第35話 交際宣言
ちょっと引っ掛かったが、まあいい。嫌がらせなんかしてない、って庇ってくれているのは間違いないのだから、素直に感謝しておこう。まさかボブに味方してもらえる日が来るとは。
だが鈴村さんは引かない。
「前いた上司とのごたごたの時には、自分は根拠なく責めたんじゃなかったんですか?」
「う……」
「付き合ってもないのに家を調べて押しかけたなんて怖くないですか!? 私はとーまくんが心配です! とーまくんの公開告白は、可哀想な立場になった安西さんから話題をそらしてあげたくてついた嘘なんです。それを真に受けてストーカーしてるなんて」
鈴村さんの口は止まらない。背後で誰かが、『蒼井と安西さん付き合ってなかったんだ』『家まで押しかけたってマジ?』と小声で噂している。予想外の情報が出てきて、みんなが混乱しだしているようだ。
説明しなくてはいけないことが多すぎる。だが何より、私は鈴村さんに嫌がらせなんか絶対にしていない。これだけは、強調しておかねばならない。
「あの! 私は……」
「付き合ってるんですけど」
言いかけたところに、蒼井さんの声がした。集まっていた人間が一気に声の方へ振り返る。
人ごみの少し後ろに、蒼井さんと吉瀬さんが立っていた。吉瀬さんは呆れたような表情で腕を組み、対して蒼井さんは見たことがないような怖い顔で睨んでいた。
「……蒼井さん!」
蒼井さんは深く、そして長いため息をつきこちらに近づいてくる。私の隣に来ると、先ほどのセリフをもう一度言う。
「安西さんと付き合ってるんですけど。だから、昨日お見舞いに来てくれたのもストーカーじゃないです」
彼の証言を聞いて、一気にみんなの肩の力が抜けた。『なんだ、やっぱり』『だと思った』そんな言葉を口々に吐いていく。
だが鈴村さんは納得するはずがなく、顔を真っ赤にして叫んだ。
「嘘! 安西さんに聞いたら付き合ってないって言ってたもん!」
「だって昨日から付き合いだしたからね。やっとここまでこれて喜んでるとこ。だから、安西さんが鈴村さんに嫉妬して嫌がらせなんてするのはありえないの」
「嘘、嘘!」
認めない鈴村さんに、離れたところから吉瀬さんが声を上げる。彼は人込みから離れた場所でめんどくさそうに立ったままだ。
「あー安西さんに蒼井の住所教えたの俺だから。安西さん以外の人なら教えてない。蒼井の気持ち知ってたら、そりゃ教えるでしょ。あとで蒼井に感謝されたぐらいなんですけど」
「て、いうかさ」
蒼井さんの声がぐんと低くなる。鈴村さんに近づき、顔を覗き込むようにして言う。
「昨日、せっかく安西さんが僕のために買ってきてくれた差し入れ、君が奪ったんでしょ? 返してほしいんだけど」
怒りの声に、鈴村さんの顔が青くなる。信じられない、というように首を横に振った。
「違うよ……とーまくん、そうじゃないでしょ……? とーまくんは嫌がらせされたのを心配して、私を庇うところだよ……? 吉瀬さんだって、なんでそんな遠くから見てるだけなの? 二人で私を囲って悪い人を責めるシーンじゃない」
鈴村さんの訴えに、吉瀬さんは呆れたように頭を掻いただけだ。その場から動くそぶりもなく視線を合わせようともしない。
蒼井さんが言う。
「勘違いしない方がいい。僕たちは君が思ってるほど君に興味がない」
「とーまくんはそんな事言う人じゃないでしょう! おかしいよ、なんでこんな人と付き合うことになってんの? よりによってこんなタイプ」
「よりによって、ってなんだよ」
「男騙してそうな顔したこんな女!」
鈴村さんが吐き捨てると、蒼井さんはため息をついて手で顔を覆った。少しして顔を持ち上げた時、彼の顔は嫌悪感に満ちていた。
「あのさあ。前も注意したけど、そのやり方と性格何とかした方がいいよ」
「……え?」
「安西さんは最初勘違いされがちな子だけど、君とはぜんっぜん違うから。まず仕事への姿勢。安西さんは初日から必死にマニュアル読んでメモ取って、分からないことは指導係にきっちり質問。できる雑用は立候補してやる。それが何? 鈴村さんはマニュアルを適当に読み流して、分からないことは近くの男に聞いてばっかり」
「そ、そんなこと」
「人に差し入れするのだって、自分をちやほやしてほしい人にだけ渡してる。安西さんはお世話になった人に、って男女問わずあげてたよ。それに、相手の好みもしっかり考えてプレゼントしてた。気に入られたいわけじゃない。気遣いのレベルが違うんだよ」
「ひ、ひどい!」
「ひどいのはどっち? 根拠もないのに人を犯人呼ばわりして。ストーカーって、よく言うよ。そっちこそ勝手に住所調べてやってきたくせに。自分は家に上げてもらえなかったのに、安西さんは家に呼んでもらったことで気づかないかなあ?」
蒼井さんの説教は止まらない。周りの人も誰一人止めなかった。いや、止められる雰囲気ではなかった。普段温厚な人が怒ると、とにかく怖いのだ。どこか抑揚を無くし淡々と話し続けるその声には冷たさを感じ、それがとても怖かった。
「小さな頃から人にちやほやされないと気が済まない性格だったのは知ってるけど、いい大人になってまでそのままなのは本当にきついから直した方がいい。女の子の友達いないでしょ?」
「……! とーまくんどうしちゃったの? そんな怖い事言うの、とーまくんじゃない! いつも優しくて私の王子様だったのに!」
鈴村さんが蒼井さんに縋りつくようにするのを、私は驚きながら見ていた。ここに彼女がいるって言ってんのに、平気で触るんだなあこの人。
すると蒼井さんは分かりやすく嫌そうに顔を歪めた。その顔を見て、さすがに鈴村さんもヤバいと思ったのか、無言で蒼井さんから手を離す。
「昔はそっちが子供だったから仕方なく面倒みてただけ。友達の妹だし、ってね。今も最初は穏便に済まそうとしたんだけど、そうやって親切心を出したのがよくなかったな。正直に言うね。いい加減にしろよ」
彼の周りに黒いオーラが見えた、気がした。鈴村さんは小さく震えているのが分かる。私すら口を挟めない。それぐらい、今の蒼井さんの威圧感が凄い。周りもしんとして、みんな物音を立ててはいけないと心で思っている。
今度は彼はにっこり笑って続けた。
「やけに安西さんに突っかかるけど、これ以上何かしたら本当に何するか分からない。そうだ、嫌がらせの犯人にしたいんだっけ? よし、管理会社の人に事情を話して監視カメラの映像を見せてもらおう。そこに犯人が映ってるはずだ」
名案だ、とばかりに言ったが、鈴村さんは頷かなかった。それどころか、さらに顔色が悪くなったように見える。ずっと黙っていた吉瀬さんが声を上げる。
「それがいいな。証拠があるなら言い逃れ出来ない。早速連絡してみよう」
「そうしよう、ね? 鈴村さん」
優しい微笑みで蒼井さんが彼女に声を掛けるも、鈴村さんは俯いたまま唇を震わせている。蒼井さんと視線を合わせないまま、小声で答える。
「べ、べつに……そこまで大事にしなくてもいいかも、って」
「どうして? ショックで仕事出来ないんでしょ? 何されるか分からないから怖いんでしょ? じゃあ犯人をみんなで確認して捕まえればいいんじゃない? なんで急にそんなに勢いを無くしてるの? 何か不都合なことでもあるの?」
質問攻め。鈴村さんはしばらく瞬きすらせずに固まり、何も発さない。しびれを切らした蒼井さんが吉瀬さんに言う。
「吉瀬。そろそろ北山さんも出勤してくるはずだから、報告してすぐに管理会社に連絡して」
「おっけー」
「何が映ってるか楽しみだね?」
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