画面越しの記憶

 私の父は、高校の教員の傍ら、考古学の研究を続ける変わり者だった。教職員の中には、仕事の傍ら地元の歴史などを調べる在野の研究者が一定数いると聞いたことがあるが、そのうちの一人だったのだと思う。

 母曰く、父は、大学在学中、自身は研究では食べていけるほど才覚はないが研究は続けたい。地中に埋まっている誰かの過去を掘り起こしていないと自分の輪郭が失われてしまうと嘆いていたらしい。

 母と父が出会ったのは父が通う大学の近所にあったファミレスで、当時、父は学生の常連客、母はアルバイトの店員だったという。どうして母が父の嘆きを頻繁に訊くようになったのか、その馴れ初めについては私はしらない。

 二人とも、学生の頃のお互いの様子については口にするが、不思議と二人の恋愛模様については語ろうとしないのだ。両親の恋愛事情など子に聞かせるものではないと言われたらそこまでだが、それなら若い日の配偶者の様子を子に語って聞かせることの是非も検討の余地があると思う。

 さておき、母は父の嘆きを聞いて、他人の歴史を暴くことで自分を維持しようなんて性根がねじ曲がっている。叩きなおしてやると息巻いて交際を申し込み、彼が教員免許を取得したのを皮切りに、母の地元であるこの街の高校に彼を押し込んだのだという。教員の採用がどのように行われるものなのか私は知らないが、そこから二十年あまり、彼は地元の高校の数学教師をしており、母は実家の民宿を引き継ぎ女将を勤めている。

 陸斗が街に滞在するときは、決まって実家の民宿に宿を取るのだが、それは彼が父の教え子であり、高校生の頃、母に世話になったからだという。

 もっとも、夫婦の恋愛事情が語られないのと同様に、彼の高校時代についても誰も詳細に語らない故に、私には毎年泊まる昔なじみの客というイメージしかない。

「それはちょっとショックだな。俺は君が小さなころから知っているし、ご両親が不在にときに面倒をみたこともあるんだけど」

「高校生のときに?」

「まあ、そうだな」

 信じられない。そもそも目の前の男が高校生であったときを想像できない。決まって夏に宿泊に来て、2週間から1ヶ月程度、街中をふらふらと彷徨い歩く。仕事を聞いてもはぐらかすし、夜はこうやって意味の分からない自転車レースを遅くまで観ている。そんな人間が、まともに高校生をやれていたとは思えない。

 大人が思っているよりも高校生は大変なのだ。

「君が何を思っているのかはなんとなく想像がつく。でも、俺への評価とロードレースは分けて考えてほしい」

「そうだねぇ。陸斗がドーピング塗れだとは思いたくないもんね」

 彼は私のコメントに額に手を当てて天井を見上げた。

「そっちを先に知られるとなぁ」

 ロードレースを観せると息巻いて宿、つまり私の家へ戻ってきた彼は、母に私を夜更かしさせる理由について語り、“予習”といって彼が持っていたロードレースの雑誌を部屋から持ち出してきた。だが、彼が私にロードレースを見せるための根回しをする間、私は自室のパソコンでロードレースのことを調べていた。

 チームを組んで自転車で長距離を走る競技。陸斗のいう通りの競技内容の説明と原色のシャツをきて走る選手たちの画像がいくつも出てきたのには驚いたが、それよりも私の目を惹いたのはドーピング事件が多発しているという記事だった。

「でも実際事実なんでしょう。大会が終わった後もドーピングかどうかで順位が決まっていない大会もあるじゃない」

「それは難しい問題なんだよ。大体、ドーピング問題はロードレースに限らない」

「だからって、許されるって話でもない」

「そういうことを言いたいわけじゃなくてだな」

 あのとき陸斗が私に見せたかったのは、列をなし、戦略を立てながら長距離を走る選手たちの果敢さ、あるいは彼らの走りの素晴らしさ、自分の力で風を切って進む爽快感。とにかく、そういった前向きな情報だったに違いない。

 私自身、ドーピングの話は目を惹いたが、パソコンに表示された選手たちの躍動感がある走りにも目を奪われたのは事実だ。だからこそ、ドーピングによりレースのルールから外れてしまい、走りの評価が覆るのがもったいないと思った。

 後に知ったことではあるが、陸斗と私が騒いでいたこの頃に起きていたドーピング問題と言うのは、人工的な薬物による反応なのか体質による反応なのかが見分けがつかない物質によるもので、それ故に従来よりも更に深刻な問題、つまり反応が出た選手たちを失格にするかどうかの議論を惹き起こしたものだったという。

 それはさておき、私たちは薬だなんだと騒ぎ立てているうちに帰宅した父に遭遇し、若いうちの夜更かしがいかに問題かを説教され、強制的に床に就かされた。

 だから、この年、私と陸斗がみたロードレースの映像は全てが父の録画であり、放映時間に重なっていた父の趣味の特撮番組が途中で挿入される奇妙なレース中継を早送りしながら観るという珍妙な体験になった。

 それでも、私が熱心に見たロードレースはあの年のものだけだからレースのことはよく覚えている。


 だからこそ、この街の住人が熱狂しているレースのことが気になって仕方がない。彼らは、画面の向こうの競技がリアルタイムで行われていると思っている。けれども、私の記憶が正しければ、私は彼らが見ているそのレースの結末を知っている。


 知っているのだ。

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