interview:管理委員

 君たちかね。樹海に出た巨大なイ形の調査を引き受けたのは。樹海ではなくこんな場所で何をしているんだ。

 調査はわかる。私が知りたいのは君たちの調査の内容だ。イ形がいるのは樹海だろう? “図書館”で何を調べているんだ。

 私? 蔵先市街管理委員会に所属している室谷(むろや)という。この街では“図書館”での資料閲覧申請自体が珍しいのだが、それに加えて旅行者からの申請というじゃないか。管理委員会内でも珍しい履歴だと話題になっていたんだよ。

 申請内容まで管理委員会が覗けるのか? 他の市街だとチケットの利用履歴から個人を特定するには労力が必要だろうが、この街じゃあチケットと利用者の情報は容易に紐づけられるんだ。このバングルの話は生産所の人間辺りから説明を聞いたのではないかね。

 旅行者だとわかっても、イ形の調査を引き受けた人間かどうかは識別できないはず。その通りだね。ただ、私はもう一つだけズルをしているんだ。君たちにその調査を依頼した人物と知り合いで、依頼人が発行したチケットの種類を予め知っていた。

 そういう事情で君たちが樹海の大型イ形を調査していると予想を立てたわけだ。種を明かせばどうということではないだろう。

 名波耕太郎? ああ……依頼人の名前か。彼に会ってなお街に来るということは、イ形そのものを確認できなかったか、あるいは蔵先が件のイ形をどう扱おうとしているか掴み切れていないというところだろうか。


 ここで会えたのも一つの縁だ。管理委員会の立場から、件のイ形について2,3点情報を提供しよう。

 まず、管理委員会における自警団が樹海で発見した大型イ形……君たちのいう“サモエド”に対する立場について。委員会はこれについて、蔵先市街近隣からの排除と、当該個体の保護の二つの方針でぶつかっており結論が出ていない。

 排除の言い分は大型イ形による樹海の生態系を変化を危険視するものだ。蔵先の住民たちは市街に引きこもり外に出ないのに不思議に思うだろうが、市街に籠ることは同時に市外の情報に疎くなるということでもある。我々はイ形とそれにより引き起こされる変化が怖い。小型のイ形であれば、樹海に決定的な変化が起こるより前に自警団が当該個体を排除してくれているが、自警団の報告によれば、自警団の装備ではサモエドは即時排除が困難な個体だ。

 自警団は排除派と意見を共にしているのは君たちも知っているだろうが、彼らは委員会の決定が固まる――つまり排除派が保護派をねじ伏せるまでの時間を使って、サモエドの行動範囲の観察や、排除の具体的な計画を立てている。

 順調? 何を言うか。自警団が念入りな計画を立てなくてはいけない事態そのものが、彼らの手に負えない相手だということを示しているじゃないか。私は形式的には排除派に賛同しているが、排除の先頭を切るのが自警団であることに不安を抱いているよ。

 さて、もう一つの派閥、保護派の言い分だが。保護派は、サモエドは三瀬南部樹海の発生源、南蔵田における“イベント”時に目撃された“獣”である可能性を示唆している。樹海の外からきた君たちは、三瀬南部樹海の発生機序についての情報が乏しいかもしれない。正確に言えば、樹海内部に位置する蔵先市街における樹海の観測結果を知らない。

 私たちはイ界の影響を最小限にするため、市街に籠ってきた。しかし、同時に、市街には常に周辺の樹海についての情報を集めようと必死な少数派が存在し続けている。曰く、外を知らねば市街の維持はできないという論調だ。彼らの主張については異論の声が大きいが、それはさておいて、少数派たちは自警団や市街を訪れる商人・旅行者たちを使って樹海の情報を集め続けた。

 そして、情報の分析結果と、蔵先市街の建築当時、樹海のあちらこちらから流れ込んできた住民たちの証言を照合し、樹海の発生地点は“南蔵田”にあると断定した。

 そうだ。短時間で資料を読みこんでいるな。南蔵田は“イベント”発生時、モノリスあるいはそれに類似した何かが出現した場所だ。その――便宜的にモノリスと断言しよう。モノリスの出現に伴い、南蔵田では原因不明の事故が多発し、その後、南倉田の住民たちは“獣”に遭遇して命を落とした。命からがら蔵先にたどり着いた人々は、市街建築中の他の者たちに、その“獣”の危険性を訴えたという。

 現存している最古の記録、というよりも南蔵田の避難民の証言によれば、南蔵田は樹海化よりも先にモノリスから出現した多数の獣により蹂躙された。

 獣の姿の詳細を語る証言はほとんど残っていない。獣の姿を直視できる位置取りにいた者は軒並み獣の犠牲になったからだと言われているが、その辺りは当時の蔵先市街から南蔵田へ向かった者がいないため避難民の証言の裏付けはない。なにしろ、蔵先市街の建設が始まった当時、この周辺は小規模な樹海化が始まっていて市街地の外まで積極的に調査にでる余裕がなかったんだ。

 さて、そのような状況で、サモエドが南蔵田由来のものだと主張する保護派にはほとんど論拠がないように思えてこないか? 私が情報を隠している? 鋭い主張だが、隠しているとすれば保護派の面々だよ。

 派閥の縁、つまり排除派にも揺れ動きうる者たちから聞こえてくる話では、君たちのような旅行者のなかには樹海探索を生業にしている者がいて、その一定数が南蔵田に到達しているのだという。かれらはそこで、南蔵田にしかいない犬のようなイ形をみたと述べているそうだよ。

