research:石神九九
三瀬という土地は“イベント”により人の街の多くが消失した結果、人の暮らし以前の自然が戻ってきた場所だ。
しかし、部分を切り出してみれば、“イベント”前から存在する街の形を保った区域、突如現れた動くプレハブに囲まれた地域、はたまた霧に包まれて区画外からは状況が把握できない迷宮など、環境があまりに異なる区域が入り乱れた土地でもある。
イ界が入り乱れた土地。その予測不能ともいえる状況は、域外において三瀬を隔離地域とすべきという主張が支持された原因の一端を担っている。他方で、三瀬内の住人は、それぞれの暮らす区域、隣接区域の特性を理解し、イ界と折り合いをつけている。多くの住人達、そして三瀬の存在を肯定する者たちは、彼らの生活を人間の逞しさとして肯定する傾向が強いが、見方によっては住人たちは自らの拠点に引きこもり、それ以外の情報を捨てることで生きながらえているに過ぎないともいえる。
三瀬市街を取り仕切る管理委員会は、市街に暮らす住民たちの行く末が、閉塞している状況とそれがもたらす袋小路にいち早く気づき、“図書館”と呼ばれる組織を作り上げた。“図書館”は管理委員会が揃えた市街機関の中でも高位であり委員会に次ぐ多くの権限を有している。
彼らの目的は、市街間の情報ネットワークの構築、そして、三瀬市外の情報収集である。“図書館”が情報を持てば持つほど、各市街は“イベント”以前、遠隔地との交流が容易であった時代へ近づくことができる。それは、イ界に囲まれ籠城戦しか縋る術がない状況よりも遥かに多くの可能性を生む。
そして、ネットワークの根幹を握るということは、復興した後の三瀬における命綱を牛耳るということでもある。行政府のような権威も権利も持たなかった管理委員会が支持基盤を作るためには必須の選択だったに違いない。
もっとも、“図書館”は恒常的に人が不足している。“イベント”の影響で寸断された物理的な交通網の復旧、新規に発見されたイ界の調査などやるべきことは大量に出てくるが、ネットワークの処理に長けた人材や、遠隔地を行き来することを厭わず、それでいて生存率の高い人材の絶対数が足りていない。
結果として、“図書館”は市街間を彷徨っているイ詞使いたちに様々な仕事を与えてその成果をネットワークに利用するという歪な運用を維持している。
三瀬南部樹海の情報収集についても、同様の方法がとられていることは言うまでもない。もっとも、樹海に近い蔵先市街は他の市街との情報共有を拒んでいるため、樹海の調査依頼は遠隔地のイ詞使いたちに委ねられることが多い。
三瀬南部への遠征だけでもコストがかかる上に、樹海内の情報は皆無に等しい。樹海探索に慣れた人間でも躊躇う内容の依頼が続き、“図書館”では長らくそれらしい成果を獲得することができなかった。
依頼を受託したごく少数のイ詞使い達。彼らが現在まとめているのは、蔵先市街を迂回して、三瀬南部樹海の南端へと向かう安全性の高いルートの情報程度のものである。
――――――
“図書館”の入口に掲示している依頼掲示板。その前を呆けた様子の譲葉煙が通りかかる。彼女は掲示板を見て首を傾げ、両腕を上げて怠そうにあくびをし、掲示板を離れる。しかし、その後も周辺をくるくると歩き回り掲示板に戻る。
その様子を見て、石神九九は今日の譲葉は暇であると確信した。予定表によれば彼女が“図書館”に来たのは仕事探しではなく“図書館”を通じて取り寄せた資料の閲覧謄写のためだ。必ずカウンターへやってくる。
更に言えば、今回の閲覧謄写の費用は高額で、彼女の生活をほんのひととき逼迫させることは間違いない。
これはチャンスだ。
引受先がなくて滞留中の依頼リストを呼び出して目を通す。今日の譲葉はどんな依頼でも必ず受けてくれる。石神九九は持てる限りの笑顔を振りまき、“探し屋”譲葉煙への接客へ挑むことを決意した。
結果は大勝利。譲葉は引受先が見つからず困り果てていた蔵先市街の調査依頼を二つ返事で引き受けて、翌日には猿田を連れて三瀬南部樹海に旅立っていた。譲葉煙の思い立ったら吉日のような生活ぶりには相変わらず驚かされるが、おかげで解消される見込みの薄い依頼がひとつ消滅した。
譲葉が三瀬南部へ旅立ったと聴いた日、石神は心の中でガッツポーズをして、贅沢な食事を食べた。なんと幸運だったろうか。
しかし、鼻歌交じりで道を歩きたくなる浮かれた気分が保たれたのはたった数日のことだった。これはいったいどうしたことだろうか。
気持ちが乱高下した一週間のことを思い出しながら、検索画面を飛び交う大量の情報にため息をついていると上司の豊海(トヨミ)が横に立った。
「珍しいですね、石神さんがそこまで疲れているのは」
普段は手を抜いていると疑われているみたいで心に冷たい風が吹く。
「普段だって」
条件反射で背筋を伸ばして言い繕う言葉を探す。しかし、豊海は石神のそんな様子など構わずに端末の画面をじっと覗きこんだ。
「南部樹海の資料ですか。例の依頼は譲葉さんたちに引き受けてもらったのでは?」
「そうです。そうなんですけどね」
