interview:豚を飼う人々

 蔵先市街研究フロアへようこそいらっしゃいました。私は右記(ウキ)。彼女は左伐(サキ)。私たち二人は、この研究フロアの主任研究員を務めています。ここには他にも何名か研究員が所属していますが、今回の案内は私たち二人が務めさせていただきます。

 一般研究員が案内をしない理由ですか? それは、御二人の持っているチケットが主任研究員による案内を指定しているからです。そこまで驚かれると少々興味が湧きますね。差し支えなければチケットを手に入れた経緯や蔵先を訪れた理由などを聴かせていただけませんか。

 事情によっては、私たちも力添えできることがあるかもしれませんから。


 なるほど。樹海に発生した大型イ形の調査依頼ですか。依頼主とは既に顔を合わせましたか? 

 自警団の皆さんはそんな場所にいらっしゃるのですね。ええ、顔見知りですよ。そのあたりは生産所のありかたを説明するほうがよいかもしれませんね。

 蔵先市街生産所は、その名の通り蔵先市街に流通する食糧を生産するために用意された区画です。衣服や私たちの手首のバングルなどの工業製品は、第5層工業区で生産されていますので、ここは食品に特化した製造区画になります。

 既にお気づきのことと思いますが、この市街は外部、特にイ界の干渉を厭い市街内部にイ形が侵入しないよう閉じこもってきた歴史があります。

 それは、外周部を厚い外壁で覆うことから始まり、イ形を住民に加えることのないようバングルを用いたID管理を行うところまで徹底されています。このような閉鎖環境で人が暮らしていくための最大のハードルが食糧の確保でした。

 特に蔵先は市街構築時点において、三瀬南部樹海に覆われていた経緯があります。この樹海は“イベント”により出現したものですから、イ界の影響をうけた汚染区域であるというのが蔵先市街における基本的な認識です。

 そのため、必然的に樹海で採れた食物については汚染されていると判断され、私たちは自ら掲げた理念によって食料の供給源を失ってしまったのです。

 市街構築の初期段階は樹海の外、周辺市街との交流や、“イベント”の影響が少ない廃墟などを巡って物資を確保していたそうですが、早晩物資が尽きることは目に見えていた。そこで、蔵先市街内で食料の生産を完結させるための技術が必要になったのです。

 現在では蔵先市街の土地のおよそ3割を占有し、食料の生産及び市街内で生産するための研究を行っています。研究内容の詳細は明かせませんが、いわゆる品種改良だと思っていただければ間違いありませんよ。

 市街内だけで食糧生産を完結させ、かつ、域外での食生活と同様の食文化を再現する。そのためには、肉・魚・野菜・穀類、あらゆる食料を生産所内で生産できる必要が生じてきます。

 未だに発展途上であることは否定しませんが、効率的、持続的な生産を目指して動植物の育成を試みているのがこの研究フロアなのです。


 前置きが長くなりましたが、譲葉さんも猿田さんも、蔵先市街の取った戦略が馬鹿げていると思いませんでしたか?

 良いんですよ。私たちの他に話を聴いているのはそこに控えている糸産くらいです。彼はあくまで施設の案内役ですから、私たちの研究内容にも私たちと譲葉さんたちの会話の内容も興味を持ちません。

 ここには旅行者が市街の政策に否定的な発言をしたからといって咎める人間がいないのです。

 ふふっ。お二人は面白いですね。依頼主が受け入れたのもわかるような気がします。私たちは生産所による完全なる自給自足の実現は早晩限界を迎えると思っています。色々な理由はありますが、一番は土地が足りないことです。

 先ほどお話した通り、ここでは市街内での効率的な生産を狙った品種改良がおこなわれ続けています。見学者は生産ブロックに立ち入ることはできませんが、おそらく域外における食糧生産所と比較しても段違いの効率性を担保しているはずです。

 それでも、多品種の野菜を育て、穀物を収穫し、家畜を殖やすには土地が足りない。イ界の影響を排したいのであれば、他の市街との交易が必須になる。そして、交易に依存する割合は高くなるのです。

 ですが、仮に市街内で生産を完結させることへの拘りを捨てられるなら、自給率は上昇するはずだと、私と左伐は考えています。

 例えば、そこのケージに入っている野菜。ニンジンです。これは自警団の方々が南部樹海内で採取してきたものです。そのほかにも、大根、水菜、ジャガイモ。この並びの檻で栽培しているのは全て等しく南部樹海産の野菜。イ界の影響について独自に調査をしていますが、今のところ特段の影響はないものと考えています。

 蔵先の人間は総じて壁の外はイ界に浸食されていると認識していますが、浸食の意味合いを正しく把握できている人は少ない。樹海が“イベント”により発生し、イ形の棲み家になっていることは事実ですが、その全てがイ界由来のものではないことがここからわかるはずです。

 ええ、その通りです。私たちは樹海に食糧生産用の土地を持ちたいと考えています。自警団の皆さまにはその下準備、管理委員会や住民の理解を得るためのサンプル収集や各種調査に協力いただいているのです。


―――――――――

 右記の熱弁が激しいが、要するに私たちの計画は、樹海で見つかる現実由来の植物に異常がないかを調べて、イ界の影響が軽微ならそれも食糧として採用する。願わくば、その植物が自生していた土地を農園として利用するというものだ。

