第10話:チンピラが怖いです!
先生の説明の声と、黒板をチョークで叩く音だけがしばらくの間響いている。
授業中だ。時間は午後で、ちょうど眠くなってくる時間である。
凜はノートを取る振りをしながら、先日見たアルゴルと呼ばれた怪人を落書きしていた。先生の声を右から左に聞き流しながら、思考に更ける。
あの怪人に会ってから一週間が経った。
その間、怪人は出ず平和な時間が訪れている。
でも、アルゴルって奴は諦めた感じは全然しなかったし、どっかで現れたりするんだろうな……。
平和なことはいいことだけれど、問題は何一つとして解決していない。
凜はちらりと前の席を見る。いつも結月が座っているその席は誰も座っておらず、鞄も机に掛かっていない。体調が悪くて早退すると本人が言っていた。
心配する気持ちと共に、なんとなくがっかりするような落ち込むようなそんな気持ちになる。
そんなことを考えていたら、先生の声を遮るように終業のチャイムが鳴り響いた。授業の終わりと共に、クラスの中がそれぞれの話題で騒がしくなる。
「凜よ。最近お前から女子の匂いがするのだが! 後ろで授業を受けていて時折香ってくる匂いにドギマギするのだが! どうにかならんのかね!?」
「うるせぇなぁ……」
背後で騒ぐ友也に視線を向ける。
「仕方ないだろ。親も妹も、男物のシャンプーなんて使うなって言うんだから」
つい先日シャンプー替えてと妹に愚痴られたのを凜は思い出す。どうにも女の子の姿をしていて、男物の匂いがするのが許せなかったらしい。
「まあ、そんなことはどうでもいいのだ」
「えぇ……?」
さっきの発言は何だったんだと、凜は顔をしかめる。
見れば友也はさっきからスマホに視線を落として何かを見ていた。
「見よ。また魔法少女が怪人を撃退したようだぞ!」
「え……」
友也のスマホを覗き込む。そこにはSNSのショート動画で怪人が光の奔流に飲まれて爆散する動画が映っていた。奔流の元には光の玉が映っており、魔法少女のカモフラージュの姿だとわかる。日付と時間を見れば、つい先ほどだ。
「え? どうして……?」
「どうしてもこうしてもなかろう? 彼女は日々人々の平和を守るため活動しているということだろう?」
凜が言いたかったのは、早退したはずの結月がどうして戦っているのかということだが、事情を知らない友也にそれが伝わるはずもない。
「しかし、この時間に活動しているということは彼女は学生ではないのか?」
「あ、ああ……そうかもね」
友也の質問に凜は乾いた笑いを返す。
「ここ、場所どこだ?」
「ん? ここか? 川が見えるな……多摩川のあたりじゃないか? 河川敷のところ」
「……ここらへんか?」
凜は地図アプリを立ち上げて、動画に映っていたと思われる場所を指し示してみる。
「フフフ、まだまだだな凜よ。水門が見えただろう? であれば、場所はここだ」
マップをスライドさせ友也は少し下流の位置を指した。
「なるほど、よく見てんなぁ」
「フハハハハ! そう褒めるでない!」
「ストーカーの才能ありそうだなって」
ご機嫌だった友也の顔が凍り付いた。流石にライン超えだったらしい。
凜は「ごめんて」と謝りながらスマホをしまう。とりあえず場所はわかった。二駅ぐらい離れているが、そう遠くはない場所だ。
場所が分かれば後は行くだけだ。
凜は鞄をつかんで立ち上がろうとし──、
「凜よ」
──しかし、友也に引き留められた。
「な、なんだよ?」
「授業始まるぞ」
その言葉と共に、次の授業を知らせるチャイムが教室に鳴り響き、先生が教室に入ってきた。
「…………」
凜はため息をついて、鞄を机にかけなおして上げかけた腰を椅子に落ち着けた。
授業を始める先生の声が聞こえてなお、今から教室を飛び出せるほど凜は勇気が出なかった。
宮下さんや怪人がどうなったか気になるのに……。
結局、HRが終わるまで凜は学校に拘束され続けた。
★ ★ ★
「やっぱ、もう居ないよな」
西の山側に日が傾くころ、凜は先ほど動画で見た河川敷に到着していた。
オレンジ色が濃くなった日の光に照らされて、緩やかな川の流れはきらきらとしている。
多分戦闘があったであろう現場では、警察が何人か検証を行っているが、特に河川敷の遊歩道が封鎖されているわけではない。周りは何事もなかったかのように、散歩する老人や友達とはしゃぎながら帰宅する小学生がいるぐらいだ。
凜はLOINを開いてみる。結月に送ったメッセージは既読はついているものの特に返信はない。
……具合が悪くて早退したんじゃなくて、怪人と戦うために早退したってことだよな。