“蔵先市かに到着、依頼人から詳細おきい田”。
譲葉の進捗報告は機械音痴の彼女らしく誤字も多いし辿々しい。どうやら蔵先は現在近隣に出現した巨大なイ形の対応に追われており、その対処に力を借りたいというのが今回の依頼だったことはわかる。
蔵先から開示された情報が欠けていたとはいえ、譲葉と猿田の派遣はイ形との戦闘を考慮したものではない。依頼遂行に問題があるようなら代替チームを送るから帰ってきてよい。手間賃は支払うと返答する。
ところが意外なことにこの仕事に適任だという自負が返ってきた。今度は文体が整っているので紙にでも書いて猿田に打たせたのだろう。猿田も携帯への着信に応じないほうだが、普段は怠けているだけで譲葉よりもずっとガジェットの扱いに手慣れている。
猿田は譲葉の機械音痴をサポートするが、自分の考えを曲げるタイプではない。今回の返信が彼によって整えられたということは、猿田も“探し屋”の仕事と判断しているに相違ない。不要だというなら後任の手配は行わなくて済むが彼女達の自信がどこから来たのかはよくわからない。
さておき、石神にとっての問題は返信の末尾にある一文だった。
“三瀬南部樹海に関するネットワーク上の公開情報を集めて欲しい。蔵先市街が保有していない情報で、樹海の構造に関する資料、樹海の出現期における蔵先市街の動向がわかる資料、“イベント”発生前の同地における事件の資料を抜き出してほしい。できるだけ早く”
「彼女はどうしてこんな情報を集めたがるんでしょうね」
さあ、どうしてだろうか? “図書館”職員として譲葉らと接した時間はそれなりに長い。彼女は訳もなくこちらのリソースを削るような依頼はしない。
「蔵先の隔離政策は情報を他の市街と共有しないという話でしかないので、蔵先と周辺の樹海に関する情報なら現地でみられると思うんですよ。でも、それじゃあ足りないのかなって」
蔵先市街の動向なんて、それこそ蔵先の“図書館”を探したほうがよほど効率的だ。
「迷っているように話していますがだいぶ検索は絞り込んでいますね」
「ええと、まあそれは」
石神は画面を操作して豊海に検索条件を見せる。この条件設定は石神の感覚によるものなので、根拠を説明できるかは自信が無いが……
「譲葉さんたちが“探し屋”向きの依頼だと考えているなら、蔵先は巨大イ形への対応方法またはその鍵を探しているんだと思います。そのうえで、譲葉さんは樹海と蔵先の情報開示を求めてきた。特に気になるのは樹海の出現時、“イベント”以前の、という限定です」
「なるほど。確かにその辺りの資料は蔵先にはないかもしれませんね。しかし、それが欲しいということは、巨大イ形は“イベント”当時から樹海に存在していたのですかねぇ」
イ形の寿命は人間である石神達には計り知れない。一秒もたたぬ間に数十世代も世代交代がなされているケースもあれば、現実に出てくる以前より悠久の刻をすごしてなお健在の個体も発見されている。しかし、今回の依頼に関しては違和感のある状況だ。
「そんな古くからいるイ形について、今になって対応に困ることあります?」
「縄張りから出てきたのが最近、という結論は安易でしょうね。背景事情は譲葉さんから直接聴くほうが確実のように思います」
残念なことに、現在彼女たちは樹海内を探索中で、通信が繋がらない。厄介なことに返信内にあった南蔵田という地名も、現状の三瀬では知られていない地名である。
「なるほど。それで、依頼内容から推測して“イベント”以前の樹海の地図情報と、樹海内のルート調査の履歴を検索しているんですね。彼女たちの目的地がわかれば、通信可能な時間帯も予想がつきますし、こちらの作業もスケジュールが立てやすい」
「まあ……そんなところです」
ルート調査依頼が画面に並んでいるのはとりあえず依頼の条件で検索をかけたら出てきた結果なのだが説明も面倒なので、豊海の深読みはそのままにしておく。何しろ、現在石神の頭を悩ませているのはまさしくその調査依頼の履歴なのだから。
「これ、数年にわたって定期的に色んな市街で出ていた調査なんですけれど、調査に付された申請者のネームが同じなんです」
住民台帳や戸籍制度が崩壊している三瀬では、“図書館”が受け付けている依頼ですら依頼者の身元を特定できないケースが多い。隠そうとすればいくらでも隠せるはずなのに、律儀に同一名で申請をあげているうえに、調査内容は全て三瀬南部樹海の南端部へのルート開拓だ。
「異なる市街、異なる時期に依頼があって、受任者も違うから誰も気にしなかったのだろうけれど、並べてみると気になるね。わざわざ同じ名前で登録する理由があるのかな」
疑問を口にしながらも豊海は向かいの端末に座り検索条件を打ち込んでいる。
「詳細がわからない以上広めに検索をかけておくことに無駄はないと思いますよ」
やっぱりそうなるか……本音を言えばこの依頼者のことは無視したかったのだが、豊海も同じ結論に達してしまった。石神はため息を押し殺して、再び検索画面に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます