第11話:風邪をひいてしまったようです





 一時限目を終えて、なお空席のままの前の席に凜は視線を向けた。

 今日は結月は学校に来ていない。


 本人に休みかどうかを聞くのは躊躇われた。プライベートなことだし、そこまで根ほり葉ほり聞くぐらいの仲ではないような気がしたからだ。

 結局、昨日送ったメッセージには、夜遅くなってから「大丈夫」とだけスタンプが返ってきてそこで途絶えてしまっている。

 時間差があることに、なんとなく壁を感じる。だがそれは自分の思い違いなのだろうと凜は思う。もともと返信が遅いタイプかもしれない。


 ……そういう性格やらの諸々の事、まだまだ知らないもんなぁ。


 それでも、気になってしまうのは気になってしまう。特に昨日怪人と戦ったであろう後だから余計に、だ。

 休み時間の間、LOINを送るか迷って一時限目の時間を無駄にした後、二時限目の休み時間で凜は意を決してとある二人に声をかけた。

 いつも結月と一緒のグループにいる女子二人だ。


「あの……」


「お? TSちゃんじゃん。どったの?」


 眼鏡が隠れてしまうぐらい長い髪を携えた少女が、凜の声に気が付く。


「TS……ちゃん……? え? 俺そんな風に言われてんの?」


 声をかけたことを後悔するぐらいショックを受けた。いや事実だとしても。

 TSちゃん……TSちゃんかぁ……。


「なっちゃんさぁ……いくらなんでも失礼すぎない?」


 なっちゃんと呼ばれた長髪の少女とは対照的な、ショートカットの少女が相方を嗜めた。


「あはは、いやいや冗談だよ朝霞ちゃん。ごめんって。そんな睨まんといてよ」


「ごめんねっ。夏樹なつき、馬鹿だから。それでどうしたの?」


「ああ、いや──」


 どうにもノリについていけないなぁと凜は思う。

 目隠れの眼鏡少女は、立花夏樹たちばななつき。なっちゃんと呼ばれている。


 対してショートカットの少女は近藤朱音こんどうあかね。はつらつとした、いかにもスポーツが好きそうな少女だ。

 結構テンションが高い二人に、大人し目な結月がよく一緒にいられるなと凜は不思議に思う。性格が違う方が、一緒にいていて楽しいとか、そういうものなのだろうか。


 それとはまったく違う理由で、凜は女子のノリに全然ついていけないので早めに本題を言おうと思った。


「宮下さん、今日は休み?」


「あー……連絡来てない?」


「今日は風邪で休みだってー。なんか昨日水被っちゃったらしいよ」


「水被って、風邪……?」


 ……昨日水辺で戦ってたみたいだし、もしかしてそれで……? と凜は風邪の理由に思い当たる。


「そうだ!」


 夏樹が何か思い当たったかのように一声を上げる。


「凜くんちゃんさぁ、気になるんだったらお見舞い行ってきなよ」


「え……?」


「おっ。いいじゃん! あたしらは放課後部活あるし」


「いや、迷惑なんじゃ……」


 何で俺がという気持ちは凜には一切なかった。無いが、急すぎる。


「大丈夫大丈夫。あたしらから言っておくから!」


「どうせ一人なんだろうし、誰かが行ってあげた方がいーじゃん?」


「それにしてもゆっちゃんと朝霞っちが、いつの間にか、ねぇ~」


「ねぇー。最近仲いいもんねぇー」


 生暖かい目を向けられ、凜は一歩引く。


「え……? なに、どういう意味?」


 怪しがる凜に、二人は「ないしょ」と声を揃えて笑みを返した。





 ★  ★  ★





 コンビニで風邪の時によく飲む清涼飲料水と栄養ドリンク、プリン、ゼリーを買って、凜は結月の家に向かっていた。

 LOINのメッセージ履歴を見れば、夏樹達が押し切るような形で結月に見舞いの了解をもらっている。しかし、やり取りの中で凜が一人で見舞いに行くとは書いてないのが、ちょっとずるい所だ。


 インターフォンを押して、少し時間をおいて結月の声が聞こえてくる。


「はいはい……あれ? ……いま開けるね」


 ほどなくしてドアが開けば、パジャマ姿の結月が出迎えてくれた。


「……朝霞くん一人?」


 結月の声は鼻声だった。いつもより顔も赤い気もするが、


「ああ。立花さんたちは部活だってさ」


「…………あー、なるほどね?」


 何かに気が付いたのか、結月は半目になってため息を一つこぼす。


「まぁ、いいや。中入っちゃって」


「ああうん。お邪魔します」


 二回目とはいえ、ほとんど始めてみたいな家だ。少し緊張感を感じながら、凜は靴を脱ぎ家に上がる。


「これお見舞い」


「え、ああ。ありがとう! お気遣いいただきまして」


 コンビニ袋を凜から受け取り、中身をみて結月の顔がほころぶ。

 そのまま促されるように入ったのはリビングダイニングだった。夕暮れ時だったからだろうか。明かりが弱く、どこかそこは寂しい場所に感じた。テーブルに置かれた小さな観葉植物は枯れており、キッチンの方にはカップ麺や弁当と思われる容器が大量に詰まった袋が何袋か放置されていた。

 ちょっとそれが意外に感じて凜は目を丸くする。


「あはは……汚くてごめんね」


 そのことに気が付いたのか結月は苦笑いをこぼしながら、ごみ袋をキッチンの奥に押し込んでいく。


「いや、意外だなって。結構きれい好きなイメージあった」


「女の子なんてだいたいこんなもんだよ」


 女の子の生態が母親と妹ぐらいしか知らない凜は、そういうものかと思ってしまう。


「それより、熱、大丈夫なのか?」


「え? 大丈夫だよ?」


 冷蔵庫に凜が持ってきたプリンなどを仕舞いながら結月は凜を見ずに答える。


「ちょっと待っててね。今お茶出すから……コーヒーとジュースどっちがいい?」


「…………」


 その言葉を無視して、凜は結月に近づき──


「朝書く──」


 凜は結月の額に自分の手を当てた。

 目の前で息をのむ声がするが、無視して手のひらに伝わる熱を感じる。


「…………熱いな」


「ちょ、──朝霞くん!?」


 先ほどより顔をさらに真っ赤にして、結月は一歩引いて凜の手から逃れた。

 ……この間同じ事自分もやったくせに。と凜は半目になる。


「熱。何度あるんだ?」


「えぇ……? えっと……平熱よりちょっと高いぐらい?」


「何度?」


「…………三十八度ぐらい」


 思わずため息が出た。


「今すぐ薬飲んで寝ろ。今。ナウ。ハリー!」


「え、いや、ちょっと……」


 有無を言わせず結月の背中を押し、二階にある結月の自室へと押し込んでいく。

 風邪薬を部屋に持ち込んでくれていたので、それを飲ませて、凜は結月をベッドに寝かせた。


「ちょっと待ってろ」


 一階に戻って冷蔵庫に仕舞われた栄養ドリンクと濡らしたタオルを持っていく。

 戻ると、未練がましく上半身を起こしていたので寝るように促して、結月の額にタオルを乗せた。


「……あんまり眠くないのに」


「それでも起きてるよりマシだ」


 椅子を借りて、結月の顔が見える位置に座る。


「全然、元気な方なんだけどなぁ」


 鼻声でそんなことを言われても説得力がない。


「それだけ熱があったら怠くて辛いだろ。元気なのは気のせいだ」


「そうなのかなぁ」


 結月が唇を尖らせて抗議をする。

 普段より幼く感じるのは、熱がある故だと凜は思う。


「それにしても、なんか手慣れてるね」


「妹がいるからな。風邪ひいたときに面倒を見るのは俺の役目だった」


 子供の頃は──今も子供であるということは置いておいて──もっと幼かった時のことだ。妹が困ったときや弱った時など率先して面倒を見ていたものだ。それが、兄としてやるべきことだと思っていた。

