第4話:男の尊厳が失われていきます





「八十……にぃ!?」

 ランジェリーショップの試着室の中で妹が怒りの声を上げた。


「いたっ、痛いって!」

 メジャーが食い込み凛は身を捩って逃げる。


「クッソ兄貴がよぉ……Fとかよぉ……私と同じ身長のくせによぉ! なんで私より十センチもでけぇんだよぉ! デカパイ嫌い!」


「お前キャラ変わってるって!」


 ぺしぺしとメジャーで叩かれる胸を守る。

 不満げなのか、半目になったは美鈴は口をへの字に曲げてため息をついた。


「じゃあ、合うブラ持ってくるからお兄ちゃんはここで待ってて」


「あ、ああ……ありがとう……」


 俺の妹は大丈夫だろうか。情緒不安で若干心配になると凜は思う。

 美鈴を待っている間、スマホを取り出す。SNSアプリを開き、トレンドを目で追う。

 怪人、魔法少女、日本滅亡、特撮……これだけ見れば日曜朝のトレンドだ。


「怪人……ねぇ」


 怪人のトレンドを開けば、いくつか写真付きのメッセージが連なり、ビルや道路が破損した写真も多くある。改めてみると結構被害が出ている。

 今まで気にしなかったがログをたどればどうやら半年前ぐらいから怪人が出始めたみたいだった。

 学校でも噂になっていたのかもしれないが、凛の友好範囲では特に話題に上がることはなかった。


 俺が女になったのも怪人の仕業なのか……?

 当然そういう疑問は浮かぶ。

 もしかしたら同じような被害があるのかもと、検索してみたが引っ掛かるのは漫画の話題ばかりだ。

 同類はいないか……。

 男に戻る方法があるかもしれないと俄に期待したが、ネットに転がっているなどうまい話はなかった。


「おに──お姉ちゃん持ってきたよ」


「お、おー?」


 試着室のカーテンの外から美鈴の声がして凛はスマホをしまう。

 身を滑り込ませるようにしてカーテンを小さく開け入ってくる美鈴に、凛は首をかしげる。


「……お姉ちゃん?」


「いや、だってこんな店でお兄ちゃんとか言ったら変じゃん」


「まあ、確かにそうだけど」


「なに?」


「認めたくねぇー……」


「今まさにブラ試着しようとしてる奴がなに言ってんの」


「なおさら認めたくねぇ……」


「うだうだうっさいなぁ。観念しなよ。女でしょ!」


「認めねぇ!」


「うるせぇ! これ着ろ!」


 付き出されたブラジャーを凛は思わず手に取った。

 目の前に掲げてまじまじと見る。鮮やかな赤色でレースがマシマシで──透け透けな奴だった。


「変態かお前は!」


「あっ、間違えた。こっちだこっち」

 美鈴は赤レースの下着はひょいと取り、白を基調とした小さいフリルがついてるブラを渡す。


「ちっ、着たら写真撮って一生ネタにしてやろうと思ったのに」


「聞こえてんぞー……」


 小声で恐ろしいことを言う妹に凛は背筋を凍らせる。

 受け取ったブラジャーを前に凛は複雑な表情をしていたが、意を決して肩紐に腕を通した。

 女の下着はよくわかんねーけど、後ろでホック止めれば良いんだよな?

 腕を背中に回して、ホックを止め……止め……


「うえぇ? ホックどこ?」


 鏡でホックの位置を確かめながら、なんとかホックを止める。

 無事着けられたことに凛はホッとしていると、


「ダメだねお姉ちゃん」


「えぇ?」


「ちょっと軽く腕とか回してみたら?」


「?」

 狭い試着室内で美鈴に当たらないよう肩を回したり腰を捻ったりする。


「……なんかちょっと痒い?」


「ちゃんと着けられてないんだよ。ちょっとこっち向いて」

 美鈴の方を向くと、胸を鷲掴みされる。


「うひゃあ!」


「この駄肉が! ちゃんと収まってないんだよ。それにフックも緩いから。肩紐もねじれてるし」


 むんずと肉を掴まれカップの中に収まるように整えられる。次に後ろを向かされると、締め付けられるようにフックを直される。最後に肩紐を整えられ、ポンっと背中を叩かれた。


「どう? 苦しかったりしない?」


「あ、ああ……いや、うん。大丈夫っぽい」

 さっきと同じように体を動かしてみるが、さっきよりは違和感がない。


「じゃあこれと同じくらいのサイズいくつか見繕ってくるから、お兄ちゃんはブラ着ける練習してて」


「あ、ああ……」

 やれやれといった表情で美鈴が試着室から出ていこうとする。


「あっ、美鈴」


「ん?」


「ありがと」

 凛のお礼が意外だったのか、一瞬美鈴はきょとんとした表情を見せた。しかし次の瞬間にはいたずらそうな笑みを浮かべると、さっきの赤いブラジャーを付き出す。


「じゃあこれ来て写真とらせて」


「断る」





 ★  ★  ★





 下着を無事に購入した後、ウニクロで私服を物色中に凛は見知った顔を見つけた。


「宮下さん?」


 凛の声に結月が振り返る。


「え? あ、ああ……朝霞くん?」


 その表情に焦りのようなものが見え、凛は首をかしげた。


「どうかした? なにか探し物?」


「ん? んーん。何も探してないよ」

 しかし、凛が見た表情は錯覚だったとでもいうかのように結月は笑顔を見せ、首を横に振った。


「それより朝霞くんは……ああ──」

 凛が腕に下げている様々な袋を見て、結月は納得の表情を浮かべる。


「そうだよねぇ……女の子になっちゃったもんねぇ……なにかと入り用だもんねぇ」


「い、いやちょっと待って」


 なんというか、女物の服を買っているのをクラスメイトに見られるのは恥ずかしい。体は女になった──ことは大変認めにくいのだが、心は男のつもりだ。まるで女装を見られたような、変な気恥ずかしさが凛に降りかかる。


「これは、妹の。そう! 妹のだから!」


「へぇー妹さん居るんだ。どこに?」


「い──まは、トイレいっててぇ」

 なんでこう都合のいいタイミングでいないのかと、心の中で凛は妹を恨む。


「大丈夫! 大丈夫だよ! これは仕方の無いことなの」


「仕方ないかもしれないけど仕方なくないんだよ!」


 伝わらないこの羞恥感。

 ぐぬぬと、何を言い返そうか悩んでいると振動音のようなものが聞こえた。自分のスマホかと凛はバッグからスマホを取り出すがなんのお知らせも来ていない。


「──近い」


 結月の声にスマホから視線を外すと、結月はバッグについている星のキーホルダーを握りながら、周囲を見回していた。


「宮下さ──」


「朝霞くんごめん! もう行くね!」

 凛が声をかけるより早く、一言だけ残して結月は走り去っていった。


「あー……彼氏と待ち合わせか何かか?」


 別に好きと言うわけではないのに、知っている女子が彼氏持ちだとどうしてがっかりするのだろうと、凛は不思議に思う。


「お姉ちゃんお待たせー。欲しいの決まった? ってどうしたのボーッとして」


「あー、なんでもない。それより服は……もうTシャツでよくね?」


「えー? ボトムスは?」


「ジーパン。シンプルイズベストってやつだ」

 凛が自信満々に言うと、妹は盛大なため息をついた。


「お姉ちゃん。お姉ちゃん。それが似合うのはねもっとモデル体型の人なんだよ。身長変わらなければ似合ってたのかもしれないけど。もっと足が長くないとね」


 男の子であれば無頓着な子供服から痛い中二服を越えてシンプルな服装を好む時期だ。

 しかし、男だったときに比べて、女の凛は二十センチほど背が小さくなっている。もちろん相応に足も短くなっていた。すらっとしたモデル体型というわけではない。


「スカートにしなよ」


「えー……」


 スカートは抵抗がある。なんというか自分のラインを超えてしまった気がして──既にいくつもラインを超えている気がするが、それはそれとしてより男へ戻れなくなっていく気がする。

