書き割りの夏
「この街には四季がない」
街を一通り案内した後、その旅行者が口にした感想を私は忘れることができなかった。
誤解のないように初めに示しておくべきだろう。私たちの暮らす街には四季がある。緯度・経度ともにバランスのとれた場所に位置するこの街は春夏秋冬、季節に合わせて装いを変える。
旅行者でもわかる顕著な違いといえば街の外周壁だろう。外と内を分けるために作られた厚さ平均100mを越える外壁は、外の空気を遮断する効果を持っている。だが、それは機能の一端に過ぎず、壁の内側では私たちの生活を彩る空へと変化する。上部に近い壁は天候や季節にあわせて天上の空と近似した色合いに変化し、開放的な空間を作り出している。昼間は明るく、夜間は暗く。周囲の景色に会わせて千差万別に変化するこの壁は、街の季節を表す最も明快な指標である。
それ以外にも、街は様々な方法で季節毎に私たちの生活を支えている。例えば、温度変化。夏、炎天下の日差しでも、冬の吹きすさぶ木枯らしの下でも住民達の生活が維持できるよう、適宜外気温の調整を行っている。ここにかかるエネルギーコストは膨大だが、これらのコストは外壁に寄せられるイ形を捕獲することで賄っている。
天上は解放されているので天気の変化は外と変わらないため、季節の変化を逃さない。
また、私も含め、住民は四季折々の季節に会わせて服装を変えている。
ここまでの説明でもこの街に季節が存在することは充分に伝わっていると思う。
無論、旅行者の彼女にも上記の説明を丁寧にした。必要なら街を共に歩き、実際の風景をみて感じてもらうよう努めたつもりだ。
それでもなお、彼女は私の説明に眉をハの字に寄せてため息をついた。
「私が言っているのはそういう話じゃなくて……」
彼女が説明する四季と私たちの四季の違いは未だに良く理解できていない。曰く、彼女が暮らす場所では空や風だけでなく動植物、行事、人々の生活、一つ一つが季節の変化を感じさせるのだという。
限られた資源、限られた土地でそれを実現するのは困難だが、私たちの街と彼女のいた土地の基本的な条件に違いはない。私たちにもやってやれないことはないのだ。
情報さえあれば。
もう数日間、滞在時間を伸ばして旅のことや私たちの街に関する感想を聞かせてくれないか? 私は彼女の旅行の最終日にそう懇願したが、彼女は丁寧にその願いを断った。
何故? 私の疑問に彼女は、彼女の背後を指差した。
“あなたが悪いわけじゃないの。あれが私を視ているから。残念だけどもうここにいられる時間はほとんどない。”
真意は掴めないまま彼女は街を去り、私たちはいつもの通り四季を過ごしている。その後、手紙のやり取りならと言っていたはずの彼女から手紙が届くことはないし、手紙が届いた記録もない。
旅行者との触れ合いとはその程度なのだと話す者も多かったが、滞在中、どうしようもなく当然の出来事を尋ねてきた迷惑な現地人――つまり、私に丁寧に接していた彼女の姿とその振る舞いは重ならなかった。
彼女を見送った外周部エントランスホールに立ち寄る度に、私は慰留を懇願し固辞されたときのことを思い出す。
頭上高く広がる天井。可能な限り柱や梁を減らし、開放感を確保したというこのエリアは、ゲートを管理している係員が数名いる以外は人がいない。
係員が警戒しているのは旅行者と偽って侵入しようとするイ形なので、通常の旅行者に関しては特に声をかけるようなこともない。
機械的に入場ゲートを通過し、ひとり街の中へ。あるいは待ち人と合流してどこかへ。あるいは退場ゲートから外へ。ここにある交流はそれだけだ。
あのとき、私と彼女以外に入退場をした者はいなかった。それでも彼女は私に自分の後方、街を指して怯えるように言ったのだ。
あのときも同じ位置に立ち、辺りを見回してみても答えは見つからない。何があっても変わらない街への入口が口を開いているだけだ。彼女はいったい何を恐れていたのだろうか。
―――――――
店の奥に設置された液晶画面は、自転車に乗った若者達を延々と映している。自然のなか列をなして自転車をこぐ彼らは、一日で200キロ近くの距離を移動するという。
私たちの街のように樹海に囲まれ、1キロ先の目的地に向かうにも立ち塞がる樹木や獣と向き合わなければいけない世界では考えがたいスピードだ。しかも、それを機械駆動ではなく自分の足を動かすことで成立させる。
優れた技術だと思うし、皆が熱狂するのもよくわかる。
この店に限らず夏になると多くの飲食店がこの大会を店内で放送し、住民達は大会の観戦に熱狂する。私たちには出来ないスポーツの現場を私たちも共に観戦している。遠くの出来事への一体感、それがこの街が正体不明の樹海に囲まれていることを忘れさせるのだと思う。
通りに出れば、階層化が激しく階段の多いこの街で使うのには不向きであるにも関わらず、自転車に乗る住人も見受けられる。大会の観戦は街をあげた夏を祝う祭りなのだ。
私はその熱狂を横目に職場にむかう下層階への昇降機に乗り込む。棚田のように中心に向かうにつれて深く底へ向かっていく街の構造は、可能な限り街の全てに陽が差すことと、狭い居住空間を縦に押し広げることを目的に計画された形だという。
職員専用ゲートを越えて、頭上を見上げる。この街の底が深いのは、樹海の進行を阻むため、樹海より遙かに高い壁を構築したからでもある。だが、地の底から見上げた私たちは外周を包む壁を殊更には意識しない。そこには天と変わらない空があり、いかなるときにも私たちに四季を告げ、私たちは解放されていると支持をしてくれる。発案者達の意図するとおり、最下層に近い職場に降りても天からの光は私たちを照らしている。
これが私たちの世界であり、私たちの日常だ。都市計画は完遂され街は狂いなく完成し、樹海を訪れる者たちに安堵を、住民達に安らぎをもたらしている。そのはずだ。
ゲートの先、私が従事すべき職場へ続く白い扉がじっと私の到来を待っている。
“あれが私を視ているから”
彼女と別れたその日から、ゲートをくぐり扉の前に立つ度に彼女の言葉が頭をよぎる。エントランスゲートと此処に共通するものなど何もないはずなのに。
気持ちの切替が出来ないまま所在なく立っていると扉の横に立つ警備員と目が合ってしまう。警備員の瞳に映る私の顔を私はまじまじと覗きこんだ。
実際にはほんの数秒間だったに違いないが、自分の顔を真剣にみたのは随分と久しぶりだった。
警備員が眉をひそめるのをみて、私は我に返った。そして、エントランスゲートで彼女が怯えたものの正体に気がついた。
「あれが私を視ているから」
彼女の声が耳許ではっきりと聞こえたような気がした。
そんなことがありうるのか? 背筋に今まで感じたことのない寒気が走った。
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