 先ほど猿田さんが指摘した通り、一つの街、それも蔵先程度の大きさの街で、あらゆる原種を蒐集し、市街内で育てようなどと言うのが非現実的だ。

 そもそも、これは私の個人的な意見ではあるが、域外においても自給自足が成立している街は少ないはずだ。根本的な問題として、自給自足が成立するなら経済活動は不要になるはずだからね。

 とはいえ、蔵先市街の生産所は生産効率が高いゆえに、管理委員会は自分たちの夢が実現可能だと信じてやまない。主任研究員の座を奪われることはないものの、私たちの計画に賛同し、協力をしてくれる人間は少ないんだ。

 それに比べて、自警団は協力的でね。彼らは樹海を巡回しているので、市外の実態をよくわかっているのだと思う。蔵先以外から来た人間たちもいるから、イ形だけでなく、一般的な動植物の見分けがつく者もいてとても重宝している。

 右記も私も蔵先で生まれ育った人間だからね。樹海の動植物がイ形なのか現実に存在するものなのか識別がつかないことも多いんだ。計画の立案者だというのに情けない話だが。そういうときに自警団の知恵を借りている。おそらく、エントランスゲートの守衛たちの次に深い付き合いをしているんじゃないかな。


 樹海で集めた植物の搬入? ああ、なるほど。君たちはそのガイドブックをよく読んでいるね。あるいはゲートで何か没収されたのかな。

 樹海の植物は守衛室でイ界汚染の可能性ありとされて預かり荷物になる。交易路を通じて運ばれた域外の動植物と混ぜたとしても例外はない。守衛たちは私たちの使っている指標とは別に、彼ら独自の指標の下、三瀬内で発見された物とそれ以外を見分けているんだ。

 ただね、私たち生産所の人間と、第1層の管理委員会の人間は、預かり荷物のうちイ界汚染の可能性が高いものに限って“検分”する権限が与えられている。もちろん、預けた本人の同意が前提ではあるけれど。

 “検分”の結果、市街に搬入しても害がないと判定したもの、あるいは市街にとって有益な情報と評価されたものについては、所有者が譲渡の意思を示すことを条件に搬入が認められる。私たちはこの方法を使って、自警団から“研究用”の動植物を受けとっているというわけだよ。


 動物も受け取ることがあるのかって? もちろん。例えばそこで右記が撫でている彼女は樹海で発見された豚から生まれたんだ。親は既にと殺されてしまったが、彼女は私たちで飼育している。名前はルビー。生後1ヶ月だ。

 親豚は樹海で育った野生種だったが、検査の結果、イ界の影響がなかったんだ。

 樹海の動植物を食べながらキャンプを維持している自警団には多少なりともイ界の影響がでているのに比して、これは稀有な結果だろう。

 可能性は二つ。豚はイ界の動植物を口にしてもイ界の影響を受けない又は汚染源を排出する機構を持っている。もう一つは、樹海内で口にした食べ物がそもそも汚染されていない可能性だ。

 そうだよ、だから私たちはルビーを樹海で採れた野菜を餌に育てているんだ。現在この研究部とっくにはルビーの他にも5頭の子豚がいてね。それぞれ違った条件で育て、検査をすることで、私たちの仮説を検証している最中なんだ。

 上手くいけば、樹海内で採れる一部の野菜の安全性を証明するだけでなく、樹海での家畜の放牧なども実現できるかもしれない。牧場が作れるなら、食糧事情は激変するに違いない。

 ん? イ形の農場? 

 ああ。1年ほどまえに見つかった奴か。あの農場ではイ界の作物が栽培されているからな。子豚たちの実験で汚染を除去する機能を持つと判明されない限り、候補地にはしがたいと思う。それに仮に豚の飼育が可能であったとしても、距離が遠すぎる。


―――――――――

 犬ですか? 残念ながら、この街では犬を食べるという風習はありませんね。

 そういう話ではない。はあ、調査対象のイ形が犬の見た目をしているんですね。確かにこれは……ねえ、左伐。これは可愛いよ。

 うん。でも家畜ではないからね。それにイ形だからこの個体自体を捕まえてくるのは不適切だと思う。

 譲葉さん、こういった顔の……このイ形と同じような見た目の犬というのは手に入るんですか? サモエド。そういう種類の犬なんですね。かわいいなあ。

 観ていただいている通り、私たちは様々な動植物を研究していますが、その目的は食べるためです。衣食住の完全なる自給自足。それができるまでは、人以外のものを受け入れる余裕がない。つまり、現在の蔵先では愛玩動物は飼えないんです。

 でも、こういう感じの動物が部屋にいたらきっと安心するんだろうな。


 残念ですが、私たちの知る限りではこの研究ブロックで犬を飼育した履歴はありませんし、犬を研究している研究員もいません。イ形のモデルになった犬のことを知りたいという依頼でしたらお力添えをすることは難しいでしょう。


 依頼主がこのチケットに何かオーダーをつけていないか?

 いえ。私たちもチケットの内容を見せてもらいましたが、私たちに求められているのは生産所の実態、それに自警団と生産所の関わりについての説明と、見学コースの案内までです。

 サモエドの顔をつけたイ形への対応については、特段指定事項がありませんでした。……そうですね。依頼者の意向というのは私たちには測り兼ねます。

 ただ、こういった依頼を出すにあたっては、多くの依頼者は祈りながら様々な情報をまとめてくるものだと聞いたことがあります。

 犬はいませんが、ここには様々な動植物があります。依頼達成のために利用できるヒントが見つかるとよいですね。

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