cut.6

 ルビーと名付けた豚を檻に戻すため、ウキとサキは研究ブロックの上層階へ向かった。サキは豚を抱えてすぐに戻ってくると述べたが、彼女たちが向かった檻が譲葉たちのいる地点からどの程度離れているのかは予想がつかない。

 彼女たちの説明で、生産所が何を行っているのかは概ねわかった。チケットを交付した依頼人への義理も一応は果たしたに違いない。できることなら早々に“図書館”へ向かいたかったが、目を離したすきに案内役のイトウが消えている。

 譲葉と猿田は二人でぽつんと研究ブロックの一画に取り残されており、譲葉達を迎え入れてくれるのは眼前の檻に入れられた人参と大根だけである。

「これは参ったな……」

 今からでもウキたちを追いかけるという選択肢もよぎる。だが、彼女たちから研究ブロックの説明をうけた今でも、眼前の光景は受け入れがたく、またその構造を把握しきれなかった。

 研究ブロックに入るまでの通路が“舞台裏”のように白く上下左右が掴めない空間だったのに対し、研究ブロックは夜空のように黒い。星の代わりに張り巡らされた灰色の階段と階段同士をつなげる多数の踊り場、そしてその間を埋めるようにして中空に浮いた大量のケージ

 自分の立ち位置を見失うような錯覚に陥ることはないが、おのブロックに入った場所まで戻るのも、ウキとサキの歩いた先を追いかけるのも

途中で道を誤らない自信がない。

「なんでイトウの動向を追いかけなかったんだ」

「姐さんだって見ていなかったでしょう。確か、通路から研究ブロックに入ったときはいましたよね」

「階段を上り下りするときもいたと思う。サキが何度かイトウに文句を言っていなかったか。確か、踊りながら歩くなーとか」

 馬鹿げた光景だが、確かにイトウは軽くステップを踏みながら階段を上っていた。

「それじゃあ見失ったのはここに来てからか」

「そうだと思いますよ。踊り場に来てからは、俺も姐さんも二人の話に集中していたから」

「サモエドのことはわからなかったが、ここがどんな場所かはよくわかる話だったからね。彼女たちの話はまるで創世記だ」

 市街における全ての食料を自給自足する。そのために域外から“原種”を取り寄せて生産所内で研究。動植物を市街で繁殖・栽培する方法を確立する。それがこの研究ブロックの役割だと彼女たちは語った。

「こんな施設、域外にも早々存在しないすよ。彼女たちが持っていた図録の全てを再現するなんて、イ界の技術ありきでしょうし、そもそもこの場所自体がイ界の影響ゼロなんて目指せていないじゃないですか」

 猿田の指摘はもっともだ。夜空のような闇に浮かぶ階段、踊り場。そのいずれも正しく宙に浮いている。どういう原理かは知らないが、生産所の外に同じものを組んだところで自重を支えきれずに崩壊するのが目に見えている。

「君が言っていた通り本音と建前なんだろ。道案内を受けているときは半信半疑だったが、少なくても彼女たち研究員はここがイ界の技術を利用して作られていることは理解しているのだと思う。だからこそ市外での食糧生産という選択肢を持てるんだ。イ界の技術が近くにあるからといって、動植物そのものが汚染されるわけではないとわかっているんだ。もっとも、彼女たちの発想が生産所全体あるいは管理委員会の意向とは噛みあわないというのも事実なのだろうけれど」

 通路が“舞台裏”染みている理由について、イトウは、施設内の検体への異物混入防止をあげていた。おそらく蔵先市街に内実が漏れることも避けたいのだ。侵入すべきではない者、蔵先に事実を伝え得る者をあの通路で排除しているのだと思う。

「見学を許可しているのも、旅行者の言葉なんて誰も信用しない。蔵先の住民たちは自分たちが域外と同じ生き方をしていると固く信じているという見立てなわけだ」

 依頼内容とは関係がないが腹立たしい。

「それにしても、あの二人は豚を熱心に育てていると話していましたが、この声と臭い。他にも色んな動物が飼われていますよね」

 研究ブロック内では様々な声が鳴り響いている。豚の鳴き声にしては多様であるし、人の言葉とも違う。5頭の子豚の鳴き声と割り切るには騒がしい。

「動物園なんかよりよっぽど騒がしいな」

「どちらかといえば植物園じゃないっすか。緑の匂いもきついし蒸している」

 猿田の言葉の通り、譲葉も先刻から無意識に手で首元を仰いでいる。

「実際どの程度の品種が揃っているんでしょうね」

 サキの図録には古今東西の家畜、野菜、海産物が記録されていた。彼女曰く、その図録は長年にわたり蔵先が収集し、生産を目指している“原種”リストだと言う。海水の生産が困難なため海産物の生産は中断されていると話していたが、裏返せば蔵先市街は陸上で採れる食材は全て生産可能と考えていることになる。

 彼女たちの説明にみなぎっていた自信は、原種を観察し、育て、市街内での継続的な生産を行う。そのサイクルを繰り返し食糧生産の範囲を広げた実績を基にしているようにみえた。だが、譲葉の経験と直感はそれを否定している。

「あの図録すべてを揃えるのは無理だと思う」

 それどころか、この環境下で大量生産できる食材には限界がある。

「でも、店で注文すれば普通に食べ物がでてきますよね。しかもメニューは豊富だ。このなんか色んな動物がいそうな気配とか、音とか聞いていると、あれらの料理の材料を自前で用意していると言われてもそんな気がしませんか」

「落ち着けよサル。ここは原種の研究ブロックだ。檻に閉じ込められた動物たちが、生産ブロックで飼育されているとは限らない。彼らはどこかからこれらの動植物を集め、保管し、研究しているに過ぎない」

 方舟は大災害を乗り越えるための聖遺物に過ぎず船内での交配は想定していない。何しろ方舟を襲った洪水は1ヶ月で収まったのだ。

「そもそも方舟内で永遠に暮らすなんてのは無理なんだよ」

 もっとも彼女たちも決して無知なわけではない。自分たちが求める食糧生産には蔵先では狭すぎることも、育てるのが難しい個体がいるのも承知している。だからこそ市外の情報を集め、試行錯誤を繰り返しているのだ。だが、管理委員会や住民たちの認識は、“いままではできていた”という実績に縛られているのだろう。気味が悪い。

「気になることはあるが、ここで確認できることはあまりないだろう。彼女たちが戻ってきたら予定通り“図書館”へ向かおう」

「待つんですか」

「話を初めに戻そうか。残念ながら案内役を見失った以上、私には道順も扉の開け方もわからないからな」

「だからそれは……すんませんでした」

 別に猿田を責めたわけじゃない。

「いや、悪い。そういうつもりじゃない」


――――――――

「このあとは“図書館”に向かわれるのですか?」

 互いに何やら意図のわからない謝罪をし気まずくなった踊り場に、突然声が響き譲葉は反射的に飛び上がった。声は足元から聞こえたような気がしたが、踊り場の真下は虚空である。猿田に視線をやるが、彼も声の主を見つけられていない。

「ここですよ。ここ」

 今度も足元。いや、厳密には下の方から声がしているだけだ。注意深く見れば、踊り場の中央、応接用テーブルの下に見覚えのある男の顔が突き出ていた。

「その……案内役というのはそんな隠れかたをするものなのか?」

「案内役ですから、客人が移動を希望するときには瞬時に対応しませんと」

 質問と噛みあわない。イトウは細長い身体をテーブル下にみっしりと詰め込んでいたらしい。ボリボリという音と身体を曲げ、テーブルのしたから這い出てくる。

 眉を潜める譲葉を前にイトウは身体をテーブルから抜き出し研究室に入る前と同じようにすっくと立ちあがってみせた。

「お待たせいたしました。それで、“図書館”へ向かうことを希望されていますね」

 何もなかったかのように質問されても困る。不快感を呑み込んで“図書館”への道を尋ねると、意外なことに研究ブロックから“図書館”へ直通ルートがあるらしい。

「確かに外から見たとき3層まで伸びている部分があったような気がしますが」

 続いていたのは細長い塔が何本かだけではなかったろうか。そんなところまで研究ブロックが伸びていたら、生産ブロックはどこに存在しているのか。

「いいえ。塔の部分ではないルートがございます。といっても、内部を歩いているときに現在地を把握できる見学者はほとんどおりませんが」

「そりゃあ、この内装じゃな」

「褒められると、案内係としても鼻が高いですね」

 褒めてはいない。

「蔵先市街生産所は蔵先のける食の情報の要。私たちが隔離政策を実施できるのは生産所の機能があってこそ。故に入退場に当たってはチケットと住民IDによる管理を。内部も侵入者が迷いやすい構造をとって情報の管理をしているのです。

 それはそうと、市街の情報の要である以上、同じくネットワークの要を担う“図書館”と繋がっているのは自然な道理なのですよ」

「でも他市街の“図書館”との情報交換は制限されているんだろう?」

「勿論。私個人の意見を述べさせてもらえるなら、そもそも“図書館”を介して市街間のデータを共有するのは不自然な営みです。私たちは三瀬に取り残されて以降“イベント”が何であったのかすら特定できていない」

 イトウは“図書館”に向かう道を先導しながら自説を延々と述べる。譲葉は、彼の話に耳を傾けるふりをしながら彼の後を追った。階段を上り新たな踊り場に出るたびに踊り場の周りに浮かんだ檻が目に入る。既にいくつの檻を見たのか思い出せなくなってきていた。

「それほどまでに情報交換をしていてもなお、私たちはイ界が現れるトリガーすら正確に把握できていないのです」

「“ならばイ界の情報すら本来は遮断するべきである。知が汚染である可能性に思いを馳せるべきなのだ”ですか」

「その通り! 三瀬で暮らすには“図書館”とネットワークは必需品。ですが、そこに含まれるモノリス、イ界の情報が私たちをイ界へ引き寄せている。私たちは彼らを知れば知るほど、彼らに汚染されていっているともいえるのです」

