第9話 女の秘密

 さて、私がアトラム生として学園生活をリスタートし、早3カ月が経った。


 経過は決して芳しくない。何故なら。


「シルヴィ、私の可愛いカラスアゲハちゃん、そんな悲しいことを言わないで……」


「ヒッ、は、はひ……」


 私がジェルヴェにノース女らしいことを言ったり、ノースで鍛え上げられたレイシストしぐさを見せたりしようとすると、どんなに周りに気を付けていても、どこからともなくリューシェ様がスッ飛んでくるのである。たとえ火の中水の中というやつだ。


 この間なんかは、彼女が選択授業で校舎の最上階にいるのを見計らい、地上でジェルヴェに喧嘩を売ろうとしたのに、ガラス窓を突き破って目の前でお手本のようなヒーローチャクチを披露されたので、伊達でなく心臓が胸を突き破って出てくるかと思った。ジェルヴェに至っては泡吹いて卒倒していた。


 ともかく、そんな風にどこからでも表れる彼女に、両頬を蓮の花にするように包み込まれ、額をコツン……と合わせられ、ロビンのような美声でそんな言葉をささやかれては、腰砕けになるのもやむなしだ。


 最近はもうあのジェルヴェですらも私のノース仕草をまともに取り合ってくれなくなり、最早あきれ顔で私とリューシェ様の攻防戦を諦観している始末だ。どうしてこうなった。


 何故だ、ジェルヴェとシルヴェスタは学生時代、誰もが知る不倶戴天の敵で、水と油どころか、決して混ぜてはいけない塩酸と硝酸みたいな間柄だったはず。ファーストエンカウントでも、私への嫌悪感と疑いの目を隠そうともしていなかったのに。私がパチモンだからか、クソ雑魚オタク女だから駄目なのか。うん、そうでしかない気がしてきた。つらい。


「でも、いくら私がリューシェ様に骨抜きにされていても、ノース女であることには変わりないわ……そうよ、私は鼻持ちならないノース・プライオリティ信奉者、連邦や大陸とは決して相いれない、醜悪で狂った思想の持ち主なのよ……!」


「自分にそんなことを言い聞かせてる時点できみが本当の魔導差別主義者でないことくらい誰にでも分かるだろ……そもそもエルランジェに骨抜きにされる時点で完全に論理が破綻してるし……なんで僕はこんな子に成績負けてるんだ……?」


「おだまりなさい、リューシェ様の魅力に屈しない人間なんてこの世に存在していい筈が無いのだわ、そうでしょう、ラブレー! 自分の努力不足を私のアッパラパーな頭に責任転嫁しないでくださるかしら!」


「別に責任転嫁してないし……アッパラパーな自覚あったんだね、安心した」


「ねえ、まだ間に合うかしら……辛うじて、ジェルヴェ殿下とレナンドル殿下の前では化けの皮剥がれてないって信じてるのだけれど……」


「安心して、もうベロンベロンだから」


「そう、二人とも、私の悪辣なノース女っぷりに酔いしれてるってワケね!」


「馬鹿な子だよ、本当」


 アトラム生に課せられた消灯後の学園構内見回り業務の今日のパートナーで、朗らかに辛辣な彼、リュシアン・ラブレーは、最早誰よりも打ち解けた話ができるアトラム唯一の私のオアシスだ。


 彼はこれでなおも私への警戒を忘れていないのですこぶる有能。他のアトラム生……特にゆるふわ大陸出身者たちは彼を見習って欲しい。レナンドルを除き、悪名高いノースの人間なんて出会いがしらに威嚇射撃をしてナンボみたいなところがあるので。


 リュシアンは連邦王室に忠義を尽くすラブレー伯爵家の嫡男で、ジェルヴェとは幼馴染。まあ所謂、上手くいった世界線のレナンドルとシルヴェスタみたいなものだ。そんなこともあり、私はそれなりのシンパシーでもって彼と接している。レナンドルほどではないにしろ、彼も推しキャラだったし。


