゃあその格言ってのは中華を伝えた民族が金持ちだって話なんじゃないのか」

 なるほど? 少女だけでなく同席した者は一同に首を傾げた。料理を運んできた店長すら同僚の説に眼をしばたたくほどだ。

「えっと、何言ってるんですか」

「なんで姐さんにも伝わらねぇんだよ。いいですか」

 同僚は何を思ったのか通りかかった店員に紙とペンをもらって、何だかよくわからない図を書く。

「まず、これが世界地図です」

「絵心ないなー」

「地図って絵心なんですか?」

「知るか。わかりゃいいんだ、わかれば。とにかくこれが世界地図で、中華料理の発祥はだいたいこの辺。ところが今では世界各地に中華料理屋が点在している」

 うねうねした絵に丸を書きそのままあちらこちらへ矢印が付け足される。たこの化け物みたいになったそれが、同僚のいう中華料理伝播の様子だ。

「さて、これらの街に共通することは?」

「わからないですね。“イベント”前に海外旅行したことがないので」

「同じく」

「それじゃあ店長。答え」

「猿田さんの説明が粗いので正確性は欠きますが、まあ一口に言えば中華街があること。要するに中華料理は発祥の地の人間が移り住んだ先で彼らによって広がったと言う話ですね」

 なるほど。そう言われると話が見えてくる。

「八代、お前が海外旅行に行かなかった理由は何だ」

「え? 理由ですか……行く機会がなかったからですが。まあそうですね。旅費と余暇がふんだんにあるなら経験はあるかもしれませんね」

「そこだ。彼らは移住先に街を作るほど財力をもって集団で行き来した。味を伝える人間が多いうえに消費者も多い。そのいずれもが出身が同じなら味のベース、料理のクオリティが一定の範囲に収まっていても違和感はない」

「だから、彼らが金持ちなのが味を担保し、食べ物に迷ったら中華料理屋に行けという格言を生んだってことですか」

 まあ、ありそうな話ではある。だが。

「お前自身がその仮説に納得してないだろう、サル」

 まくし立てるように話した同僚が、この話に1番懐疑的だ。自信のない話をするときは早口で、右の耳たぶをしきりに触る。同僚の癖が見てとれた。

「この説にはちょっとした欠陥がありますからね」

「そうなの? あんなに自信満々だったのに」

「ただ、それを指摘するのもちょっとな」

「変にもったいぶらないでよサルの癖に」

 私が同僚をサルと呼んでいるせいで少女も彼を同じように呼ぶ癖がついてしまっている。愛称のつもりで、侮蔑の意味はなかったのだが彼女の場合は少し侮蔑的なのがよろしくない。同僚曰く少女が懸命にマウントを取っているだけらしいのだが……

「なら、まあ。俺は中華料理の強いところは味付けだと思ってます。八代が旨いって言った麻婆豆腐も、姐さんが食べた春巻きも、俺が今食べている酢豚も、正式な食材では作られていない。イ形料理の店っすからね。ここは」

 彼の爆弾発言に私と少女は目を丸くした。固まったテーブルの上に新しい料理が運ばれてくる。

「蟹のナッツ揚げです」

 それじゃあ、この蟹も?

 私の視線に彼はゆっくりと頷いた。

「三瀬じゃ良くある料理ですし、なによりこの店のは旨いのでお勧めです」

 それは納得だが、それでは議論の前提が崩れていく。

「というか、じゃあなんだ。豆腐とかカニにそっくりのイ形がいる?」

「ええ。豆腐に関してはイ形を調理工程が異なるのでそっくりと言って良いかはわかりませんが。皆さん三瀬に来て日が浅いと伺っていますが、この土地は面白いですよ。常に新しい発見と隣り合わせです。“イベント”前に戻ることに拘る人も多いですが、“イベント”前だって毎日が同じではありませんでしたからね。要するに折り合いの付け方なんですよ」

 店長はそう言ってキッチンに戻っていく。よいことを言うし料理も旨いと同僚はご機嫌だが、結局、この議論はどこが正解だったんだろう。

「好みの味付けのことが多いから外れにくいってことなんじゃないですか。最終的には」

 呆れ顔で話を切り上げると、少女は目の前のナッツ揚げに箸を伸ばした。

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