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三瀬という土地はそこにいる者を人、イ形に関わらず全て平等に取り扱う。市街の維持と発展に役立つなら人間もイ形もお構いなしに受け入れる。それが変化の激しい土地で生活を維持するための基本戦略だと考えられている。
ところが、このスタンスは既存の行政制度と噛み合わせが悪い。ある種の公平さを保った街のあり方は、まず戸籍制度を崩壊させた。イ界の住人達はいつどこから出現するのかわからないし、出自を追って管理をしようにも情報が不足していたのだ。
そこで、管理委員会は立入禁止区域への指定と同時に戸籍による管理を棄てた。代わりに導入されたのがチケット制だ。
住民としての権利は、各市街の管理委員会よりチケットとして交付されるものとし、管理委員会はチケットを通じてしか住人を管理しないと割り切った。
ベースラインとして支給されるものの他に、対価を積めば特権は増えていく。市街に貢献した者は多くのチケットを手にし、生活の優位と安定を確保できる。
こうして三瀬では自由と特権獲得の機会が保証され、代わりに身分の保証が失われた。この制度の良し悪しについては様々な意見がある。
チケットを誰に交付したかすら管理しないのだ。当然、正規ルートとは別に他者からチケットを奪う者もいる。ベースラインの確保すら困難な層からは常に陳情が届いているという。もっとも、陳情者には現実に根を下ろそうとするイ形が相当な割合含まれている。
故に、管理委員会は現在のところ陳情に耳を貸すつもりがない。
――――――――
生産所。蔵先市街の食品やインフラ整備を一手に引き受けているというその部署は蔵先の最下層と外壁部にいくつもの専用施設を持っている。
居酒屋で聞き及んだ話は真実らしく、宿泊先の従業員からも同様の回答が返ってきた。旅行者向けの食事と住民向けの食事は生産所産でも質が異なるらしく、ホテルや旅行者向けの飲食店で働くとより良質な食事を食べられる機会があるという。
旅行者向けの飲食店というのは、要するに蔵先市街ハンドブックで紹介されている優良店のことらしいのだが、先般の居酒屋には住民達も多くいた。旅行者などは譲葉たちくらいだっただろう。
「それは競合店というらしいですよ。住民向けメニューでは、俺たちが食べたメニューは高価格帯になっているんだとか」
猿田がカウンターで食後のコーヒーを受け取りがてら、ウェイターから聞いたところによれば、旅行者の約1.5から2倍の値がついているという。
「やっぱり食糧難ってことなんじゃないか」
「それがウェイターもコックも食糧は潤沢に手に入るっていうんですよね。嗜好品の類は満足には手に入らないそうですが」
「煙草とか?」
「いいえ。ケーキや菓子類ですね。一部の原料が満足に手配できないとかで」
わかるようでわからない。コーヒーも朝食も、昨日の夕食も、口にしたかぎりでは妙な感じはしないが、住民用のものは全く異なる素材で作られるのだろうか。
「あと、生産所の見学は“図書館”を通じての申込制らしいですよ。何年かに一度、旅行者が見学を希望することがあるそうです」
「何年かに一度程度なんだ」
「珍しいですが、どんな市街でも変わった制度や施設はありますからね。ここは外壁で充分と思うんでしょう。それに、純粋な旅行者なんてほぼいないんじゃないすか」
ここから南は市街の存在しない樹海だ。用がなければ立ち寄るような場所ではない。
「さて。ホテル内を熱心に尋ねて歩いてくれたサルに、私からもニュースをひとつ」
「食堂で面白いものでも見つけましたか?」
阿呆。
「石神に連絡をとって、情報センター経由で生産所の見学許可を手に入れました」
「隔離政策で他の市街と交流がないんじゃ?」
「それならそもそも依頼が届かないだろう。情報の制限には細かい条件付けがなされているんだよ。といっても、今回は石神が頑張ったわけではなく、私たちが受けた依頼にいくつかのチケットが付属していたらしい」
「そのうちのひとつが生産所の見学許可?」
「そう。なんていうか、気味が悪いよな」
名波と出会って以降、譲葉たちの動向は完全に誘導されている。“探し屋”の仕事は依頼人に誘導されるものではあるが、こうも露骨なものが続くと窮屈さを感じる。
「その他にも色々なチケットが付属しているらしいんで、全部送ってもらった。確認はサルに任せる」
依頼の詳細とチケットの情報が入った端末を猿田に渡すと顔をしかめられた。
「姐さん、携帯の使い方は覚えたほうがいいですよ」
「サルがいるから大丈夫。それに、君も連絡無精だっていうじゃないか」
「それはまあ……ああこれですか。確かにチケットがついている。それで、石神は他に何のチケットがあるって」
「わからない」
「ちゃんと聞かなかったんですか?」
「違う。石神の回答が詳細不明なんだよ。わかるのはチケットの発行元が蔵先市街であることだけらしい。それこそ、隔離政策の影響で蔵先が使っているチケットコードを知らないらしい。要するに、これはこの街の管轄で使える何かの特権なんだ」
「話がおかしいっすよ。ならなんで生産所の見学チケットは見つかったんですか」
「石神が申請したら受注した依頼状を見せろと返答が来たそうだ」
「つまり、とりあえず端末で依頼状を見せてみれば、思わぬ特権が入っている?」
「そういうことだな。宿泊の優待とかもあるかもしれないね」
冗談交じりでそんな話をしていたら、出発前にフロントで部屋のグレードアップを告げられた。全く馬鹿げている。
――――――
生産所の見学ルートは蔵先市街の最下層にある。高層ビル並みの壁に囲まれた市街は、全6層にわかれ、高い層ほど外壁部に、低い層ほど中心部に向かって広がっている。その見た目は中心に向かい大きく穴が穿たれたようで、敢えて呼び名をつけるならすり鉢型の街だ。
フロントで受けた説明によれば、生産所は最下層の東側を覆うように作られた施設である。縁に行けばわかると言われたが、譲葉は意識してみてはじめてそれが人工物だと認識できた。
「虫かキノコにああいうのいますよね」
「なんかもう少し良い例えはないの?」
「それじゃあ、鳥の」
「いい。悪かった。私が悪かった」
これから向かう施設についてそんな喩えを聞いてしまうと、嫌悪感ばかりが募ってしまう。
生産所は白を基調とした壁に囲まれているが、その表面は石灰岩のように無造作に穴が開いている。ごつごつした白い何かが蔵先という穴の最下部に広がり、またそれは本来上空から落ちてきたのだと言わんばかりに東側壁面から上層へと浸食している。東側の3層まで疎らに延びた生産所は、猿田が言わんとしたものによく似ている。
「あのうえ、2層って“図書館”ですよね」
「そうだな。昨日は道なりに3層に下りたので景色を見る余裕がなかった」
どうだろうか。建物だとは思わなかっただけで視界には入っていたようにも思う。
見学者の入場口は最下層にあるというが、譲葉たちのいる3層の南側から行くには階層間の昇降機を使うのが早いという。昇降機は4層、5層の上に巨大な滑り台のような骨組みを設け、最下層まで一直線に人や機材を運んでいく。上層で見たときには穴の中央に向かって延びるクレーンのようにも見えたが、吊り下げるのではなく骨組みをリフトが流れていく構造らしい。
「街並みやら店のメニューはそれっぽいですけど充分にイ界染みた街ですよね」
三瀬の外には蔵先のような街はほとんどない。譲葉の訪れた土地では皆無だ。昇降機の横で階層間の積荷の上げ下ろしを行っているカエルのような見た目の四脚歩行機械に至っては、明らかにイ界の技術を転用したものである。三瀬の外では類似の機械は現存しない。
以前、依頼を受けた客が、機械に近い組成の生物が現れるイ層があると鼻息交じりに熱弁していたが、歩行機械もそうしたイ層からの発掘品なのではないだろうか。
「サルは今回の依頼のことどう思う?」
「どうって何がですか」
何が……と言われると難しい。
「依頼の内容はサモエドの鑑定法探し。その依頼にはいくつものチケットが付与されていて、イ形の鑑定なのに市街観光が出来る」
「報酬が足りないって思われたんですかね」
「ここに来ないと内容がわからないチケットは報酬でも魅力でもないだろう。それに、もうひとつ。名波ら自警団の話と住民達の話がかみ合わない」
蔵先は今でもイ形を排する隔離政策を行っており、イ形との交流やイ界の食品の流通を行っていない。加えて、誰も外壁がイ形に壊されるなんて思っていない。
「ここまで外に興味がないのに、樹海に出た大型のイ形を保護するべきとか捕獲するべきと管理委員会が口にするのも不自然だ」
「どうですかね。名波が話した管理委員会の意向の正確性は割り引いたとして、街の人間が如何にイ形に対して警戒心がないか。ただ、サモエドがイ形であることを示すのではなく彼らの考えを覆すような鑑定法を見つけてきて欲しい。だから、市街での融通が利くチケットを依頼に付した。なんて話なら自然……自然ですかね」
筋は通っているような気がするが、引っかかる。猿田も同じことを思ったのだろう。話ながら首を傾げていた。
「一応、誘導されている意味はあるということにしておこうか」
譲葉達と共に10トントラック並みの大きさの歩行機械を3機乗せて、階層間昇降機が最下層へと降りていく。段差を越えるのに有用であるとして採用されたこの機械も、数百メートル先の最下層まで降りることは出来ないらしい。緩やかな坂を滑るように下る昇降機で、人と共に下へ降りていく。
あまりに不思議な光景だが、この街の人間はこれが三瀬の外の日常風景だと信じている。確かに猿田の言うとおり、この街のことは知っておくべきだ。譲葉たちと生きている世界が異なっている。
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