 情報汚染源論。三瀬では有名な“イベント”の原因仮説だ。古典的で使い古された論理への反論は幾つもある。だが、多くの場合、情報汚染源論者は反論に納得しない。新情報がもたらされること、それ自体が人をイ界へ近づけると説かれている以上、彼らは耳と目を塞ぐ。

 幸いなことにイトウは巷の情報汚染言論者と違い、自分の考えを機械のように垂れ流すだけで譲葉達との議論を望んでいない。もっとも、中空を見つめながら演説を続ける男を案内役に道を歩くのには、言いしれない不安が付きまとう。ひとまずは再度適当な相槌を打ってでも彼の意識の脱線を止めてやるべきだろうか。迷っているうちにイトウは新たな踊り場に到達する。

 次の道は三叉路に割れているが、イトウはついに演説を続けながら3つの道を行ったり来たりを繰り返し、道を選択できなくなった。

「姐さん、これ大丈夫なんですか」

 頼む。私に聞かないでくれ。

「あ! 譲葉さんに猿田さん」

 救いは、イトウが迷っている三叉路の少し上に浮かんだ檻からやってきた。見上げると、檻の端でサキが手を振っている。

「それが子豚を飼うための檻なのかい?」

「そうなんです。ルビーの餌やりが終わったらまたお話しできたらと思っていたのですが、どこかへ出かけるんですね」

「彼が“図書館”へ案内してくれると言うんでね」

 分かれ道を絞りきれずにイトウはいまだ踊り場を彷徨っている。彼の様子をみて、サキが少し待つようにと告げる。やがて歯車のまわる音と共に檻が踊り場まで下がり始め、サキとウキが踊り場に降り立った。どうやら檻は上下に稼働し踊り場や階段に接続できる作りになっているらしい。

「お待たせしました。この先は先月改装されて研究区画が増えたんです。糸産さんはそれがわからなくなったんですね」

 サキはイトウに駆け寄ると耳許で何かを囁く。するとイトウの演説のボリュームが絞られ膝をついた。

「…そうでしたか、区画Fの増設。そうであれば、この道以外も?」

「ええ。これから道順を教えるので覚えたら譲葉さんたちの案内をお願いしますね。“図書館”にいくなら変わらずDの16が最短です」

 サキは慣れた様子でイトウに道順を教えはじめる。イトウはといえばメモをとるわけでもなく彼女の声と指の動きに集中している。

「不思議でしょう。糸産さんは案内用モデルなので記憶力に優れているんですよ」

 譲葉と猿田の間をとことこと歩くウキが奇妙な言葉を発した。

「案内用モデル?」

「蔵先以外だとモデルは存在しないんでしたね。蔵先市街管理委員会は住民の行動記録をバングルに蓄積、特性に合わせて適職モデルを推奨してくれるんです」

「へぇ。そこまで管理してるの」

「ええ。この街に限って言えば、管理委員会は文字通り全ての“管理者”に近いのです。もちろん、推奨外の仕事をすることは許容されていますが、推奨の仕事に就く人のほうが圧倒的です。モデルは自分の特性を一番利用できる分野ですから」

「それじゃあ二人も研究用モデルにそった道を?」

 猿田の問にウキは黙り込んだ。

「ところで、お二人は“図書館”で何を探す予定なのですか?」

「調査との関係で言えばむしろ“図書館”のほうが本筋かもしれませんね。あのイ形は樹海に過去に現れたものと同じタイプだという噂もある」

 話題を逸らしたということは、触れてほしいものではないのだろう。更に質問をしそうな猿田を手で制し、ウキの話に合わせると、ウキは首を傾げて何かを考えた。

「譲葉さんは“図書館”にいけば蔵先周辺の情報が得られると考えているのですね」

「“図書館”というのはそう言う場所でしょう?」

「その認識は“蔵先以外では”という留保が必要ですね。樹海に関する情報なら、まだここのほうがある」

 どうやら、この街ではイトウ以上の情報汚染源論者が権力を持っているらしい。

「市外の人である譲葉さんなら私たちが閲覧できない情報を見られるとは思いますが、それでもあまり過度に期待なさらないように」

 話をしているうちにイトウが道を覚えたらしく、恭しく礼をする。

「こういう調査は8割がたがダメで元々だから構わないさ。助言感謝するよ」

「こちらこそ、外の方と話せる機会は貴重ですから。一段落したり、また気になることが出て来たら顔を出してくださいね」

「そういうことなら最後に1つ聞いてもいいかな」

「なんですか?」

「“図書館”にはイ界と関わらない過去の資料なら豊富にあるのか」

「それはまたどうしてそんな質問を?」

 譲葉は理由を答えられず曖昧な笑みを返すしかなかった。

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