「本当、勘弁してほしいよ、なんで僕ばっかり、君のトンチキなところを目の当たりにしなきゃならないのさ……レナンドルがいる時みたいにしおらしくしててくれないか」


「だって貴方はジェルヴェ殿下に絶対言わないもの。私がどんな顔を見せようと、疑いを拭うことは無いし、ジェルヴェ殿下が私への疑いをやめるような情報は、間違っても漏らさない。そうでしょう。今だって、いつ私が本性を出すかって、手ぐすね引いて監視してるのだから、ね」


 自分への信頼が欠けた人間が一番信用できるだなんて、我ながら難儀な人生を送っているものだと思う。みんながみんな私に対してこうだったらいいのに……いや、こうあるべきなのに。


 リュシアンは苦虫を噛みつぶしたような顔で私を睨みつける。ああ、そう、それ。その疑惑の眼差し。誰の心にも入り込むような顔をしておいて、ジェルヴェ以外のことは何も信じていない貴方の本質。それが今は、何よりも快い。貴方だけは変わらずそのままでいてほしい。


「僕を変態みたいに言わないで欲しいな。気持ち悪いのは君の方だろう」


「花の仮面から素顔がはみ出していてよ、げに麗しきラブレーの騎士見習いさん」


「もう、君相手に猫をかぶっているのがいい加減馬鹿らしくてね。一度、自分の胸に手を当てて、そのわけを考えてみてくれるかい」


「やだ……仮面を剥ぎ取った途端にセクハラ……? なかなかな素顔ね……」


「なっ、馬鹿言わないでくれ!! ああ、もう……!」


 顔を真っ赤にしてグシャグシャと髪をかき乱すリュシアン。かぁわいいの~~! このこの~~!!


 分かってる分かってる、君の本命もリューシェ様でしょ? 悲恋だねえ、おねえさんウキウキしちゃう。生真面目な苦労に……もとい、頑張り屋さんはつい揶揄いたくなっちゃうんだ、許してくれ。


 ついでに間違いなく敵の私の前くらいでは品行方正なフリせず楽にしてくれ。こんな若いのに、周りのほぼすべてを疑って、命を賭してでも王子様を守らないといけないなんて大変な身空なんだから。


「レナンドルはもとより、君にとっても、ノースは窮屈だろう。どうして抜け出そうとしないんだ」


「プリエンの人間に自由なんて無いの」


「そんなの、そう思い込んでるだけじゃ……」


 仕方ないので、私はタートルネックの首元を寛げてチョーカーを外し、その下を見せてやる。そこに隠された、茨のような痣を。


「女の秘密は高くつくわよ、覚えておくといいわ」


「なんだ、それ……」


「おしゃべりは首を絞めて黙らせるのが、プリエンの流儀なの。本家から一定距離以上離れると自動的に胴体がサヨナラする素敵なオプション付き」


 リュシアンはあからさまに顔色を悪くして狼狽えた。急に当家の闇を見せつけてごめんね。気分悪いよね。でも恐ろしいことに、これ序の口も序の口、なんならインターホン押したくらいのところなんだ。


「レナンドルは、それを、知っているのかい」


「ノースにいれば肌の色と同化するようになってるわ。それに……教えるつもりなんて無い。分かるでしょう。レナンドル殿下には連邦や大陸で自由に生きて欲しい。連邦王室だって、彼を陣営に取り込む好機は逃したくない筈。貴方は賢明だと信じてるわ。リューシェ様にも、絶対言わないで」


「分かった。下手に踏み込んですまなかった」


「事情を知っている人間が一人欲しかったところだったから。私が無駄な足掻きをしていても、訳知り顔でいてくれる人がいれば、まだ心安らかにいられるわ」


 高くついたでしょう、と笑えば、リュシアンは大きくため息を吐いて首を振った。まあでもこの人ならキッパリ割り切って、連邦王室の利益のために動いてくれるはずだ。


 ああもう、本当、ノースって言うのはろくでもない。魔法使いの血統を後世に残すことしか考えてない偏執が、まるで呪いみたいに蔓延っていて、人の尊厳を屁とも思っていないのだから。いつかこの手でノース貴族の屋敷をみんな焼野原にしてそこで焼き芋焼いてやるんだ。

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