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 それがイ形(イガタ)であることに異論はないはずだ。

 推定体長6メートル。熊のような体躯を持つが脚が六本あり、鎖状の尾を持っている。尾の先端はどういうわけか瞼と口を固く閉じた人の赤子の頭部がついている。胴体の前方にはキリンのように長い首が生えている。頭部は犬、サモエドと呼ばれる種類の犬種によく似た愛くるしい顔がついており、その白い毛並みは長く伸びた首を包み込んでいる。近くで触ると温かそうだ。

 遠方から撮影に成功した写真では、緑豊かな森のうえに突然巨大な犬の顔が現れる。事情を知らないものがみればミニチュアの森で犬が遊んでいるように見えなくもないが、足元を撮影した写真を見れば紛れもない化け物だ。

 こういう得体の知れない組合せの生き物は、“イベント”以前はキマイラとか鵺などと呼ぶ文献があったように思う。

 “イベント”で変質した三瀬では複数の動物の特徴が混ざる生き物はそれほど珍しくはない。鵺やキマイラの名を冠する個体は限られ、後に発見された個体はそれぞれ好き勝手な名前がつけられる。大抵は現実を生きる譲葉たちが知っている特徴で呼ばれる。譲葉と猿田が写真をみてサモエドと呼んでいるように。もっともボードをみる限り、自警団はこの個体にまだ名をつけていないらしい。

「顔が可愛いことは確かですよ」

 何を納得したのか腕組みをした猿田がイ形の写真を見つめて頷く。頬が緩んでいるのが少し気にいらなくて、譲葉は彼の背中を思い切り叩いた。

「サルが犬好きだって知らなかった」

「姐さんに話したことありませんからね。ペットショップに並ぶ生き物はなんだってかわいいっすよ」

「サルの生活だとペットは飼えないと思うけれど」

「姐さんの部屋掃除してるの誰だと思ってるんですか。あの時間がなけりゃ」

「独り暮らしの女性の部屋を掃除しているっていうのはあらぬ誤解を招く発言じゃないか?」

「そんなの知りませんよ。それに姐さんが掃除に向かないことは大抵の人はよく知ってます」

 猿田が背筋を伸ばし、少しだけふてくされたような表情に戻る。部屋の掃除について言われたくはないが、写真にデレているより遥かにマシな顔だ。

「それ以上部屋のこと話し始めたら今度は蹴る」

「理不尽」

 表情を変えず文句を言うが、視線はボード上のサモエドの写真と地図を注視している

「何を探して欲しいんでしょうね。案内役もキャンプの入口までだし、街を出てからどうもイヤな感じがするんすよ」

「誰も引き受けない急ぎ仕事だってセンターで懇願されてね。急ぎの割に2週間は貼られていたらしい」

 情報センターの受付を通ったときの石神九九(イシガミ-クク)の潤んだ瞳を思い出す。緊急度が高いのに誰も依頼を受ける気配がないのでほとほと困っているのだと。

「それにしちゃ情報がなさ過ぎるし事態は終わってるんじゃないですか」

「それは……否定できない意見だな」

 そうなるとただの見学ツアーで報酬は出ない。猿田が小さくため息をつく。

「姐さん、石神に良い顔したいからって詳細を確認しませんでしたね」

「私が何であいつに良い顔する必要があるんだ」

「……碌でもない資料買い込んだんじゃないですか」

 この男は…。強ち間違っていないので、つい猿田から目を逸らしてしまう。猿田にも動揺が伝わったらしく、今度はわざとらしく大きなため息をつかれた。

「そりゃあ、あの掲示板の情報で引き受ける人はいないですよ。蔵先のしかも市外での依頼なんてなにがあるかわかったものじゃない。でも、たいして催促なんてなかったと思いますよ。石神だってセンター長から“探す”依頼だから俺たちに回しておけくらいの指示だったんじゃないですか」

 耳を手で塞ぎたくなる程度に耳が痛い。

「此処で待たされているなら、この写真のサモエドに関する何かを探す依頼なんじゃないか」

 苦し紛れに依頼の話に戻してみるが、それでも猿田は数秒じっと譲葉をみる。

「まあ、この状況でこれと関わらない依頼だとすれば拍子抜けっていうか、旨い案件というか」

 テント内には地図と写真を貼りだしたボードと簡易テーブル以外に何もない。譲葉の推理を覆せるようなものは何もないし、そもそも推理と呼ぶほどのレベルでもない。

「それにしてもひりついてますよね、自警団の奴ら」

 街から5キロ。樹海に現れた小さな池とそれを囲むように広がる空き地に自警団キャンプはあった。突貫で作られたテントと資材置き場。ちょっとした迷路のなかをフルフェイスマスクにミリタリースーツの人影が彷徨いている。人が歩けるようにと整備された交易路を外れればイ形や危険な野生動物がいる。それを警戒する自警団が武装しているのは不自然ではないが、重装備の人員が複数歩いているのは珍しい。よほど危険な相手がいるように見える。

 他方で、そうまで警戒して当たるべきイ形がいるのに、案内役はスーツとパーカーで現れた譲葉と猿田を特に何の説明もなくキャンプまで招いた。軽装の部外者がキャンプ内を彷徨いていればいざというとき自警団の動きに乱れが出る。前線であの巨大サモエドと相対するならなおのこと邪魔だろう。譲葉たちの実力等を問題にする以前の話だ。

 それでも特段何のフォローもないままテントに通されたところをみると、今回の依頼は彼らが警戒するイ形、つまり写真に写った巨大なサモエドと直接相対することはないのかもしれない。あるいは

「実はこの犬は大きいだけで無害だったりしてな」

「写真を見る限り確かに可愛い顔をしていますね」

「顔が可愛いだけじゃ無害とはいえないだろう」

 なにしろキリンのような首に熊のような体躯だ。暴れ出したら人間にとっては脅威だろう。 

「なら全くの無害を期待する根拠がないっすよ」

 さきほど考えた仮説を披露しようかとも思ったが、情報の足りないなかで推論を積み重ねても意味がない。

「まあ、なんにせよ依頼の詳細を聞くところからだな。依頼を引き受けた経緯については不問に付してくれ」

「案件そのものに不満は持ってないすよ。俺は姐さんが石神に良いように使われてるって言ってるんです」

「わかったわかった」

 仕方ないじゃないか。持ちつ持たれつだ。説教が始まるまえに依頼人を探すのにテントを出ようと振り返ると、タイミングよく依頼者が戻ってくる。

「定期の現状報告が遅くなってしまってね。大変待たせてしまって申し訳ない」

 青い迷彩柄のミリタリースーツは、自警団の指揮官クラスである証。短く切りそろえた髪は癖毛なのかつんと立っている。顔は若く、30代前半……鍛えていて若いのだとしても40に足はかかっていないと思う。

 同じく短髪姿だが、坊主頭に近い猿田とは対照的だ。

「改めて、今回は来てもらって感謝する。指揮官の名波耕太郎(ナナミ-コウタロウ)だ。こんな形で探し屋に会えるとは思わなかった」

「こちらこそ自警団の依頼は珍しい。貴重な経験だと思って協力します。私は譲葉煙。こっちは猿田真申。よろしくお願いします。それで、さっそくですが、捜索依頼の詳細を伺ってもよろしいですか?」

「それじゃあ早速説明をしよう。と言っても、既に半分説明は終わっているんだ。僕たちが探して欲しいのは、君たちが見ていたその写真」

 名波は、譲葉たちの背後にある地図とそこに貼られた巨大サモエドの写真を指差す。

「そいつの正体を鑑定できる方法だ。人、文献、その他なんでもいい。そいつがどこからきてどんな生態なのかを突き止める手がかりを見つけてほしい」

 犬の鑑定法、それはまた変わった捜索依頼だ。

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