第37話 頑張れ!


 



 土曜の午後、すっかり暑くなってきた街並みを、蒼井さんと並んで歩いていた。


 昼にランチを取り、ゆっくり買い物をした後。デザートを買って帰ろうか、という彼の提案により、ケーキ屋を探しながらどうでもいい話をして笑いながら歩いている。


 鈴村さんがいなくなってもう一か月。


 私もついに仕事で色々任されるようになってきた。とはいえ、周りの助けを得ながらなんとかこなしているところだ。吉瀬さんは相変わらず色々隣から教えてくれるし、坂田さんとはよくご飯を食べるし、ボブは仲いいとは言えないが、お互い仕事を協力し合える仲にはなれている。


 そして蒼井さんとはちゃんと『お付き合い』をしている。


 なんだか恥ずかしくなるぐらい、普通のカップルだ。仕事が終わった後ご飯を食べて帰ったり、寝る前に電話したり、休日はこうして遊びに出たり。


 今までも多少は恋愛経験はあるけれど、連絡が返ってこないなって悩んだり、すぐにどこかに泊まろうとしたり、そんなのばっかりだったのでどこかむず痒い。


 毎日、自分が普通の恋愛をしていることに幸福を感じている。


「どこのケーキ買って帰る? あ、何か駅の近くで新しい店がオープンしてるのを見た気がする」


 蒼井さんが歩きながら言った。私ははっと思い出し、強く首を横に振った。


「知ってます、でもダメですよ! 今日はあそこはダメです!」


「今日は?」


「今日、坂田さんと吉瀬さんはあそこにいるはずですから!」


 私は鼻息荒くして言う。蒼井さんは笑いながら納得した。


 そう、今日は坂田さんと吉瀬さんが二人でケーキを食べに行くという最重要の日なのだ。あの後なかなか連絡する勇気がない坂田さんだったが、吉瀬さんからちゃんとラインが来たらしい。そして、ついに今日デート決行、というわけだ。


 坂田さん以上に私が待ちわびていた気がする。彼女はこの日が近づくにつれ顔色が悪くなっていったかもしれない。緊張してたんだろうなあ、なんて可愛い反応なんだ。


「そっかあ今日だったか。じゃあ邪魔しちゃいけないし、違う店にしなきゃだね。確か、あっちにもう一軒あったと思う。口コミがよくて行きたいなと思ってたんだよ」


「いいですね、じゃあそっちにしましょう」


 そう二人で話し、方向転換しようとしたところだった。


「あ! 安西さん!」


 今先ほどまで考えていた人の声がして、蒼井さんと同時に振り返る。やはりそこには、坂田さんと吉瀬さんが立っていたのだ。


 ふおお、吉瀬さんの私服姿、貴重。かっこいい。


 そして坂田さんも可愛らしく着飾っていて、それを見ただけで私の頬が緩んでしまう。なんて素敵な二人なんだ、今日何か進展があるといいなあ。


「坂田さんに、吉瀬さん!」


「こ、こんにちは!」


 坂田さんがほっとしたように私に駆け寄ってくる。やはり、だいぶ緊張していると見た。がちがちでいるところに、私の姿を見て安心したんだろう。私は笑顔で答える。


「今日ケーキ食べに行くんでしたよね? 今からですか?」


「うん、そう」


「いいですねー感想教えてくださいね!」


 私がそう答えると、うわずった坂田さんの声がした。


「よ、よかったら安西さんと蒼井さんもご一緒にどうですか!? 新しいケーキ屋さん、美味しいみたいです!」


 あまりに必死になって言ってきたので、つい蒼井さんと顔を見合わせた。


 好きな人と二人きりなのが、だいぶきついらしい。そんな彼女の状況が分かったところで、蒼井さんと目を合わせたまま小さく頷いた。お互い、考えていることが分かっている。


「せっかくですが今日は予定がありまして!」


「今から行くところがあるから、ごめんね」


 同時ににこやかに断った。坂田さんはがっくり項垂れたが、その後ろで吉瀬さんは面白そうに口角を上げているのに気が付いていた。ああ、緊張してる坂田さんを分かってるみたい。じゃあ、安心だな。


 誘ってくれた坂田さんには悪いけど、ここは頑張ってもらわねば。君のためだ、頑張れ!


 私は蒼井さんと同時に二人に手を振る。


「じゃあ、また会社で!」





 結局違う店でケーキを買って蒼井さんのマンションに帰ってきた。中に入り、とりあえずすぐに冷蔵庫にしまう。蒼井さんはコーヒーの準備をしてくれていた。


 彼のマンションに来るのはこれで四度目だ。一番最初は鈴村さんと鉢合わせたりして大変だったけど、そのあとはまったりDVDを見たり、二人で鍋をつついたりして穏やかに楽しんでいる。


 ちなみに蒼井さんの部屋はいつ来ても綺麗だ。熱が出てた時は、あれでもやっぱり散らかっていた方みたい。私の部屋よりずっと物も少ないし、細かい部分まで掃除が行きわたっていて、普段の自分の部屋を見るたびに切なくなる。


「あーまさか坂田さんたちに会うとは思いませんでしたね! 可愛かったなー坂田さん」


「可哀そうなぐらい緊張してたけどね」


「ははは……確かにがちがちでしたね……まあ、あれがいいんですよ坂田さんは。多分吉瀬さんは分かってそうでしたしね! 吉瀬さんの私服初めて見ちゃったなー」


 冷蔵庫を閉めながら上機嫌でそう言う。いつも仕事服なので新鮮だった。


「私服?」


「見る機会ありませんからね。かっこよかったなー」


「へーそういうこと言うんだ」


 蒼井さんの声がしたので振り返ると、いつの間にかすぐそばまで彼が来て私を見下ろしていた。冷蔵庫と蒼井さんに挟まれ、急に窮屈な空間になる。


 彼はどこか意地悪そうに私を見ている。


「あっ、いえ、あの、深い意味はなくて」


「僕、覚えてるからね。前話した時、吉瀬のビジュアルがタイプって言ってたの」


「そ、そんなこと言いましたっけ……?」


「言った」


「で、でも吉瀬さんは坂田さんのものです!(多分)それに私は今蒼井さんと付き合っています!」


 慌ててそう言うと、少し考えたようにしたあと、まあいっかと言わんばかりに私にキスをする。


「とりあえずそれでいいや」


 ふいっと離れていったので、ほっとしつつバクバクの心臓を抑えた。付き合って一か月経つけど、全然慣れないんですが。なんか、蒼井さんって紳士だけど突然顔が変わったりしてついていけないんですが。


 とりあえず必死に自分を落ち着け、先にソファに座った蒼井さんの隣へ向かった。彼が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、舌で苦みを味わう。

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