第9話:こいつのせいですか!
幸い走っていく結月は目に追える位置にいた。その背を追って凜も走る。
が──
う……わ、足おっそ!
ちょっと予想はしていたが、男の時と比べると雲泥の差で足が遅い。
それに、スカートが……めくれそうで怖い!
ともすればパンツ全開になるんじゃないかと思うぐらい頼りない。気にすれば気にするほど追う足は鈍くなり、歩様はぎこちなくなる。
その間にも結月はいくつもの角を曲がっていく。しかしその背よりもスカートが気になって、見失ってしまいそうだ。
というか、宮下さんはなんで全力ダッシュできるのだろう? やはり長年の経験値なのだろうかと凜はちらっと思う。
そう考えている間も、結月は人気のない奥の方へと駆けていく。
ええい、気にしていられるか!
女子がショートパンツを穿きたがる意味が分かった気がする。下に何か穿いていれば風の日でも安心だ。そう、安心が欲しいのだ。
……風の強い日にスカートに目に行ってごめんなさいでした!
誰かに謝りつつ前を行く結月の背が止まったのを凜は認識し、足を止めた。
路地裏からさらに人気を避けるようにして入り込んだビルとビルの間。建物同志でコの字を作り袋小路となっているその場所は、表の路地からでは人目につくことはない。
そこに先に行った結月とは別の影が二つあった。
一つはうずくまる人──いや、あれは人ではない。人ほどの大きさの獣だ。漆黒の影のような体躯をしたそれは三角の耳が生えており、全身は毛にくるまれ、二つの尻尾を持った──猫だ。
猫というには可愛げなんて全くないんだけど!
愛らしい口は牙をむき、特徴ある目は白目をむいて血走っている。
そしてその前に立つもう一つの影。それもまた変な姿をしていた。
真夏だというのに黒いローブのようなものを着て佇んでいるのも怪しさ満点だが、問題は頭だった。金属のような鈍い銀色の肌の禿げ頭に、目のあたりに縦三つの穴が空いただけで、口も鼻も耳も無い、ほとんどのっぺらぼうに近い顔。フルフェイスのヘルメットのようにも見えるが、ヘルメットとはバイザーが無いものも許されるのだろうか。
コスプレイヤーの方ですか? とか言ったら流石に空気読めないよなぁ。
絶対に違うというのが雰囲気でわかる。
それに前にいる結月からはピリッとした緊張感が漂うのが、後ろにいてもわかった。決して茶化していい雰囲気ではない。
「アルゴル」
結月が名を読んだ。
「おや、数日ぶりですねぇ」
低く、落ち着いた声が帰ってきた。男の声だ。目の先にいる影では性別が全くわからないが、男性ということになるだろう。
「そこの少年も──いや、元少年というべきか──お元気そうで何より」
「え……?」
男の言葉に結月が振り返り、凛の姿を認めた。
「朝霞くん、着いてきたの!?」
「そりゃあ、そうでしょ……」
あの流れで放っておけるほど察しは良くない。
それよりも、だ──。聞き逃せぬ言葉があった。
「おいあんた。今、少年と言ったか?」
「……そうだね?」
今の凛は少女の姿をしている。長い白髪とスカートを穿いた女子高生の姿を見て、少年と見間違えるのは無理がある。
「なぜわかる?」
つまりは──
「ははは、そりゃあ私がその体にしたからねぇ」
くらりと目眩が襲った。隠し事も駆け引きもするわけでもなく、こんなあっさり認めるとは。
「どういう……つもりだ?」
続く言葉は怒りで震えていた。顔に血が昇るのを凛は自覚するが、当然のことだとも思う。
「なんのつもりで女にした?」
凛の怒りにアルゴルと呼ばれた男は肩を竦め、
「暇つぶし、かねぇ」
堪忍袋の緒が切れるには十分だった。
人の体を勝手に女にしておいて暇つぶし? 冗談だとしたらなんてお笑いの才能がないんだ。
「野郎──」
眉を釣り上げ、掴みかかろうと凛は足を進めようとして──しかし、その行く手を遮る姿があった。
「宮下さん?」
「ダメだよ。危ない」
その声は少し怒っているように聞こえた。
「挑発に乗っちゃダメ」
「おやおや来てくれないのですか……来てくれたらこいつがお出迎えしてあげましたのに」
アルゴルが身をずらすと、一つの影がゆらりと動いた。もう一つあった猫のような影。それが二本の足で立ち上がり、アルゴルを守るように前に出る。
「……朝霞くん早く逃げて。このままだと邪魔になる」
「…………」
言われ、迷う。逃げるべきではあるが、ここで結月を見捨てるような真似ができるのかと言われればノーだ。
「く──」
せめてモールのときのような力が現れれば加勢することも可能だろうが、あの時どうやって変身できたのか、どうすればあの力を取り戻せるのかわからない。
だから、選ぶとしたら退却しかなかった。二体の影を
「──いくよ、星くん」
結月は鞄についていた星くんをもぎるように手に取り、突きつけるように突き出す。
星くんが青白く発光する。それは夜空に浮かぶ星とは比べ物にならないほどの強い光で、閃光のように眩しいものだった。
「
星くんから放たれた光が奔流となって結月の体包み、光の飛沫が弾けると同時に結月の姿が変わる。
黒色の艷やかな綺麗な髪がピンク色の鮮やかな髪になり、白を基調とした裾の短いジャケットに薄桃色のワンピース。白いロングブーツが足を守り、覗く太ももがブーツとスカートの間から見えて絶対領域を作り出している。
変身の反動でもあったかのように服の端を揺らし、魔法少女が立っていた。
「────」
その一瞬を見て、凛は足を止めていた。
見惚れた──と現したほうが正しいかもしれない。彼女の後方、なびく髪から覗くうなじと横顔を見て、
「綺麗だな……」
と、ポツリと言葉が漏れていた。
「──フフッ」
その凛の言葉が聞こえたのか、吹き出すように笑ったのはアルゴルだった。
「呑気だねぇ。でも、いいのかい?」
アルゴルの裏で身構える影がある。
「──君、また死んでしまうよ?」
その言葉とともに猫怪人は跳躍した。
★
跳躍は前でもなく真上でもなく斜め上へ。猫怪人は壁蹴りを行いながら高く、駆け上がっていく。
「何するつもり……!?」
結月は杖に溜めた光弾を放つが、宙を弾かれるように移動する猫怪人には当たらない。
しかしビルの壁を活用する以上、高度には限界がある。ビルより高くは上がれないからだ。故に猫怪人は行動を変える。壁を蹴るのではなく、走るようにして前に進むと身をひねって飛び込むように跳んだ。その動きはちょうど結月たちの頭上を超える動きであり、三回転捻りを伴って地面へ降り立つ場所は──
「挟み撃ち──?」
凛が状況を口に出す。ビルの袋小路の出口から逃さないように猫怪人が立ち塞がる。
「朝霞くん!」
庇うようにして結月が凛の前に躍り出た。
「────Gu!!」
一息すらつかさないように猫怪人が、正しく猫のように結月に飛びかかる。人の手に近しい指は、しかし鋭く長い爪が伸びており、突き刺し切り裂くには十分なものであると認識させられた。
だが、その爪が結月に触れることはない。
結月が伸ばした手のひらの先、盾のように不可視のバリアが爪を防ぎ、食い止めている。その盾は球体のように結月の周囲に展開され、回り込むように振り下ろされた猫怪人のもう一つの手も防いでいた。
そして両の手を広げれば腹はがら空きとなり──。
「せえぇい!」
杖に溜めた光弾がそのどてっ腹に直撃した。
猫怪人は吹き飛び転がっていく──が、痛みがないかのように直ぐに起き上がり、警戒するかのように一声鳴き声を上げた。
結月は杖に光弾を溜め、前傾を取るが、踏み込まない。
踏み込めなのだと、凛は悟る。
結月の背後には凛がいて、その奥にはアルゴルがいる。アルゴルを警戒しつつ、凛を守る動きをしなければいけない以上下手に前に動けないのが現状だ。
迷惑をかけている……と凛は感じる。
凛は手のひらを力いっぱいに握った。せめて一昨日の半分の力でもいい。結月のように自分も変身できれば──
……できれば───────。
────────────────すればいいのでは?
何を勝手にできないと思っているのだろう。
出来るはずだと、凜は胸元を握りしめる。
一度できたことだ。出来ない道理はない。
ドクンと、心臓が一つ高鳴る。内側から力が溢れる気がする。
行ける────!
「変──身──!!」
眩い光とともに凛の体が一変する。
漆黒の甲冑を纏った騎士のような、しかし決して金属質質感のアーマーを身にまとった姿が現れる。
目線の高さが一昨日のときと同じだ。体が馴染み深いものになっていることに手を開いて握って感触を確かめる。
「これで……」
結月の隣に並び立ち、凛は拳を構える。
「俺も戦える──ッ!」
「URAAAAAAAA!!!」
新たな参加者に猫怪人は雄叫びを上げ、再び飛び込んできた。先ほどと同じように結月の方へ突っ込む──
「!?」
──フェイントだ。直前に猫怪人の体が弾かれたように横に動く。
結月には敵わないと思ったのだろうか。凛が隙だらけに見えたのだろうか。横に動いた猫怪人は、結月の隣にいた凛へと爪を伸ばす。
「!?」
その頬に、凛はカウンターとなる拳を打ち込んだ。打ち込んで、少し驚く。
敵の動きが、見える。体が、思った以上に動く。
これが変身の効果かどうかはわからない。しかし男だったときより明確に戦えると感じた。
だから──凛は動く。
体勢が崩れた猫怪人をすくい上げるようにアッパーを放ち、跳ね上がった体を巻き込むように回し蹴りを打ち込んでいく。地面に叩きつけられた猫怪人の体が、トランポリンで跳ねたように浮き上がる。
その無防備な体に、凛は右ストレートをぶち込んだ。
「──g!」
声なき声を上げて猫怪人の体がビルの壁にめり込むようにして激突する。
その影を追う姿があった。結月だ。凛の隣を駆け抜け、崩れ落ちる猫怪人へと肉薄する。杖に溜めていた光弾はいつの間にか剣を思わせる光の刃に変わっており、結月は走りながらその刃を振り上げ──
「せぇえい!!」
猫怪人の体を一刀で両断した。
断末魔の声も上げることなく、砂を崩したかのように二つに分かれた猫怪人の体が塵となって崩壊していく。
「星くん!」
その崩れる体に結月は杖を突き出すと、塵が杖の先端に着いた星のオブジェに吸い込まれていった。
それはどことなく、星くんに怪人を食べさせているような……そんな感じにも見えた。
★
乾いた拍手が聞こえた。
「お見事」
アルゴルと呼ばれた男はふわりと宙に浮いていた。浮き上がり離れていくその姿を凛が体で驚きを表現してくれる。その驚きに愉快さを覚え、アルゴルは喉の奥だけで笑い声を鳴らす。
「それでは、私はお暇させていただこう」
ふわりと浮いた体は、すぐさまビルの高さを超えるほどの高さになり、眼下の二人はビルの影に消えていく。
飛べない彼らでは追ってくることはできまい。
浮いてビルの屋上を滑るように移動しながらアルゴルは思慮にふける。
「しかし……」
少年の変身はこちらの予想外ではあった。あんな芸当ができるようになっていたとは。色々と化学変化が起きた結果なのかもしれない。
が、
「特に問題はないねぇ」
こちらの想定しているシナリオから逸脱するわけではない。むしろ……
──そこで、アルゴルは一つの異音を聞いた。それは静かなビルの上には不釣り合いの打撃音であり、人気のない場所には無いはずの怒鳴り声だった。
聞こえた音に釣られ、アルゴルは背後を向く。
「!!?」
そののっぺらぼうな顔に凛の黒い拳が突き刺さった。
★
殴られ後退りするアルゴルに手応えを感じ、凛は殴った手を強く握りしめる。
「追って……これたのかい?」
「壁蹴りゃ、追えるだろ」
先程猫怪人がやっていた方法だ。やれるかどうかはわからなかったが、変身したこの体ならできないことはなかった。
「そんなことより、だ。俺の体を元に戻せよ!」
「いやぁ……ハハ」
凛の怒気をはらんだ言葉に、アルゴルは困ったようにつるりとした頭を撫でた。
「無理なんだよねぇ、ソレ」
その言葉とともに、凛は踏み込む。否定の言葉は織り込み済みだった。距離を詰め、拳を振りかぶる。
「そうか……じゃあ、倒されろ!」
しかし、付きこんだ拳は空を切った。
「!?」
当たらなかった。避けられた。それだけではない。
目の前からアルゴルの姿が消えた。
「ハハハ。いや、威勢がいいね?」
姿は見えども、声だけが、前から、後ろから、横から──正しく何処からか聞こえてくる。
「悪いが相手をするつもりはないのでね。本当にお暇させてもらおう」
「クソ! どこだ!?」
凛は周りを見渡すが、そこにアルゴルの黒い姿はない。
「そうだね……もし本当に元に戻りたいのなら──星にでも願うといい」
「はぁ? お前、ふざけんなよ!?」
凛の怒声が屋上に響く。
しかし、少し待ってみても何かが動く気配も、声も聞こえない。本当にどこかに行ったようだ。
舌打ちを鳴らし、凛は空を見上げる。日が暮れ、夕闇に染まり始める空があった。
「星に願ってもなんとななるわけないだろ」
西の方に一番星が瞬いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます