第3話 刺し貫く数値

「良い天気…… 私達の門出を祝福しているかのようですね、内海様!」


 神殿前広場で翼を広げたユーゴが内海の方へ振り向き微笑む。


「貴方はどっちかと言うと祝福する側では?」


 先へと走るユーゴを視界の端に捉えながら周囲を見渡す。

 神殿の外には広々とした街並みが広がっていた。見えている範囲は神殿前の広場という事もあり露店が多く、何処からともなく食べ物の良い香りが微かに漂ってきていた。


「にしても栄えてますね。ここはどういう国なんです?」


 ユーゴの隣に着き、歩きながら尋ねると彼は黙って内海の瞳を見つめた。

 何か禁句を言ってしまったのかと戸惑っていると、ユーゴが不満そうに前を向いた。


「内海様、敬語やめて下さい」


「アッ、すみませっ……」


 先程と同じ事を言われた。

 癖で敬語を話していた事に気付いた内海は小さく頭を下げて姿勢を改めた。


「……ここはどういう国なんだ?」


 大きな違和感に苛まれながらも馴れ馴れしい言葉遣いで話すと、ユーゴは満足気な笑顔を浮かべて小走りで広場の中心に立った。


「ここは魔法と信仰の国、セスファリナです。イミステルク様と敬虔なる信徒達によってこの世界で一番最初に作られた国なんですよ」


「へえ、だからこんなに大きな神殿があるのか」


 ユーゴの隣に立ち、神殿の方を振り返る。内装からして只ならぬ建物である事は薄々察していたが、外から見ると威圧感すら感じる程に立派な建物であった。

 こんな立派な建物を立ち入り禁止にさせてしまった申し訳なさに苛まれていると。ユーゴは次に遠くに見える巨大な建物へ目を向け指をさした。


「中央区にはイミステルク様の名を冠した"聖イミステルク魔導学園"があります」


「あの建物がそうなのか?」


「はい。なんとあの魔法学者ティエル・ネア・ラディエを輩出した名門校なんですよ!」


「魔法技術の発展に大きく貢献した的なあの人?」


「そうです!」


「……ほー」


 イミステルクが転移者を集める切っ掛けを作った人物である。

 ユーゴの様子からしてティエルが悪者ではなく偉人扱いされている事は何となく察した内海であったが、イミステルクの表情が脳裏に蘇って何となく複雑な気持ちになった。


「という訳で"神と魔法"、つまり"神殿と魔導学園"がこの国の象徴なんです」


「俺もこの世界で生を受けていたらここの魔導学園を目指したりしたのかなあ」


「きっとそうでしょうね。魔法に関心があれば一度は憧れる学園ですから」


 人ごみをスルスルと抜けながらユーゴが露店が並ぶ道を進んでゆく。

 すれ違う人々は天使であるユーゴに驚くどころか親しみを込めて手を振ったり拝むように笑顔で手を合わせたりしている。それに対してユーゴは笑顔で会釈を返している。その様子は、この国における神や天使と人間の距離感の近さを象徴しているかのようであった。


「ここの他にはどんな国があるんだ?」


「セスファリナの北の大陸にある帝国"クレイトリカ"。クレイトリカから独立した、錬金術が盛んな国"エゼル"。そして南東には複数の島々からなる"ケグナス"。その北には高山が沢山ある過酷な自然の国の"アステル"があります。これら四か国にセスファリナを加えた五つの国が協力してこの世界を治めているんですよ」


「協力? 領土を取り合ったりとかはしないのか?」


「そういう事を散々やって落ち着いたのが今の時代ですね」


「あ、そうなんだ。じゃあもう戦争とかは暫く起きてないのか?」


 内海が関心を示すとユーゴは思い出すように空を見上げた。


「はい、最後に起こった戦争は三百年前のクレイトリカとエゼルの独立戦争ですね。ティエルさんも関わっていたそうです」


「……え、その人って学者だよな。どう関わっていたんだろう」


「一説にはエゼル側に技術を提供していたとか。ただエゼルの歴史では前線で暴れていたとも伝えられていて、いまいちよく分からないんですよね」


「ええ、何なんだ一体」


 ティエルという人物の謎について考えていると、ふとユーゴの方からキュルキュルと音が鳴った。何事かと困惑した内海の視線を受けたユーゴは恥ずかしげも無く腹を撫でた。


「お勉強っぽい話をするとお腹が空きますね」


「お腹の音か…… そういえば俺も少し小腹が空いてきたかも」


「何か買い食いしちゃいましょ。この辺には今流行の屋台があるんです」


「へえー」


 周囲を見渡すと串焼きや芋を揚げた物、アイスクリーム、果てはクレープのような物まで様々な屋台が並んでいた。特にクレープとアイスの屋台にはそれぞれ長蛇の列が出来ており、専用の案内看板までもが用意されていた。


「なんか見覚えのある物ばかりなんだけど。この世界にもクレープとかアイスとかあるんだなあ」


「その二つは十数年前の転移者様が広めた物ですね。お砂糖の効率的な製造から始まり製菓に使える様々な香辛料の作物化、果ては元の世界のあらゆる製菓技術まで広められたんですよ」


「……それは"解明すべき謎"にカウントできるの?」


「解明すべき謎ではありませんが、食文化の開拓という点では世界に大きな変化を起こしたと言えるので蘇生が認められたんです」


「なるほど…… そういうのでもいいのか」


 謎の解明とまではいかなくても、文化的な進歩に貢献できればそれもイミステルクとしては嬉しい事である。そう解釈した内海の脳内には『では自分は何をするべきなのか』という考え事が生まれた。


「あちらには魔法の世界独自のグルメがあります。内海様にとっては珍しい物もあるかもしれません」


「……ん、どれどれ」


 考え事を一旦止めてユーゴが指差す先を見るとそちらには何かの塊やジャムのような物、たこ焼きのような容器に六つほど盛られた一口サイズの肉塊など一目では正体の分かりにくい物が並んでいた。


「まず、あの塊は可食土ブロック」


「"可食"って、"食用"じゃなくて?」


「はい。あくまでも"可食"ですね。味もあまり万人受けはしません」


「どういった需要が……?」


「栄養食としての需要があるんです。採取地にもよりますが魔力が豊富でミネラルもしっかり摂れます。主にスープに少量溶いて頂くんですよ」


「あ、そうなんだ。そう聞くとちょっと興味が湧いて来たな」


 若干の興味を持ちつつ次に目を向けたのは瓶詰めのジャムのような物を売っている屋台だった。


「あの瓶詰めされているのは花のシロップ漬け。紅茶に入れると美味しいんです」


「紅茶かあ、確かに美味しそうだ。食べ歩きじゃなくて持ち帰り用の商品なのか」


「はい。サンドイッチにもよく使われる人気の商品ですよ」


「やっぱりジャムみたいな感覚なんだ。美味しそう」


 今食べるような物では無いと判断した二人は最後に小ぶりな肉塊を売る屋台に目を向けた。


「あれはとある魚類の目玉を燻製した物ですね」


「魚の目の燻製…… ゲテモノっぽいけど空腹も相まって少し旨そうに見えてきたな」


「見た目から遠慮されがちですが美味しいって話ですよ」


「マグロの目の煮付け的な」


「内海様の世界の料理ですね。感覚としてはそれに近いかもしれません」


 遠くからよくよく見つめると肉塊の一つ一つに白濁した部分があった。まさに火の通った目玉だ。やはり玄人向けな食材のようで屋台の周辺には人があまりいなかった。


「食べてみます?」


「うーん、気になるけど…… 串焼きも同じくらい気になるんだよな」


 遠くの屋台では大きめに切り分けられた肉が豪快に焼かれていた。

 元の世界での串焼きと言えばもう少し小ぶりな物ばかりだった。"大きな肉にかぶりつきたい"という誰もが抱く憧れは内海も持っていた。


「じゃあ私達それぞれ別の物を選んで分けっこしません?」


「お、いいね。そうしよう」


「じゃあ私は串焼きを買ってきます!」


 ユーゴに数枚の貨幣を渡すと串焼き屋台へと駆けて行った。ぶつからないか、転ばないか。そんな心配の眼差しを小さな背に向けながらも内海は燻製目玉の屋台の前に立った。


「すみません、燻製くださぁい」


「はぁい! 六個入り700シア、八個入りは920シアでございます。どちらに致します?」


 対応したのはさっぱりとした心地の良い中年の男性であった。


「ええと…… ユーゴってどれくらい食べるんだろう」


 目の前の男性の向こう側に小さくユーゴが見える。彼が買う肉の量を確認しようと目を凝らすと、目の前に居る男性に対して数値化が発動した。


 ──『エド・オーバン 33歳 男性 好感度-9』


「……あっ、え……?」


「いかがいたしました?」


「い、いえ。六個入りで……」


 値段ピッタリの金額を渡して商品を受け取る。そして逃げるように屋台の前から去り人気のない場所で立ち止まった。


「……そうか、そうだ。俺ってそうだったよな…… はあ」


 壁に手をついてうなだれる。バクバクと騒ぐ心臓が脳を突き動かし、今までの悪い記憶を次々と蘇らせてゆく。

 小学校低学年までは、自分はまだ"普通"だった。一緒に遊びたいと言えば皆迎え入れてくれた。

 しかし、年齢を重ねるにつれて周囲からの目は冷ややかに、あるいは面白半分になっていった。

 まるで異物を見るようなその目は、十数年経った今でも内海のトラウマとして脳内に焼き付いていた。


「──っ、駄目だ、忘れなきゃ…… 過ぎた事だろうが……っ」


 やがて皆が見た通りの異物と成り果てた中学では教師曰く"いじめに見えない"ような嫌がらせを受け続け、そして高校では空気となった。

 大学では皆大人になった事からあからさまな態度を取られる事は無くなったが、それでも陰で色々と言われている事を知っていた。


「……ちゃんとしよう。ちゃんと…… 普通にしなきゃ……」


 結局全てを思い出してしまった脳は、気が済んだかのように心臓を制止した。蓋を被せた心臓を更に上から補強するように深呼吸を重ねていると遠くから自分を呼ぶ声が聞こえて来た。


「内海様ー! 内海大河様ー! どこですかー?」


「っ、ああ。ユーゴ! こっちこっち!」


「あっ、居た! こんな所まで来て…… この辺座る所無いですよ」


 小走りで駆け寄るのと共に串焼き肉から肉汁が跳ねる。長い二本の串に二つずつ突き刺された大きな肉は焼きたてのようで湯気が出ていた。


「ごめん、土地勘が無くて迷いかけてた」


「もう、そんな状態で歩き回るなんて…… 可愛い私の為に座れる場所を探してくれていたんですね!」


「まあ、そういう事でいいや」


「ふふ。せっかくなのでこの道の先へ行ってみましょうか。人が居ないから食べながら歩いても誰の迷惑にもなりません」


 ──『ユーゴ・ラウンセル 11歳 男性 好感度33』

 安心を求めてユーゴの好感度を確認する。が、簡素化されているとは言っても他人の感情を覗き見るという行為が不誠実であるような気がして内海は更なる自己嫌悪に陥った。


「どうしました? 私の顔じっと見て」


「あ、ご、ごめん。好感度を見てた。勝手に見てごめん……」


 ここで誤魔化すのは更に不誠実を重ねる事になると判断した内海が馬鹿正直に答えると、ユーゴはきょとんとした顔で数秒内海の顔を見つめた。


「可愛いお友達が出来て嬉しいんですね。ふっふ、分かります分かります」


 ニヤリと笑い前を向いたユーゴが得意気に頷く。


「そ、そういう訳じゃ……」


「可愛い私の好感度を見ながら『前よりちょっと好かれてたりして』とか考えたり?」


「違っ…… ああもう、俺なんかからかって楽しいか?」


「うふふ、楽しいですよ。からかい甲斐があって」


 そう微笑んだユーゴが串焼き肉にかぶりついた。

 頬張り切れないにも関わらず一口で串から肉を一切れ引き抜いたユーゴがそのままモグモグと咀嚼を始めた。


「んん、ンオファイ。んふひゅう、フオイえう」


「飲み込んでから話して天使様」


「あも」


 ユーゴが静かに味わい始めた。それに続いて内海も付属の楊枝を手に取り、恐る恐る燻製目玉を口に運んだ。

 口に入れた瞬間スモーキーで豊潤な香りが鼻を抜ける。

 眼球周辺の肉は燻製によって適度に締まりしっかりした食感だ。かつ閉じ込められた脂が噛む度に旨味と共に流れ出る。一方でコリコリとした強膜輪と弾力のある水晶体が魚肉特有の淡泊な歯触りにアクセントを生み、更にとろみのあるゼラチンが脂身と共に濃厚な旨味を演出しつつも全体の食感を柔和な物へと変えてゆく。そして、飲み込んだ後にも濃厚な旨味と香りが口に残った。


「なるほど。なるほどなあ……」


「なんですかその反応。気になるじゃないですか」


 もう一つ口に運ぼうとすると既に肉を飲み込んでいたユーゴが内海の手元を注視していた。

 その視線に気付いた内海がもう一本あった未使用の楊枝を渡すと、彼も恐る恐る燻製目玉を頬張った。


「んん。なるほど」


「まあ、そういう反応になるよな」


「明らかに"おつまみ"ですね、これは」


 口には合ったようで静かに咀嚼しながら深く頷く。十分美味しい。だが酒が飲める年齢になって初めて真の魅力を知れるのだろう。そう思いながら内海は二つ目の燻製目玉を頬張った。

 互いに買った物を分け合い食べ終えた頃、ふと内海は今歩いている道について違和感を感じた。


「なんか異質だな。この道。窓も無いし、この道に合流する道もまだ見てないし……」


 周囲を見回しながら呟く。人が居ない道とユーゴは言っていたが、それにしても人が居なさすぎる。

 道の両側には建造物が並んでいるが、この道を見られるような窓は一切無く、この道へ出られるようなドアも無く。そして合流できるような小路も無かった。更に道が緩いカーブを描いているため先が見えず、また後方を振り返っても元居た場所が見えないのである。

 まるで孤立しているかのように、どこからも繋がっておらず、誰からも見られていないのだ。


「この国の至る所に引かれている"リアオルス"と呼ばれる道です。イミステルク様が通られる道だとされているのでそのような作りになっているんです」


「リアオルス……」


「固有名詞なので翻訳は省きましたが、強いて言えば"神の道"という意味合いになるでしょう」


「名実共に神様用なんだな、そう思うとますます異質に見えてくる」


 改めて周りを確認すると、今歩いている道が細部まで綺麗にされている事に気が付いた。

 石造りの床は少しの歪みも無く、建物の壁も頻繁に手入れされているようだ。

 こんな所を自分のような人間が歩いて良いのかと少し不安になっていると、ユーゴが補足をするように続きを話し始めた。


「イミステルク様の他にも私みたいな天使や聖職者が使う道であると共に、緊急時にお医者さんなどが人ごみを回避する際に使われる道でもあるんです」


「へえー。この国の文化は神の存在と強く結びついているんだな」


「はい。先程説明した『イミステルク様と敬虔なる信徒達によって作られた国』という話は単なる言い伝えではなく事実であり、歴史にもしっかりと当時の事が記されています。そういった事もあって様々な所でイミステルク様を意識した物が作られているんですよ」


「そうなのか。敬われてるなあ」


 イミステルクもこの道で食べ歩いたりするのだろうか。そんな事を思いながら遠くの喧騒に耳を傾け、歩みを続ける。

 それまでの考え事から転じて列車内での会話を連想していると、ふと『訊いておこう』と思っていた事を思い出した。


「そういえば話が変わるんだが、他の転生者の事って訊いてもいいのか?」


「ええ。現在この世界に居る者限定ですが、特に情報共有に制限は掛けられていませんよ。なんでも訊いて下さい」


「それぞれの研究内容とかを知りたいんだけど、それも訊いて大丈夫なのか?」


 この世の謎を一つ明かすという使命は簡単なようでいて難しい。

 具体的なテーマが何一つとして決まっていない現状においては、とりあえず参考になる情報が無いと何も出来ない事を内海は確信していた。


「大丈夫ですよ。そういう事であればこれをどうぞ」


 手の平を差し出したユーゴがイミステルクが使っていたようなホログラムの魔法を発動させる。

 徐々に実体を持ち始めたそれを掴んだユーゴは内海へとその資料を手渡した。


「滞在国と研究内容を適当に纏めた自分用のメモです」


「ありがとう。助かる」


「いえいえ、ごゆっくりどうぞ」


 一枚だけ手渡された資料にはそれぞれの転生者の情報が極めて簡潔に記載されていた。一番上には耳の尖った女性の写真が載っている。


『ユキ・レヴァンテ:過労死 担当天使:アマナ。エゼルに滞在中。この世に八種存在する"ティエルの練成物オーパーツ"の複製およびティエル・ネア・ラディエが書き残さなかった錬金法を蘇らせる研究に取り組んでいる』


「……一人目から壮大な事が書いてあるなあ」


 ユキの下にはにこやかな表情の男性が載っていた。


『レナート・アランブール:戦死 担当天使:ケリー。クレイトリカに滞在中。元々住んでいた世界で確認されていた精神疾患と同様の物をこの世界の人々にも確認し、その病の存在を知らせる活動と共に治療法の研究に取り組んでいる』


 三人目はいかにも"お嬢様"といった風貌の女性だ。


『エレオノーラ・オークァンス:事故死 担当天使:アルフォンス。放浪中。度々研究内容が変わるが、現在は陸上と海底で時間の流れが異なる原因を探して各地の書物を閲覧している』


 そして迎えた四人目は、真顔ながらもどこか闇を感じさせる少女だった。


『貴科もん:衰弱死 担当天使:ユーリ。クラットランド島に滞在中。モンスターが異種族同士でもコミュニケーションを取れる理由についての研究に取り組んでいる』


「モンスターが居るんだ、この世界」


「はい。モンスターと言っても内海様の世界で言う"動物"や"植物"くらいのニュアンスですけどね」


「生き物の総称みたいな?」


「そんな感じです。家畜化できない生き物や単に危険な生き物、そして研究の進んでいない生き物なども総じてモンスターと呼ばれています」


「結構曖昧な分類なんだな」


「ゾンビなどは満場一致でモンスターですけど家畜生物の近縁種などは意見が分かれがちですね」


 結果的に、四名の研究内容を見ても参考にはならなかった。

 誰が何をやっているかを見た所で、自分は何を目的に動くのかという答えには辿り着けないのだ。

 それもその筈、元々内海は何かがしたいと思って生きた事は無かった。

 筋肉や美容知識、自分なりの"普通"を演じるコミュニケーション能力などを身に着けた事に関しては理想の人物像があった訳では無く、ただ単に嫌われたくないからという理由のみを以てそうしていた。

 『何かをしたい』のではなく『したくない、なりたくない、されたくない』。ただそれだけの人間であった。

 故に内海は"自由に何かを模索する"という課題に弱かった。


「……錬金術、精神疾患、海の謎、モンスターの言語。ううん」


 それでもイミステルクの依頼を引き受けた以上何らかの目的は持つべきなのであって、最低限『どういった分野で謎を探すか』という大まかな方向性は決めておくべきだと分かっている。


「研究内容について悩んでます?」


 ああだこうだと頭の中で考えているとユーゴが内海の顔を覗き込んだ。


「うん。分野すらも自分で決めるってなると難しくて」


「大丈夫ですよ、転移してすぐ研究内容を決められた方なんて居ませんから」


「そっか……」


「皆各地を歩き回る中で何らかの"切っ掛け"と接触して謎を見つけているんです。私達もそのように、ゆっくりとやっていきましょう」


「……ありがとう」


 資料を返して前方へ目を向けると、今歩いている道がどのような道へ合流するのか確認できる場所まで来ていた。前方に横切るその道路は人通りが多く、突き当たりには酒場らしい看板を掲げた大きな建物が建っていた。


「あの道も賑わってるな」


「あそこは玄関街です。旅人を迎え入れ送り出す場所として、旅人向けの道具を取り扱うお店や飲食店が数多く建てられています。玄関街という名の通りセスファリナの出入り口からも近いのでいろんな方々が集まるんですよ」