 しかし街中でダサいと思われるのも嫌だ。

 男の精神のラインと十代としての見映えの面で凛は悩んでいた。


「まあ私がいくつか見繕うからそれ着てみなよ」


「えっ、ちょっと、美鈴?」


「だってお姉ちゃん、このままだと一生ここで悩んでそうだし」


「それは……そうかもだけど」


 どうしても凛の心の奥底では、いや、俺男だしなぁ……という感情がちらついて、服を選ぶ踏ん切りがつかないのだ。

 ランジェリーショップと同じように試着室に放り込まれ、サイズが合ってる合ってないだけ確認され、次々と買い物かごに凛の服が積まれていく。

 そうしてものの三十分後には両手をウニクロの買い物袋で塞がれた凛の姿があった。

 既にお昼時に差し掛かっていることもあり、荷物をとりあずコインロッカーに入れて二人はフードコートへ向かう。


「美鈴って、いつもこんな服選ぶの早いのか……?」


「んー? そんなことないかな……友達と選んでるときとか普通に二時間、三時間選ぶし」


「えっ」

 美鈴の言葉に凛は少しショックを受ける。


「じゃあ、なんで俺のはあんなパパっと選んだの……?」


「いやだって」

 ため息をつきながら美鈴は凛を冷ややかな目で見る。


「ほしい服とか、見せたい相手とかいるからちゃんと選ぶのであって……お兄ちゃんそういうのないでしょ?」


「そりゃあ……まあ、そうだな」


 女になった姿を見せたい相手なんていない。

 もし見せるとなったら……と考えて、凛は悪寒が走った。

 え? 男友達の連中? 嫌だ嫌だ。あいつらに見せるために服選ぶとかキモすぎる。

 最低限着れる服装を、若い子のセンスで選んであれば問題はないはずだ。美鈴の私服も選んだ服も奇抜なものではないし、母親の判断は正しかったのだなと思う。


「美鈴。その、なんだ。なんだかんだ言って、ありがとうな」


「……はいはい。どーも」

 美鈴はちらりと凛を見たあと、軽く笑ってお礼を受け流した。




 ★




 広いAOONモールは三階建てで一回から天井まで吹き抜けになっている大型のモールだ。一階にあるフードコートへ行こうと歩いていると、吹き抜けに面したガラス手すりに人が集まっているのが見えた。


「? なんだ?」


 一階で催し物でもしているのかと思ったが、パフォーマーや音楽は聞こえてこない。それどころか場の雰囲気は催し物をやってるような和やかなものではなく、緊張感が漂っている。逃げるようにしてその場を去る人も多い。

 しかし、集まってる人の多くがスマホで何かを撮影しており、何かが行われている事だけが伺えた。


「ヤバイ! ヤバイって!」


「あれ、怪人だよね?」

 すれ違う人たちからそんな会話が聞こえ、凛と美鈴は顔を見合わせる。


「怪人?」


「例のニュースの?」


 凛の心がざわりと音をたてる。

 集まった人々の隙間から一階の様子を覗き見る。

 そこにはピンク色を基調とした衣装に身を包み、星の装飾がついた杖を両手に構える少女の姿と──相対するカニに足が生えたような化け物がいた。

 カニ。そう蟹だ。両手が巨大な蟹のハサミになっており頭には蟹の目玉のような真ん丸の目があちこちに視線をさまよわせている。首のようなものはなく、どこか三倍に早くなる人が乗ってそうな姿に見えた。


「うわっ、本物始めて見た」

 美鈴がスマホを撮り出し写真を撮る。


「ありゃ。ダメだ」

 写された画面を覗き込むと少女の方は光の球体になっていて、姿が写し出されていない。無駄にセキュリティ意識高い。


「って、写真撮ってる場合じゃなくて!」


 その危機感の無い様子に凛は我に返り、美鈴の腕を引っ張ってその場を離れた。

 怪人だ、と凛は思う。見ればわかる。心の中がざわつきと共に警報が鳴る。

 怪人は──マズイ。あれに関わっちゃいけない。

 怪人は────危険だ!


「美鈴は反対側まで行って外出て逃げろ」

 モールの奥の方を指差し美鈴を促す。凛の真剣な表情に気がついたのか、美鈴の顔色も変わった。


「う、うん……ってお兄ちゃんは!?」


「俺は、せめてこいつらに避難を呼び掛けてから行く」


 警備の人や店員が避難を呼び掛けているが明らかに手が足りてないし、人の動きが悪い。脳裏にSNSで見た怪人の被害が浮かぶ。このまま怪人が暴れだすようであれば、被害が出るかもしれない。

 全く知らない人たちだけれど。

 いい人なのか、悪い人なのかもわからないけれど。

 何もしないで見捨てるのは──嫌だ。


「はぁ!? 何言ってんの!? 一緒に──」


「いいから、行け!!」


「っ……! バカ兄貴知らないからね!?」

 悪態をついて背を向ける美鈴を確認し、凛は周囲の人たちに声をかける。


「おい! あんたら危ないって! さっさと逃げろ!」





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