 今はもう、構おうとすればウザがられるようになって、妹の兄離れを感じる。


 小学生のころ、妹に意地悪する男の子を追っ払ったこともあったっけ。

 ……まあ、見様見真似で出したソバットがいい感じにこめかみに入って泡吹かせたのはやりすぎだったかもしれないけど。

 ともあれ、こうして風邪をひいたりしている人間の世話を焼きたくなるのは子供のころからの性分なのかもしれない。


 結月の額に乗せたタオルを裏返して、再び額に戻す。


「……タオル気持ちいい」


「そりゃよかった。しっかり熱が出てる証拠だ。熱は辛いが、熱を出さないと治らんからな」


「うん……」


 聞き流しているのか、生返事が返ってきた。少し落ち着いて熱を自覚してきたのだろう。


「あーあ……ヘマしちゃったなぁ。まさか水被ったくらいで風邪ひくなんて」


 熱いため息とともに、結月は愚痴る。


「……昨日、怪人と戦った時?」


「そう。水場だったから、思いっきり水かけられちゃって」


「まあ、今はゆっくり休んでおきなよ。もし怪人が出てきても、俺が戦うさ」


「────それはダメだよ」


 おどけたように言った凜の言葉に、結月は対照的な冷たい声で否定をかぶせた。

 自分で言って自分で驚いたのか、結月はハッとすると、視線を遮るようにタオルで自分の目元を隠す。


「朝霞くんに危ないことさせられないよ。これは私がやるべきことなんだから。だから朝霞くんは待ってるだけでいいんだよ」


「…………」


 何か言おうとして──やめる。

 言いたいことはあったが、風邪をひいている相手に言うべきではないと思い、凜は言葉を飲み込んだ。


「そっか」


 代わりに出てきたのは、肯定とも否定とも取れない言葉だった。この話はここで止めておこうとも言う意志でもあった。

 それが伝わったのかは不明だが、結月はそれ以上何かを言うことはなかった。


 ……もしかしたら、宮下さんって結構頑固なのかもしれないな。


 内心でため息をつきながら、もしくは、甘え下手か。とも心の中の言葉に付け足す。

 言わず、代わりに凜は結月の目を隠していたタオルを取る。冷やしていたタオルはすっかり温かくなっていた。


「タオル替えてくる」


 凜に視線を向ける結月に、凜は努めて笑顔を返し、


「そいや腹減ってないか? お粥ぐらいなら作れるぞ」


「え? 減ってるけど……流石にそこまでしてもらうわけには……」


「いいんだよ。ここまで来たら乗りかかった舟だ。ご飯はある?」


「レトルトなら、台所の戸棚にあるけど……」


「よし。ちょっとキッチン借りるぞ。──ああ、宮下さんは寝てな」


 起き上がろうとする結月を制して、凜は洗面所でタオルを冷やして、再び結月の額の上に置く。


「いいのに……」


 眉尻を下げて受け入れる結月に、凜は苦笑を返す。


「病人は黙って受け入れるのが親切心ってもんさ」


 そう言い残して、一階に降りてキッチンを物色すれば目的のものはすぐに見つかった。

 レンチンでご飯を温めてる間に、水を張った小鍋を火にかける。煮立ったら塩と大さじ一杯ほどのめんつゆを入れてご飯を入れ煮立たせる。

 火を弱火にしながら、凜は先ほどの結月の言葉を反芻する。


 強めの否定は、結月だけの問題だと思っているからこそ生まれたものだろう。

 けど──。

 怪人の討伐を結月一人だけの問題だと捉えていないだろうか。


 以前まではそうだったのかもしれない。

 けど、もう自分は巻き込まれてしまったのだ、と凜は手のひらを見ながら思う。

 以前よりも小さく、細くなってしまった手。女の子になってしまった体。


 そして、怪人とも戦える異能な体。

 この体はもう守られる通行人モブAではなく、当事者なのだ。彼女の思惑とは裏腹に、そうなってしまったのだ。

 だから、そのために必要なことは──。


 ……おっと、たまごたまご。


 考え込んでお粥の事を忘れそうになっていた。煮立ってきた鍋に溶き卵を入れてかき混ぜる。蓋をして少し待てば、卵がゆの完成だ。レシピは凜のオリジナルだから、口に合うといいが。

 小鍋から器に盛って二階の結月の自室に戻る。


「宮下さん、お粥できた──」


 ──寝息が聞こえた。見れば、結月は目を瞑っており凜が戻ってきたことに気が付いていない。


「……寝ちゃったか」


 やれやれお粥は温め直しになるが、まあいいか。ラップをかけて置いておこう。

 結月の額からずれかけていたタオルを直し、立ち上がってその寝顔を見下ろす。

 日々戦ってるのが信じられないぐらいの、穏やかな寝顔だった。

 せっかく寝たのだ。起こさないようにして家を出るべきだろう。


 テーブルに栄養ドリンクとお粥をレンチンして食べるよう置手紙を残して凜は結月の家を出る。

 外は既に夕闇が濃く、夜の空気が流れ始めていた。






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願い星の魔法少女~TSした上に変身能力まであるんですけど!?~ 金田々々 @nekoruji

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