 そう、犬だ。この樹海ではサルや鳥、猪、カバなどの動物はみかけるが、不思議なことに犬の目撃例はない。

 おそらくそれが保護派がサモエドを南蔵田由来のイ形とみる根拠だ。そして、彼らは南蔵田にしかいない個体が樹海まで進出した事情と、サモエド自体の生態に興味を抱いている。案外サモエドを知ることで、樹海から脱却する方法を知れるとでも思っているのかもしれないな。

 残念だが私はそこまで楽観主義者ではない。サモエドが偶然南蔵田にしかいない個体だからといって、それだけで“イベント”の詳細を掴むことは困難だろうし、今となっては樹海を解消する方法なんて存在しない。それなら、不確かな未来よりも身近な脅威の排除を優先するべきだと思っているよ。

 さて、余計な話も多くなってしまったが、次はサモエドの生態に関する情報を共有しよう。現在自警団が追っているサモエドは蔵先市街の南西2キロの地点を回遊している。サモエドは樹海探索中の者からの情報提供によって発見されたらしいが、自警団の通常の巡回ルート外であるため致し方がないだろう。そのため、サモエドがいつから樹海内に侵入しているかがわからない。しかし、自警団が観測を始めて1か月。サモエドが該当区画を動く気配はない。

 その理由については自警団も掴めていないが、単純に餌場なのではないかと思う。イ形の生態は謎に包まれているし、食事をしない個体もいると聴くが一定区画を回遊するなら餌場と考えるのが自然だろう?

 何を食べているのか? それは残念ながら私はよくわからない。ただ、もう1つ、“イベント”当時における南蔵田における獣の目撃証言についてなら提供できる情報がある。

 南蔵田というのはここから更に南下した、三瀬南部の海岸線沿いにあった地域だ。街は残っているはずだが、イ界化が進んでいる。

 先ほど話したとおり蔵先を訪れる旅行者の一部が南蔵田に足を踏み込んでいる。彼らからの情報によれば、南蔵田は樹海化せず廃当時の街並みを残しているらしい。もっとも、建物はそれ相応の年月がたち荒廃しているそうだ。

 もっとも、旅行者の証言だけでは南蔵田で発生した“イベント”の詳細も“イベント”の影響が残留しているかどうかもわからない。“イベント”の詳細を聞き及んだ人間は蔵先市街の一部に限られるし、残念ながら旅行者と接触する一派は“イベント”のことを知らないんだ。私が君たちに対して情報提供をする趣旨を汲み取ってくれるとありがたい。

 さて、肝心の南蔵田のイ界化、避難民が見たという“イベント”について話そう。

 それは、その日、南蔵田交差点に鏡様の一枚岩が現れたことから始まる。初めは謎の衝突事故が起こったのだそうだ。交差点に侵入したら逆走車がいてハンドルを切ったが間に合わなかった。事故を起こした全ての車が同じ事故にあっている。そして、車を降りて、自分たちが衝突したのは逆走車ではなく巨大な鏡と気づいた。

 彼らは交差点を塞ぐように現れた大きな鏡にどう対応したらよいかわからず、全員警察へ連絡を入れている。しかし、警察と電話連絡が取れた者は誰もいなかった。携帯電話からは鏡文字が流れてきて聞き取れなかったのだそうだ。

 鏡文字の音はよくわからない。聞き取れない音だから、再現もできなかったらしい。彼らがそれを鏡文字と読んだのは、交差点に出現した岩が鏡面だったからなのだろう。

 そして、事故直後、当事者達が電話もできずに右往左往しているそのとき、鏡のなかだけに巨大な獣が映り込んだ。車よりも遥かに大きく、自分の後ろにはいないのに鏡のなかには映っている化け物だったという。車や人より大きい生き物だとは思わなかったのもあって、目撃者たちははじめ何が映っているのかよくわからなかったらしい。

 それは、衝突した事故車両をゆっくりと検分し、やがてひとつの車に向かって歩き出した。鏡面を出て、現実に姿を現したのだそうだ。

 南蔵田ではこの化け物の出現を機に、街中でイ形が目撃されるようになり、家屋の一部が迷宮化を始めたと言われている。だから、南蔵田交差点の化け物は三瀬南部樹海全ての“イベント”の引き金になったと言われているというわけだ。

 まとめると南蔵田においては、それをモノリスと呼ぶかはさておき、獣はイ界との境界線である鏡面から出現したということになる。そして、獣がいることで周辺の空間はイ界のルールに呑まれ迷宮化したともいえるだろう。

 仮に、サモエドが件の獣だとすると、回遊ルートは自警団の把握している樹海とは少々異なった様相に変化している可能性も否定できない。南蔵田に現れた獣は、それほどまでに強固な存在だったんだ。君たちも調査にあたってはその点に留意したほうがよいだろう。

 具体的な策がないだろうって?

 そうだな。私が君たちと同じ立場ならサモエドに接近したときには可能な限り息をひそめて奴が消えるのを待つよ。いくら樹海を歩くだけの能力があったとしても、何一つ生態がわからない段階で手を出してよい相手とは思えないからね。

 あとは、出来ることなら自分たち以外にサモエドが興味を惹くものに奴をなすりつけてしまいたいね。

 それがわかれば苦労しない? 確かに。でもサモエドのことを確かめるほど私たちに勇気はない。

 私たちにできるのは、この安全な壁の内側でサモエドの危険性について議論をし、結論を後ろ倒しにすることくらいなんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る