「へえー……」


 よく目を凝らすと沢山の荷物を積んだ乗り物や、大きなバッグやポーチを身に着けた若者が行き交っていた。

 町の外から来た者達であるのか、ユーゴの姿に気付いた者は物珍しそうに暫くこちらを見ていた。


「街の外から来た人が沢山いる通りなんだな」


「はい」


「そういった人達がリアオルスに入って来たりはしないのか?」


 背後を振り返る。後ろから誰かが来ているような気配は感じない。


「観光客様に向けた説明の看板があるので進んで入ろうとする方はいませんね。それでも稀に迷い込む方は居ますけど」


「……なんかペナルティとかあったりするの?」


「いえ、流石にそんなつまらない事で罰せられたりはしません。この道も所詮人間が勝手に作った物なのですから」


 ふわりとローブの裾を翻したユーゴが辺りを見回し、一歩先へ出て内海の正面で立ち止まった。


「さて、この先に私の好きな喫茶店があるんです。先ずはそこで今後どのように行動するか相談しましょうか」


「分かった」


 小路から玄関街へ合流し、人ごみを避けながら向かいの小路へと突き抜ける。

 リアオルスとは違い小路でありながらも人は多い。その中を更に進んでゆくとそれなりに大きな店にたどり着いた。


「ここです。ケーキが美味しいんですよ!」


「へえ、いいな! ……でも今回は飲み物だけでいいや。胃がもたれそう」


 肉が思った以上にボリューミーかつ脂っこかった影響か、内海の胃はまだ若いにも関わらず今にも悲鳴を上げようとしていた。


「あのお肉結構ボリュームありましたもんね。私も最近お腹がモチモチしてるので我慢します」


 またもや恥ずかしげも無く腹を撫でたユーゴが喫茶店の扉を開く。


「成長期のダイエットはあまり健康に良くないから我慢は程々にな。食べすぎも良くないけど」


「そうでしたか! じゃあケーキ二個食べます」


「それは食べすぎ。天使なのに誘惑に弱すぎるだろ」


 ウエイトレスに案内されるまま席に着いた二人は早々に注文を済ませて早速世界地図を広げた。

 自らの羽を引き抜いて魔法でペンに変えたユーゴは、まず最初に各大陸にカタカナで名前を書いた。慣れない言語であるためかたどたどしい筆跡だ。


「すみません。内海様の世界の言語を書くのは初めてで汚くなっちゃいました」


「いやいや分かりやすいよ、ありがとう」


 今現在内海たちが滞在しているセスファリナは地図では西に位置しており、そして海を隔てたすぐ北にはクレイトリカとエゼルで西東に両断された大きな大陸がある。

 見る場所を変えて地図の南東には複数の島からなるケグナスが、その少し北には山岳地帯らしい絵が描かれたアステルがあった。輪になって海を囲むように国が存在している。その囲まれた海の中心には島にしては大きな陸地があった。ここには何も書かれていない。


「……そういえば、この世界の文字は全然読めないんだけど会話は何故か普通にできてるんだよな。なんでだろう」


「お気付きになられましたか。私が"奇跡"を起こしているから問題なく会話が出来るんですよ」


 そう言ったユーゴが天使の輪を光らせる。


「おお、そうだったのか。ありがとう。 ……ちなみに奇跡って何? 魔法とは違うのか?」


「はい。奇跡とは守護神や天使などの神族に宿る力を行使する技術です。対する魔法は世界そのものが持つエネルギーを拝借して利用する技術ですね。源となる物からして別物なんですよ」


「へえー…… 上位存在っぽい」


「ふふ。上位存在と言える程偉い者ではありませんよ。仰々しい言葉を使いましたが、所詮は一種族に過ぎないのです。種族固有の体質とでも思っておいて下さいね」


 笑顔で語ったユーゴが気を取り直すように地図に指先を置いた。


「さて。話が脱線してしまいましたが、とりあえず今後の行先は内海様のご希望通りに決めようと思っています。何かやりたい事や見てみたい物はありますか?」


「今は特に明確な希望は無いかな。とにかくいろんな物を見てみたい」


「ふむ。では近くの町から候補を絞りますか」


 現在地に印をつけたユーゴがその近くに更に三つの印を付けた


「どれも徒歩でたどり着ける程度の距離です。最初の冒険ですから様子見も兼ねて近場で留めておきましょうか」


「分かった。それぞれどんな場所なんだ?」


「北西にあるこの点はリエンシという村です。農耕が盛んで川が綺麗な場所ですよ。セスファリナから近い事もあって農村でありながらかなり発展してます」


 説明をしながら片言の日本語で特徴を書き留めてゆく。箇条書きで三つほどに纏めた所でユーゴはリエンシの東にある印の近くにペンの先を置いた。


「その町は?」


「こちらはソルファです。入り組んだ街並みと図書館と魔法学校が有名な街ですね。この街の学徒は皆聖イミステルク魔導学園への入学を目指して日々競い合っているんですよ」


「魔法教育に力を入れているのか」


「その通り。魔導学園を卒業した方々がソルファの学校の教師に就職する例も多く見られますね」


 近くを通るウエイトレスの目を気にする事も無く、新たに箇条書きを加えてゆく。

 一通り書き終わった事を確認した内海は、最後に残った印を指差した。


「この海沿いの町は?」


「こちらはティレーブという貿易港の街です。規模そのものは普通の街ですが、人と物の出入りは激流の如く。です。骨董品市場など面白い物もありますが基本的にセレブ向けですね」


「"謎"に関する物が色々と見つかりそうだな」


「実際ユキ様もここで謎へ辿り着く切っ掛けを見つけたそうですよ。どうします?」


 ソルファは魔法技術に関する知識が得られるだろう。しかしそれは『魔法以外の謎を解明したい』というイミステルクの意には沿っていない。勿論魔法以外の何かを得られる可能性はあるが、今この段階だとソルファ以外の場所を見てみた方が良いだろう。

 ティレーブに関しては"謎"に関係する物を発見できる可能性が高い。しかし見つけたとしてそれを買い取れる程の余裕は無い。だからといって見に行く意味が無い訳では無いが、現状急いで行くメリットはそんなに大きくない。

 なにより一刻を争う事態では無いので、内海はとりあえず好奇心で決める事にした。


「……とりあえず今回はリエンシにしようかな」


「じゃあリエンシに行きましょう!」


 深く考えて答えた内海に対してユーゴは深く考えずに頷いた。

 丁度そのタイミングで女性のウエイトレスが二人の注文を持ってきた。内海の注文はアイスミルクティー、ユーゴはイチゴのケーキとチェリーパイである。


「お待たせいたしました」


「ありがとうございます」


 そんな簡潔なやり取りをしながらケーキの皿を受け取る途中。ふと内海とウエイトレスの指先が触れ合った。


「あっ、す、すみませ──」


 咄嗟に謝罪しようと顔を上げて目が合った瞬間、営業スマイルを浮かべたウエイトレスに対して"数値化"が発動してしまった。


 ──『エレナ・マール 21歳 女性 好感度-34』


「──っ!」


 唐突に突きつけられる嫌悪の値。それは内海の心を容易く刺し貫いた。

 自分のせいで不快にさせた。そんな後悔と罪悪感に追い打ちをかけるように叩きつけられたマイナスの数値は、物言わぬ視線の本心を暴くように笑顔の上にずっと表示されていた。


『お前のせいで不快な思いをした』


 そんな思いを示す数値が、ずっと。

 その背が店の奥へ消えるまで、ずっと。


「っ……」


 停止したかのように錯覚していた心臓が必死に脈を打っている。

 『普通にしなきゃ』『普通にしろよ』と。『早くいつも通りに戻れ』と急かすように鼓動が鳴り響く。

 そして『取り乱されたらもっと不快なんだけど』『むしろこっちが被害者だよね』と、かつて聞いた笑い半分の声が何処からか脳に届いた。

 その瞬間──


「……」


 息の根が止まったかのように、心臓が落ち着いた。


「内海様」


「ん?」


「食べたいなら一口あげますよ?」


 ユーゴが内海の手元を見つめる。その視線の先に自分が持ったままのケーキがある事に気付いた内海は咄嗟にそれをユーゴの方へと差し出した。


「あ、あ…… ごめん、ぼーっとしてた」


「そうですか。転移初日で疲れちゃったんですね。この後はもう休みましょうか」


「うん」


「この近くに朝食とお弁当付きの宿屋さんがあるのでそこに行ってみましょう。人気店ですけど、そこに泊まれたら明日の出発がスムーズになると思います」


「分かった」


 ケーキを一口食べたユーゴが頬を緩ませる。

 その可愛らしい笑顔を見ながら、内海はユーゴに対して"数値化"を発動した。

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