第6話 カサカサした苔
森に面した農村であるリエンシには、街の中から森の中へと繋がる道がある。
村人の遭難やモンスターが村へ迷い込む事を防止する為にある程度進んだ位置に柵が立っているのだが、今回問題になっているモススライムというモンスターは柵の細かな隙間を通り抜ける事が出来るようだった。
その隙間ができないように柵を作る技術は持っているのだが、年に一度スライム駆除の人員を募集して駆け出しの傭兵や旅人を募るのは一種の村興し的なイベントとなっているようで、あえてそうしているとの事であった。
そんなユーゴの解説を聞きながら森の近くまでやってきた内海は遠目から森の奥へ続く道を眺めていた。先程見かけたような農夫と旅人達の姿が多く見られる。この先がまさにスライム駆除の現場だ。
「……俺達はこれ以上近寄らない方がいいな」
「そうですね」
遠目からその様子を確認した内海とユーゴが踵を返して元の道を戻ってゆく。食事を終えた二人は特に心変わりを起こす事も無く、予定通りただただ村を練り歩いていた。
「スライム駆除のシーズンでなければ森の中の公園も観光できたんですけどねえ」
「それは残念だな。公園ではどんな物が見られるんだ?」
「川の上流の方へ行けますよ。それだけで大したスポットではないんですけどね」
「へえ! キャンプとかできるのか?」
「そういった場所はありません。お散歩コースみたいな感じです」
「へえー、楽しそう」
のんびりと道を歩いてゆく。
数分歩いた所で、ふと旅人とすれ違わなくなった事に気が付いた内海は確認をするように周囲を見回した。辺りに見えるのは大体この村の住人と思われる者ばかりだ。
恐らくは皆スライム駆除の方へ集まっているのだろうと自問自答を済ませると、丁度今回の目的地である川が見えてきた。
「内海様、川が見えてきましたよ」
「そうだな。音も聞こえる」
さわさわと水の流れる音に誘われるまま川の近くに立った内海はそのまま数秒その景色を眺めていた。
適度に人の手が加わっているようで周りにはたくさんの花が植えられていた、されど川の中はなるべく自然の姿が維持されているのか、水の底は緑が豊かで小魚や川虫などの生き物も多種多様であった。
「……すごいな」
「セスファリナ領内ではトップクラスの水質なんですよ。生物学や環境学などの学者さんも度々調査に訪れているんですって」
「そんな場所に無料で立ち入りできるのかあ。凄い世界だな」
長く続く川の上流へ視線を運ぶと、その先には森があった。
その森で今まさにモススライムの大量発生が起こっている事を思い出した内海の頭に一つの疑問が生じた。
「ふと思ったんだけど、モススライムの被害って水質への影響は無いのか?」
内海の頭にはモススライムという生き物に関する詳しい情報は無い。それでも畑の養分を枯渇させ得るという話から転じて、何かしら環境への被害もあるのではないかという予想が生まれた。
「ふむ、聞いた事は無いですね…… 生態的に何かを汚染するような生き物ではありませんが…… むむ」
内海の質問によってスイッチの入ったユーゴが考え込むように顎に手を当てる。
内海自身も色々と予測を立て始めると、程無くしてユーゴが川を見つめながら語り出した。
「起こるとしたら富栄養化かもしれません。彼らの死体は良い肥料になるので」
「え?」
「大量発生からの大量死なんて事が起きたら栄養が川に流出して…… みたいな」
「なんか…… あんまり聞きたくない話がサラッと出たな。まさか退治したスライムを肥料にしているのか? ここの人達は」
困惑気味に尋ねる内海に対してユーゴは何に困惑しているのか分かっていないような視線を返した。
「半々くらいですね」
「半々て」
「森から発生した個体は森の養分を持っているという事になりますから、大体半分くらいの死体は森へ埋葬して養分になってもらうんです」
「そっちの半々かよ。てっきり農家によって使うか使わないか意見が分かれてるって話なのかと思ってたけど」
「そのような意見の対立はあんまり起きてないですねえ。モススライム由来の肥料って堆肥に次いで結構メジャーな商品なんですよ」
「……これも文化の違いって事なのかなあ」
生まれかけたイメージを払うように首を振る。そして近くのベンチに腰を掛けようとしたその時、茂みの中に奇妙な物を見つけた。
草や野花が茂る中、乾いた土が盛られている。量としては大した事は無い、ハンドシャベルでも容易に取り除けそうだし、何なら両手で全部掬える程度の量だ。そんな土が不自然に存在していた。
「……」