口をへの字に曲げて、凜は河川敷を見渡した。
そこに結月の姿はないが、無くてよかったと凜は思う。姿を見かけたら一言二言文句を言ってしまいそうだからだ。
……なんで俺を誘ってくれなかったんだろ。
凜の不満は、この一言に集約された。
戦う力はこの間の猫怪人で見せたはずだ。何も一人で戦う必要なんてないと、凜は思う。怪人を倒せる力をこちらも持っているのだ。それならば協力し合えばいいじゃないかと、も。
それができない理由があるのか。それとも凜の戦闘経験に不安があるのか。
「って一人で抱えてても仕方ないよな」
長い髪をかき分け、頭をかく。
とにかく本人に何故なのか聞いてみなければ話は始まらない。
凜は再びスマホに視線を落とす。やはりLOINには何の返信もない。
……無事なら、スタンプの一つでも返してほしい。
ため息をつきながら、凜はその場を離れようと踵を返した。
──見知らぬ男が立っていた。
★
「え?」
あまりにも何の気配もなかったので、人がいるという認識が一瞬遅れる。
最初の印象は黒だった。というのも全身黒色のスーツを着ていて、ワイシャツまで黒色だったからだ。
というかこの三十度を超える残暑の中、スーツとか正気か? と凜は思う。
一歩引けば、今の凜の背では見上げるほどの背丈だった。かといって筋骨隆々としているわけではなく、どちらかと言えば細身な体をしていた。
「見つけたぜぇ──」
ギザ歯を見せて彼はニヤリと笑う。
短く切りそろえた金髪に、刺繡の入ったスーツを見て、凜は思い出した。
そういえば帰り道でこんなチンピラみたいなやつに声をかけられたような……。
「魔法少女!」
「────……は?」
指を突き付けられながら言われた言葉に、凜は素っ頓狂な声を上げる。
「体中から魔力を放ちやがって。普通の人は気づかねぇだろうが、俺は騙されねぇぞ?」
「…………」
何言ってるんだこいつ? 魔力? 騙す?
凛がわかったのは、目の前の人がやばい人ということだけだ。
「あの……人違いです。急いでいるので帰りますね。ではさようなら」
こんな怪しい人に関わりたくないと思い、凛は一息に別れを告げて男に背を向けた。
「あー? ちょいちょい、ちょーいちょい!」
「うわ!」
その場を去ろうと歩きだそうとして、腕を引っ張られ、引き止められる。
うわっ、手でか……。
凛の細い腕が男の手のひらにすっぽりと収まっている。
「ちょ、離してください! なんなんですかっ!」
腕を振って解こうとするが、ガッチリと掴まえられていて解けそうにない。
「んな抵抗すんなよ。ちょっと話が聞きたいだけだって!」
「魔法少女なんて知りませんって!」
振り解こうと腕に力を込めるが、びくともしない。
こんな力の差があるのか! と凛は男と女の子の力の差を感じる。これ結構絶望するかも、とも。なんとなくゾンビ映画でゾンビに掴まれた被害者の絶望感ってこんな感じなんだろうか。
こんなチンピラみたいなやつに着いていったら何をされるのかわからない。
「離して……離せや!」
恐怖心が芽生えてくる。何なら怪人と戦うより万倍も怖い。
「こっちはそうもいかねぇんだよ!」
「…………君たち何してるの?」
第三者の声が聞こえた。
見れば紺色の制服を着て、正面に金属の飾りが施してある紺色の帽子を被る姿は──警官だ。
「すいません! こいつさっきからしつこくて……助けてください!」
凛の声がよほど切羽詰まって聞こえたのだろうか、警官の顔が険しくなる。
「ちょっとそこの彼。少し話を聞かせてもらえませんか?」
「えっ!? いや、俺は話を聞きたくて……」
チンピラがようやく手を離し、無実だとでも言うかのように胸の前で手のひらを見せて警官にうろたえる。
いまさらそんなフリをしても、疑いは晴れないと思うのだが、チンピラの精いっぱいの抵抗だろう。
「君、彼と知り合い?」
「知らない人です」
警官からの問いかけに、凛は間髪入れず答える。
「……貴方、すこーしあそこの車でお話しましょうか? なぁに少しだけだから。あっ、君は帰っていいよ」
「あ、ありがとうございます……」
「は!? えっ!? ちょっと警官さん? 俺それどころじゃないんだけど!?」
警官に腕をガッチリと掴まれ、促されてチンピラは警官に連れられていく。
その背を見ながら、凛はほっと胸をなでおろした。
何だったんだろう。魔法少女のファンかなにかだろうか。過激派は怖い。
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