下敷きになっている草がまだ青々としている事から、この土が盛られてからあまり時間が経っていない事が分かる。
誰かが園芸などで不要になった土を棄てたのだろうと解釈した内海は、その乾いた土をもっと別の場所に移動させようと近付いて屈んだ。
「ん、いかがなさいました?」
そんな内海の様子を不思議に思ったユーゴが隣に屈む。
「いや…… 誰かがここに土を棄てたみたいで…… わざわざ草の上に撒く事ないだろって思ってさ。土が露出してる所なんて沢山あるのに。だからちょっと移動させようと思って」
「はあ。マメというかなんというか」
「いや、花が下敷きになっているんだ。このまま枯れるかもしれないって思ったら気になっちゃうだろ」
「なるほど、そういう事でしたか。守護神とか向いてそうですね、内海様」
「もしかしてからかってる?」
「いやぁー?」
からかうような表情でわざとらしく首を傾げたユーゴを横目に、内海は土に触れた。するとその瞬間、こんもりと盛られていた土が振動して球状の何かに変形した。
「うおわっっ!!? びっ、びっくりした! なんだこれ!?」
内海の鍛えられた下半身がバネの様に伸び、大げさに後ろへ跳び退いた。ユーゴは反対に驚きつつも興味深そうに動く土を観察していた。
「これ、モススライムです」
「な…… ええ? じゃああそこ以外にも村への侵入経路があるって事じゃないか!」
「それもそうなんですけど…… この子、なんか変です」
「へ、変?」
ユーゴがモススライムを両手に乗せて内海へと差し出す。
普通のモススライムがどのような姿をしているか知らない内海であったが、身体が乾燥して元気が無さそうな事は瞬時に理解できた
「モススライムって本来水分が豊富で、名の通り身体に苔を生やす生き物なんです。でもこの子は乾燥していて…… 苔も枯れかけている」
ユーゴがモススライムを撫でながら苔を確認する。
彼の言う通り、苔の一部が褐色になって枯れかけており、水分の少ない体には艶が無く、まさに乾燥した土にしか見えない有様だ。
そんな悲惨な姿をしたモススライムを見て、内海の心の底から耐えられないような感情が沸き上がった。
「どうにかできないかな……」
本来であれば、この季節におけるモススライムは駆除対象の生物だ。それを助けて生き長らえさせるのは正しい行為とは言えない。
前世での経験から内海はその事を重々承知していた。しかし実際に病で苦しむ生き物を目の当たりにすると、『正しくなくとも何とかしたい』という感情が湧いてしまった。
助かるであろう命を見過ごしたという後悔を背負って生きる覚悟など、内海には無かったのだ。
「この子を助けるおつもりで?」
「助けたい…… けど、やっぱり良くない事なのかな……」
「いえ、少なくとも悪行ではありません。ちょっと診てみましょうか」
「ありがとう。 ……そもそもどうして乾燥なんかしているんだろう。近くに川があるのに」
多少の葛藤を飲み込んだ内海が周囲を見回す。この辺りは川の近くであり水はいくらでも摂取できる。そして湿度も高い。そんな環境下でどうして乾燥状態に陥ってしまっているのか。
「いくつかの病気を併発しているように見えます。一つは"植物焼け"で間違いないでしょう」
疑問を受け止めたユーゴは内海の知らない概念を口にした。
解説を求めるような内海の眼差しに視線を返したユーゴは、続けて病の概要を説明し始めた。
「植物の部位を持つモンスターの若い個体によく見られる病気で、植物に体の水分を取られて乾燥状態に陥ってしまう病気です。大抵は水分を摂らせれば症状は抑えられる筈なんですが……」
「併発してる病気のせいで水分が摂れない?」
「摂れないなんて事は無いと思います。とりあえず水を与えてみましょう。応急処置にもなりますし、詳しい原因の究明にもなるかもしれません」
「わかった!」
川の近くへ行き、両手に水を救う。そしてユーゴの手の上でぐったりとしているモススライムにその水をかけてやると体が湿り、下から水が漏れた。
「うわ、水はけ良すぎないか? こういうもんなの?」
水がかかったその部分しか湿っていない。ただ水が上から下へ通っただけだと気づいた内海が再び水を掬い、今度は満遍なくかけてやる。するとモススライムの身体に張りが生まれた。
全体を湿らせる事は出来たが、かけてやった水の殆どは保持できずに下から流れ出てしまっている。
「砂みたいだな……」
「私もそう思いました。モススライムの身体は土から構成されています。圃場における土壌環境が作物の健康に関わるように、モススライムは体を構成する土の状態が健康状態に影響してしまう生き物なんです」
「じゃあ砂っぽくなっちゃったから上手く水分を保持できなくなったって訳か。その上苔に水分を取られてる状況…… 見るからに危ない状況だな」
「はい。モススライムにとって乾燥は致命傷です」
その言葉を受けた内海の額に冷や汗が流れた。関わったからには死なせたくない。その想いが焦燥を生んだ。
「なんとかしたいな……」
たとえエゴであっても、その命が終わる瞬間を見たくなかった。
「レフテネジア!」
前回は失敗に終わった魔法の名を叫ぶ。
しかし今回も魔法は発動しなかった。
「やっぱダメか…… どう対処すればいい?」
「うーん…… すみません、明確に『どうすればいいか』というのは流石に存じ上げていないもので……」
「その辺の土と混ぜるのは?」
「それはある程度回復させてからの方が良いでしょう。先程の様子からして、自らの身体を維持する事すらも限界のようです。この状態では分量を誤ると上手く取り込むことが出来ずにこの子ごと"ただの土"になってしまう恐れがあります」
「土を混ぜるのは後か…… じゃあ、えー…… っと、あー…… 苔を取り除くのは?」
苔に体の水分を摂られているのなら苔そのものを除去すればいい。そう考えて尋ねるとユーゴは首を横に振った。
「モススライムと苔は共生関係にあります。取り除くと却って体調が悪化するかもしれません」
「そうなのか…… でもこの苔を何とかしないとなんだよな……」
追加で水をかけた内海がモススライムを見つめる。湿りはするものの、掛けた水の大半が流れ出てしまっている。二割も保持できていないだろうと目測で確認しつつモススライムの下部から滲み出る水を見ていると、ふと脳内に閃きが走った。
「そうだ! この子を桶に入れて水に浸そう!」
「水に浸す…… 確かに、それなら水が逃げずに疑似的に保水性を高める事が出来るかもしれません」
「窒息の恐れは?」
「苔の部分さえ空気に触れていれば大丈夫です」
「よし決まり! 雑貨屋に行こう!」
水筒に川の水を汲み、来た道を戻ってゆく。まだ湿り気はあるものの、モススライムの体はどんどん脱力してゆく。
このままでは時間の問題だ。そう再確認した内海は一件目の店に入店した。
「いらっしゃいませぇ」
急ぎつつも落ち着いて店内を見回す。
一通り回って早速バケツを見つけた内海は、陳列されている物のうち余裕を持ってモススライムを入れられそうなサイズの物を手に取った。
モススライムはまだ辛うじて形を保てているが、徐々に形が崩れてユーゴの手から零れ落ちそうになっている。店を汚すかもしれない事に今更ながら気付いた内海がさっさと会計を済ませようと立ち上がったその時、ふと背後から店員が声をかけてきた。
「何かお探しですか?」
「あっ…… あのー」
探していた物は既に見つけた。
だが応急処置の次に根本的解決に取り組むべきだと思った内海は改めて店内を見回しながら店員へと質問を投げかけた。
「園芸用の土や肥料を探していまして。置いてますか?」
「ああー、申し訳ございません、うちには置いてないんですよう」
「あっ、そうでしたか…… ありがとうございます。これ、会計お願いします」
「はいー」
手に持っていたバケツを店員に渡し提示された通りの金額を渡す。そして商品を受け取ろうとしたその瞬間、一瞬店員の視線がユーゴの手元に向いた。
「……ありがとうございましたー」
そして、数秒の間を置いて発せられた声は先程よりも冷ややかだった。いきなりの変化に違和感を覚えた内海が店員の顔を見ると、意図せず数値化の魔法が発動してしまった。
──『リーン・エル 31歳 女性 好感度-12』
嫌われる原因が分からないのはいつもの事である。それでも内海はいつもとは違う胸騒ぎを感じた。
とりあえず店を出てユーゴの手からバケツへとモススライムを移す。そして汲んでおいた水をかけるとモススライムはブルブルと蠢いた。
「まだ生きてるな。これで良くなれば良いんだけど」
「この子の生命力に賭けるしかありませんね……」
しばらく観察する。その中で内海は胸騒ぎの元となる懸念を明かすようにユーゴへと声をかけた。
「……あの店員さん、モススライムだって気付いたかな」
質問を受けたユーゴは苦い表情を浮かべた
「恐らくはそうでしょうね。リエンシの人々とは縁の深い生き物ですから。一目見れば気付くと思います」
「やっぱり連れて歩くのは良く思われないのかな」
「そうですね。今の時期ですと特に警戒を誘うかもしれません」
「……」
形容しがたい感情に包まれた内海が気を持ち直すように視線を上げると、少し遠くに園芸店と思われる看板が見えた。
店頭にスコップや鉢がある事からも、土壌改良材の類が置いてある可能性は高い。
「土、買ってくる。ユーゴはここで待ってて。モススライムを連れて入るのは良くないかも」
「そうですね。私も先程の店でそう思いました」
「ごめんな、すぐ済ませるから」
そう言い残し駆け足で店へ移動し入店すると、それらしい物を壁際の棚に見つけた。
字は読めずとも、前世での知識と直感からある程度の推察は出来た。赤褐色で粒の粗い土、袋に樹木のイラストが描かれた土、そして骨のイラストが描かれた肥料のような物。それぞれを赤玉土、バーク堆肥、骨粉肥料に似た物だと解釈した内海は追加で土を配合するための器を手に取り会計を済ませた。
「ありがとうございましたぁー!」
店主の元気な挨拶に会釈を返し、ユーゴの元へ戻る。
「状態はどう?」
「先程よりも少し活発になっています。少しずつであれば土を取り込む事も出来るかもしれません」
その言葉に安心した内海は土や肥料を開封して配合を始めた。
「こういうの分かるんですか?」
「ほんの少しだけ。土をこの子に混ぜ込む時って、かき混ぜてもいいのか?」
「はい。中に小石のような核があるので、それは傷つけないように気をつけてくださいね」
「分かった」
出来上がった土をモススライムに三分の一ほど加え、丁寧に馴染ませる。
不快感があるのか抗うようにブルブルと震えていたが、やがて抵抗をやめるように大人しくなった。
「……もう少し混ぜても大丈夫かな」
「見た感じ半分はまだ取り込めずに残ってますね。このまま様子を観ましょう」
ユーゴが内海から水筒を受け取り、モススライムに水をかける。そして手を突っ込んでゆっくりとかき混ぜ始めた。
その様子を観察していると、不意にモススライムが傍から見ても分かる程度の動きを見せた。
ブルブルと表面が細かな波を打ち、そして二つの黒い点が表面に現れた。
「お、なんだこれ。これが核?」
「おっ、これは目や鼻に相当する器官です! これが出て来たという事は意識がはっきりしている証拠ですよ! 一命を取り込める事ができました!」
「お…… おお! そうなのか、良かった……!」
観察するように内海が黒い点を見つめると、モススライムは身体の一部をゆっくりと内海の方へ伸ばした。
「動いてる…… あ、あんまり無理すんなよ。体力温存しないとだろ……」
「内海様に触れたいのかもしれません。モススライムには知性がある事が確認されています、もしかすると助けられた事を理解しているのかも」
「まじか…… 助けられたことを理解って、そんな事あるんだ……」
半信半疑ながらも内海が人差し指を差し出すと、モススライムは内海の指先に触れた。
「……はは、引っ張られてる。何するつもりだよ」
気が緩み安堵の笑みを零したその瞬間、モススライムに対して数値化が発動した
──『名称無し 0歳 性別不詳 好感度41』
「えっ?」
「いかがなさいました?」
「いや…… この子に対して数値化が発動したんだ。人間以外にも使えるんだな」
手にじゃれつくモススライムの相手をしつつユーゴの方を見ると、ユーゴもまた想定外といった表情を浮かべた。
「へえ。便利なのかそうじゃないのかよく分からない魔法ですね」
「そうだなあ」
改めて数値化を発動させる。するとやはりモススライムの好感度が見えた。
思えば、ユーゴ以外でプラスの値を見るのは初めてだった。
多くの人は内海の外見から不快感を感じ取り、嫌った。だがこのモススライムは違う。何を以て好いたのか、助けられた事を本当に理解しているのかは内海からすれば知る由も無いが、それでも"外見から嫌う"という事をしなかった。と言うより美醜の感覚など無いのだろう。そして美醜の感覚を持たないが故に、内海の行動に信頼を寄せてくれたのだ。
表情の裏側で様々な感情が噴出した内海は、自分の手にじゃれるモススライムをただただ見つめていた。その隣でユーゴも静かにスライムの様子を観察していた。
「ユーゴ、俺決めたよ。何の謎を探すか」
「聞かせて下さい」
「明確に決めている訳じゃないんだ。でもモンスター関係の──」
静かな決意を語ろうとした瞬間、ふと数人の足音が聞こえた。
反射的に言葉を切った内海が音の方を確認すると、旅人らしき集団が内海の手元のモススライムに視線を向けながら歩み寄ってきていた。
「こんにちは」
先頭の男が声をかける。
「こ、こんにちは」
対する内海も、戸惑いながらも挨拶を返した。
「先程雑貨屋の方から『モススライムを連れた人が居る』と通報を受けて伺った次第なんですけれども」
「あっ……」
先程バケツを買った店だ。
今の時期モススライムを連れるのは良く思われないという事を理解していたが、通報される事までは想定外であった。
「そうでしたか……」
人数は五人、男性が三人に女性が二人。それぞれに数値化を発動させる。
全員マイナスの数値であったが、まだ全員一桁代である。つまりこちらに対し必要以上の敵意は持っていない。
言葉を間違わなければ言い争わずに済ませられるかもしれないと思った内海は、恐る恐る言葉を発した。
「申し訳ございません、深く知らずにモススライムを連れ歩いてしまったのですが…… 村に出た個体は引き渡さなければならないのですか?」
「そういう訳ではありませんが、発生数の統計を取るためになるべく退治したスライムは一か所に集めるよう指示されているんですよ」
「……なるほど」
ユーゴへ目配せする。誰からの視線も向いていない事を確認した彼は首を小さく横に振った。
「そのような決まりはありません。森へ埋葬する分と肥料へ加工する分を分ける為に亡骸を集めたりはしますが、統計なんてものは取っていません。ましてや誰かが手懐けようとしている個体をわざわざ連れて行くような事だってしない筈です」
相手へ聞こえないように小声で話したユーゴがモススライムの入ったバケツを胸に抱える。
その様子を見た旅人たちは表情を崩さずに言葉を続けた。
「見た所そちらの個体は死にかけているでしょう。ですので我々が引き取りますよ」
対する内海は物怖じせずに自らの考えを主張し始めた。
「いえ、その必要はありません。実は自分、駆け出しのモンスタートレーナーでして。最初の相棒として小さなモンスターを探していたんです」
「はあ」
完全に背を向けない姿勢で振り返り、モススライムの目の前に指先を近づける。するとモススライムはまた内海の指にじゃれ始めた。
「仰る通り、この個体は死に瀕する程の症状を抱えていた。しかし応急処置を施してこのように一命を取り留めたんです。だから経験を積む意味と、延命した者としての責任も込めてこの子が完治するまで面倒を見ようと思っていた所だったんです」
再度好感度を確認する。
依然としてマイナス、しかも徐々に数値が下がって行っている。五人中二人が既に二桁に乗ってしまった。
「そう言われても、私達としても害獣の駆除を命じられているので」
「……僕らがこの子を連れて村を去るって事だと不都合なんですか?」
内海が尋ねると、先頭の男性はムッとした表情を浮かべて黙り込んだ。
依然として譲らない姿勢からは『彼らからしたらこのスライムを連れて行く以外の選択肢は無い』という事が見て取れる。差し詰め、この状況における内海はただの邪魔者だ。
そこまでは理解した内海であったが、なぜ彼らがこうまでしてモススライムを連れて行こうとするのかは分からなかった。
「あの、発生数の統計を取っているという話は事実なのでしょうか」
次に言うべき言葉を探していると内海の背後からユーゴが声を上げた。
「私は多少この辺の事に詳しいのですが、そのような話は初耳です」
ユーゴが身分証のような物を見せると、先頭の男は苦い表情を浮かべ、小さな声で『天使か』と呟いた。
「すみません、情報の行き違いが起きたんですかね。私たちはそのように聞いていたもので、つい」
ユーゴの目つきが険しくなった。そして責め立てるように更なる質問を投げかけた。
「つかぬ事をお伺いしますが、何か事情があるのでしょうか。この個体を連れて行かなければならない理由が」
五人は互いに視線を交わすだけで質問には答えなかった。
その様子に痺れを切らしたかのように、ユーゴが再び口を開いた。
「もしかして報奨金の為ですか?」
「報奨金……」
初めて聞く情報に内海が若干の困惑を示す。
「あの求人、日当12000シアの他に駆除数が一定に達した者にはボーナスが発生するんです。だから駆け出しの旅人や金欠の傭兵が結構集まるんですよ」
「……そ、そうなのか。割りのいい仕事なんだな」
「はい。そして度々このようなトラブルも起こる。 ──つまり彼らは、そのボーナスを受け取るために私達が連れてるモススライムを嘘をついてでも連れて行こうとした。そういう風に私は貴方達を見ていますけど。いかがです?」
男の背後に居る女性が小さく舌打ちをした。
その態度を以て内海は概ねユーゴの言う通りである事を察した。
「大量発生しているならわざわざこの個体を狙う必要なんて無いのでは……?」
思った事をそのまま内海が口に出すと、旅人達はその表情に苛立ちを浮かべた。
「他の奴らが根こそぎ駆除しちまったんですよ。俺達だってもう少しでボーナスに届く所だったってのに」
その後ろに居た女性の旅人も不満を口にするように言葉を続けた。
「そんで『村の中にモススライムを連れた人が居る』なんて通報が来たもんだから駆けつけたのよ。そしたらこんな面倒臭い事になって。はあ」
相手の口調が崩れた事に危機感を覚えた内海がもう一度数値化を発動させると、五人の好感度は既に-20の代に乗っていた。
──マイナスの値は嫌悪か"敵対"。
ユーゴの説明をしっかり記憶していた内海はもはやこの場を穏便に済ませる事は出来ない事を覚悟した。
「なあ」
「は、はい?」
言葉ではユーゴに勝てないと判断した男が今度は内海へと詰め寄る。
「見た所喧嘩慣れはしてなさそうだな? そいつ寄越せよ。な? 大人しく渡してくれたらなんもせずに帰るからさ」
「っ」
本性を隠す事もしなくなった男が内海の胸ぐらを軽く掴む。
「おやめなさい! 暴力に訴えるのは立派な犯罪です!!」
「手を出さないでくれ、ユーゴ」
「……分かりました」
戦闘態勢に入るようにバケツを置いたユーゴを手で静止した内海は、相手の態度に恐れる事も無く言い返した。
「そうまでする権利が、貴方達にはあるんですか?」
「権利があるかは微妙だが、"駆除の為に村に雇われてる"って点で言えば筋は通ってると思うけどな」
「……」
「ちょっと、何論破されてるんですか内海様」
「いや…… 少し思う事があって」
自分は害獣に情を感じて身勝手に生き永らえさせようとしているだけだ。その葛藤は今なお続いている。
元の世界でもあまり好まれる行為ではなかった。駆除対象の生き物ともなれば、たとえ根幹に優しさがあろうとも"一概に正しいとは言えない行為"なのである。
「……お願いします、見逃してはくれませんか」
金の為に殺すのか。という問いはとても口には出せなった。
その言葉は『ではお前はリエンシに害を及ぼすモススライムを全て保護できるのか』という問いになって自らに帰ってくるからだ。
「この子は…… うちらが面倒見ますんで…… この子だけは……!」
正当な権利も、世間に正しさを証明できる主張も持ち合わせていない。
それでも、一度救おうとした命を手放せる潔さだって持ち合わせていない。
「お願いします……!」
唯一持っているのはエゴイズムだけだ。
目の前に居たから。そして可哀想だったから。ちょっと助けたら懐いてくれて嬉しかったから。それだけだった。
それが自分にとっての"こう在るべき"という正しさから外れている事を自覚しつつも、それでも内海は一つの命を終わらせたくないが為に地に頭を擦りつけた。
「うわ、ちょっと何? 何してんのこいつ」
「きも……」
かつて幾度となく耳にした言葉がまた耳に飛び込んできた。
「内海様……」
「俺らは何も害獣を飼う事を批判してる訳じゃなくてさ、ただ金が欲しいだけなんだよね」
「せっかく『大人しく渡してくれたらなんもせずに帰る』って条件を提示してやったのに、よっ!」
土下座をした内海の腹に蹴りが放たれる。
「ぐっ……」
「何故抵抗しないんですか……!」
「後ろめたさがあるから……」
「え?」
「害獣との付き合い方って…… 俺の故郷でもっ── 色々とっ……」
話してる最中でも内海の身体に蹴りが放たれる。それでも内海はユーゴへの言葉を止めない。
「本当は分かっているんだ。駆除対象の生き物を保護する事が正しい事なのかとか…… 正当な理由が無いと批判を浴びたりする事だって……!」
「だからぁ、俺たちはそこまで考えてないって!」
内海への暴力は止まらない。
「俺がやろうとした事は正しい事ではないんだ…… だから、ここでやり返す事は正しい事ではない……!」
「まあ、どっちみち俺らが回収するけどね、そのモススライム」
「っ! それは駄目だ! やめ──」
懇願しようとしたその瞬間、頭上から眩い光が降り注いだ。
「──天使連れた転移者サマだってのに惨め極まりないわね」
その声が響いた瞬間、内海にも分かる程に辺りの空気が変わった。
まるで圧倒的な力を持つ存在が現れたかのような、そんな威圧感が全身を包み込んだ。
「っ、な、なんだぁ!?」
「なっ……」
視線を上げると、その先には大きな翼を広げた女性が浮遊していた。
ユーゴが身に着けているようなローブは着ていない。旅に適した軽装を身に着けている。
それでも存在としてはユーゴやイミステルクと同等の者であると内海は本能で理解した。
「アマナ・ユウス! 何故ここに……」
ユーゴが呟く。
アマナと呼ばれたその天使は内海たちに一瞥もせずに指先を五人の旅人に向けると、一切の躊躇を挟まずに呪文の名を宣言した。
「ロド・リアメル」
すると指先から無数の光の輪が発射されて五人の旅人の身体を拘束した。
「うぐっ!?」
「痛っ!」
「な、なによこれ!?」
次々と声を上げる旅人達に冷ややかな視線を送ったアマナは地へと降り、内海とユーゴに歩み寄った。
「ラウンセル、あんた仮にも天使でしょ。転移者がこんな事になったら魔法でも奇跡でもなんでも振りかざして守りなさいよ」
「私は…… 内海様のやり方に従うと決めていますので」
「各々のやり方があるのは分かってる。でも今回のは明らかに判断ミスよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。ユーゴは戦おうとしてくれていました。それを俺が止めたんです」
ユーゴの表情の変化を見た内海が庇うように声を上げる。それに対してアマナは睨むような目つきで内海を見下ろした。
「だとしてもよ」
立ち上がった内海から視線を外したアマナは次に拘束した旅人の方へと振り返った。
「あんたらクレイトリカ領からの旅人でしょう。このブスにも後ろめたい部分はあったみたいだけど、あんたらの行為だってセスファリナじゃ立派な犯罪になるんだから。暴行罪ってやつ」
「だ、だからって貴女にこんな事する権利は──」
「アタシ天使なの。セスファリナ領内での悪事を裁く権限はちゃんと持ってるわ。『イミステルク様の名の下に~』ってね」
「な……」
男の顔が青ざめる。弁明の言葉が並べられるが、それを無視したアマナは手に魔法陣を出現させて五人の方へと向けた。
「今回は然るべき所に突き出すだけで許したげる。せいぜい罰金刑でも受けて来なさい」
そう吐き捨てたアマナが魔法を発動させると辺りが光に包まれた。
そしてその光が収まる頃には、五人の姿は消えていた。
「ふう…… 名前、アマナ・ユウス。ユキって転移者の天使だから」
唐突でぶっきらぼうな自己紹介を受けた内海は一瞬何を言われたのか理解できなかった。
一拍遅れて脳が理解すると、身体が反射的に動く形で頭を下げた。
「あ…… 自分、内海大河です。助けてくれてありがとうございました」
圧のある態度は苦手だった。だが助けられた事は事実。それへの感謝を伝えるとアマナは眉をひそめて首を振った。
「助けた? 思い上がりね」
心底不愉快そうに、虫を払うように手を振る。
あまりの態度に逆に戸惑いが生まれた内海は言葉が出てこなくなってしまった。
「アタシはルフィオトラタの点検の為にここに来たの。何もかも不快な光景が見えたからついでに対処したってだけ」
「は、はい」
「……そんで、そのモススライムの件だけど」
自分にも当然罰はあるのだろうと覚悟して頷くと、アマナはバケツの前に屈んでモススライムの表面を指先で撫でた。
「駆除対象の害獣を助けて飼育する事への後ろめたさ…… だったっけ?」
「はい……」
「確かにリエンシの人からは『何やってんの』って思われるだろうけど、モススライムの場合そこまで重く考えなくても大丈夫よ」
「え?」
「知ってる? モススライムは単体なら益獣なの。その上あんたはちゃんとこの子の面倒を見るって決めたんでしょ。なら胸張ってその姿勢を示せば誰も文句なんか言わないでしょ。他の地域じゃ害獣でも何でもない影の薄い生き物だし」
激励とも取れるその言葉に呆気に取られていると、アマナは翼を揺らして内海に背を向けた。
「そんだけ。 ……ああ、あとこの世界には土下座という概念は無いからやっても意味は無いわ」
そう言ってアマナが去ってゆく。かと思ったが数歩で歩みを止めてユーゴの方を振り向いた。彼が俯いている事を確認したアマナは呆れたように眉をひそめ、ため息を吐いた。
「あとラウンセル、あんたは未熟なんだから失敗はあって当然。最初は『怪我だけはさせない』って事を念頭に置いときゃ十分だから。じゃ」
ぶっきらぼうに言い放ってズンズンと去ってゆく背を見つめながら、内海は茫然と立ち尽くしていた。
その隣でユーゴは服の胸元をギリギリと掴み、険しい表情を浮かべていた。
互いに全く異なる感情を抱えながらも、自然と二人は同じタイミングで互いに顔を見合わせた。
「……っ。申し訳ございませんでした。やはりアマナの言う通り天使として助けるべきでした」
そして内海の方を向いたユーゴは深々と頭を下げた。
「いや、そんな…… 受け入れる必要があると思っていたから手出しをしないように頼んだんだ」
ユーゴが助けなくとも、リベイジアを使えば内海自身の力のみでもあの場を切り抜けることが出来ていた。しかし、それでは駄目だと内海は考えていた。
本来であればあの旅人の目的とは別に、害獣は害獣として駆除に携わる物へと引き渡すのが自然ではある。内海はそれを拒否して"自らの感情の為の行動"を取ったのだ。
あの暴力は、目的からして然るべき制裁と言える物ではない。かといって逃げて被害者面をする権利など自分には無いと内海は捉えていた。あの場において気絶させて逃げるというのは内海にとっての正しさではなかったのだ。
だからユーゴにも助けないように指示をした。
「バレットホークと戦った時はちゃんと守ってくれていただろ。それで十分というか…… とにかく今回はこれで良かったんだよ! 俺の意志を尊重してくれてありがとうな」
「良かった…… のですか? 本当に? 今後もこのスタンスでいいんですか?」
「うん。助けられっぱなしじゃ俺も成長できないから、人間同士の揉め事の時は出来るだけ俺にも頑張らせてほしい。ユーゴには…… そうだな、アマナさんが言ったように怪我の恐れがある時に助けてほしい」
「怪我…… って言っても、今だって口の端とか切れてますし…… 基準が分かりません」
「じゃあ骨折しそうな時は助けてくれ。それ以外で助けてほしい時はちゃんと『助けて』って言う! これでいいだろ?」
ユーゴを励ますように内海が明るく振る舞う。そんな内海の意図に気付いていたユーゴは決して小さくない罪悪感を抱きつつも頷いた。
「……分かりました。でも私の判断で咄嗟に手を出してしまう事もあるかもしれません」
「分かった。一緒に来てくれてるだけで大助かりなんだ、ユーゴがどう決断しても俺が不満を持つ事は無いからな。お互い気楽に行こう」
「……ふふ。はい、ありがとうございます」
青空から降り注ぐ日差しがユーゴの微笑みを照らす。
その表情に安堵した内海がバケツに視線を向ける。ユーゴの事も心配だが、モススライムへの心配も薄れていない。
恐る恐る確認するように目の前に指を差し出すと、モススライムは変わらない様子で内海の指先にじゃれた。
「……さっきの話の続きなんだけどさ」
「はい」
「俺、モンスターの…… 生き物に関する謎を探してみたいんだ」
「生き物の、ですか」
バケツを抱えて立ち上がり、語らうように心情を明かす。
内海は元の世界でも生物に関する分野への興味が強かった。植物や動物は、内海にとって数少ない"純粋な気持ちで好きだと言える物"だったのだ。
「何が謎なのか、そもそも謎なんてあるのかすらも分からない状態だけどな」
「いえ、それでいいと思います。使命感に駆られるよりも、心の赴くままにやってみる方がずっと良い。 ……それに、生物は私も関心のある分野ですので」
「やっぱり興味あるんだ? モススライムの事とか詳しかったもんな」
「ふふ。セスファリナ領内の事として存じ上げていただけですよ、専門職の方には劣ります」
ユーゴが余った土の袋に魔法で封をして抱える。そして目的地があるかのような足取りで歩き始めた。
急いでその隣に付いて行った内海が抱えた袋の一部を引き受ける。
「なんだ、どこに行くんだ?」
ユーゴのいきなりの行動に合わせながらも内海が疑問を露わにすると、ユーゴは笑顔で返した。
「この世界にはモンスターの聖地があるんです。そこを目指してみませんか?」
「モンスターの聖地かあ。確かに行ってみたいけど、どこの事を言っているんだ?」
「先程も少し話した"クラットランド島"です! 数多くの生き物が生息しているんですよ!」
「クラットランド島、貴科さんが居る所か。確かにあの人もモンスターを手懐けてたな」
貴科の事を思い出すのと同時にチェルスの事も頭に過った。彼女もホワイトウルフというモンスターと共に居た。もしかすると彼女もクラットランド島に訪れる事があるのではないか、と勝手に想像が膨らんだ。
「そこにはモンスターの医者みたいなのも居るのか?」
「ええ、もちろん。生き物に関する学問も最先端ですので、この子を治療するという目的だけでも訪れる価値はありますよ」
ユーゴが開いた方の手を内海が抱えているバケツへ伸ばしモススライムを撫でる。
外的刺激にブルブルと震えたスライムが内海の時と同様にユーゴの指先にじゃれた。
「決まりだな。どうやって行くんだ?」
「まずセスファリナに戻ります」
「あ、戻るんだ」
「ええ。ティレーブから船に乗る必要があるので、セスファリナで一泊して明日向かいましょう」
「分かった。よおし……!」
為すべき使命のみが漠然と存在していた時とは違う。
しっかりと目的を見据えた内海は晴れやかな気持ちで道の先を見据えた。
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