第34話 事件勃発……?
私の歩幅に合わせて歩く蒼井さんが、夜に消えそうな声で言う。
「お見舞い、本当にありがとう」
「いえ、早く治ってよかったです」
「今、何を考えてる?」
「え!? いや、なんか緊張するなあって」
「僕は今から安西さんと何しようーって考えてる。またケーキ食べたいなーとか、旅行に行きたいなーとか。一人で盛り上がってるみたい」
「そ、そんなことないです! そりゃ私だって行きたいって思ってますよ!」
「証言は取った。今度行こうね」
そう言ってこちらを見た蒼井さんの顔が、本当に楽しそうでどこか子供みたいで。
ああ、本当に私と付き合ってくれるんだ、って。本当の本当にちゃんとした恋人なんだ、って。
なぜかは分からないけど、涙が出た。
翌朝、やや寝不足の顔で出社した。
だって、アドレナリンドバドバで眠れるわけがない。あの後普通に帰宅したけど、蒼井さんから『ちゃんと着いたか』って電話が来てそのまま話して、まるでカップルみたいな夜を過ごした。カップルなんだけど。
寝るときなんて目がギンギラ! 次の日は仕事だと分かっていたのに、色々思い出しては悶えて全く寝付けなかった。いい年なのに、まるで人生で初めて彼氏が出来たみたいな反応だ。
夜中まで起きてて、朝目を覚ましたら案の定、寝不足で目がしょぼしょぼした。眠そうな顔に必死でメイクを施し、いつものように会社に向かった。
そういえば、職場恋愛も初めてだ……。会社に行ったら、また蒼井さんに会えるなんて。
眠いくせにスキップしそうな足取りで会社に辿り着き、そういえば坂田さんや彩に報告しなきゃなあ、なんて思いながらいつも通り足を踏み入れようとしたところで、後ろから誰かがぶつかってきた。
どしんと小さくない衝動があったが、必死に足に力を入れて何とか転ばずに事なきを得る。慌てて顔を上げてみると、鈴村さんが冷たい目でこちらを見ていた。
うわ……朝から会っちゃった。
私はそう心の中で呟いて覚悟を決めたが、意外なことに彼女はふいっと顔を背けて先に中へ入って行ってしまった。ぽかんとしてその姿を見送る。
昨日あんな別れ方をしたから、てっきり何かかみついてくるかと思ったのに、案外静か。
首を傾げながら自席に行く。もしかして蒼井さんに締め出されたことで、ようやく反省したのかもしれない。私への敵意は隠せないだろうけど、少し静かになってくれれば十分だな。ボブぐらいの距離感で仕事が出来ればいいんだけど。
そう思いながら早速仕事の準備に取り掛かろうとしたところへ、背後から女性の短い悲鳴が聞こえた。
「きゃあ! 何これ!?」
反射的に振り返ってみると、鈴村さんがデスクの前で立ったまま青ざめている。周りの人たちもその声に気付き、なんだなんだと彼女に寄ってデスクを覗き込んだ。
「うわ、なんだこれ」
「ひどいな……」
男性たちが顔を歪めたので、私も気になって鈴村さんの近くに行ってみる。そこで、彼女のデスクの中が荒らされているのを目の当たりにした。
引き出しの中はコーヒーのようなものが掛けられ、中にあった物は全て茶色に汚れてしまっている。元々中にあったと思われるメモ帳らしきものはご丁寧に破かれ、ぐちゃぐちゃになっていた。
鈴村さんは両手を口で覆い、震えている。
「鈴村さん大丈夫?」
「これ、誰かがやったんだろ。わざとに違いないよ」
男性たちが次々に声を掛け、彼女は洟をすすって泣き出した。さすがにこの状況に戸惑った周りの人たちは困ったように視線を泳がせる。
「今来て、中を見てみたら、こんなことになってて……一体どうして?」
「びっくりしたね。とりあえず落ち着いて、俺たちも手伝うから掃除しよっか?」
「誰かがやったんですよね絶対。私の事嫌ってる女の人がやったんです! どうしてこんなひどい事出来るんでしょう? 一体誰だと思いますか!?」
「い、いやあ俺はなんとも……落ち着いて、ちゃんと上司に報告しよう」
「ひどい、ひどい! 嫉妬した女の人がやったんだ!」
わっと大きな声で叫ぶ鈴村さんには、周囲の声が届いていないみたいだった。
女性社員から浮いてしまっているのは、私でも感じている。でもだからと言って、こんなことをする人がうちにいるんだろうか? 私だって最初はボブを筆頭に凄く嫌われていたし嫌味なことを言われたりされたりしたけど、こういうイジメはされたことがない。
それとも、よっぽど誰かの恨みを買ってしまったんだろうか?
人に紛れていたボブが、冷静な声を上げた。
「とりあえず、仕事も始まるしみんなで掃除して、このことは上司に報告しましょ。ここで犯人探ししても埒があかないんだから」
だが、鈴村さんは引かなかった。
「こんな状態で仕事しろっていうんですか!? 辛くってそれどころじゃありません。犯人が判明しないと次に何されるか分からなくて怖いし。きっと私の事を邪魔に思ってる人ですよ……誰なのか見当はついています」
きっと強い目力で鈴村さんが言った。周りがざわめき、ボブは慌てる。
「ま、待ってよ、私じゃな」
「絶対安西さんです!!」
高らかに宣言したのを、周囲は固まって聞いていた。勿論、私もその中の一人である。
何を急に言い出したんだこの子は。
言わなくても分かってるだろうが、私は鈴村さんに嫌がらせなんかしてないし、する予定もない。なのに、根拠もなく私を名指しした鈴村さんに、ただただ呆気にとられた。
それは周りも同じで、あのボブがどもりながら言う。
「い、いや、な、なんで? なんでそこで断言してんの?」
「だって、安西さんいつも凄く私を睨んでくるんです。昨日だって、とーまくんの家にストーカーした安西さんをとーまくんの代わりに注意したら、凄く怒鳴られて怖かったんです……! 私ととーまくんが幼馴染で仲がいいから嫉妬してるんです!」
まるで名探偵が犯人を発表したときのように、彼女は私を人差し指で指した。私はもはや、開いた口がふさがらず反論する気すら起きない。
それは鈴村さんの近くにいた男性社員も同じだったようで、彼女を落ち着かせるようになだめながら言う。
「まあ、落ち着いて。ストーカーって言うけど、あの二人の間ならそうはならないでしょ」
「二人は付き合ってないですよ!? 私直接聞きましたもん」
「……え!? いや、でも」
「付き合ってもないのに、勝手にとーまくんの家に押し掛けたんです。家だって知らなかったのに調べたんですって、怖いですよね?」
「そうなの? そういえば蒼井は見舞いを断っていたけど……」
「とーまくんは優しいからはっきり言えないみたいだけど、迷惑そうにしてました。逆恨みしたんですよ、それで私にこんなこと!」
再びわっと泣き出して両手で顔を覆った。
落ち着け自分。まずは状況を整理しよう。
私は昨晩、確かにちょっと良くない行動を起こしたが、蒼井さん自身は許してくれたし付き合うことになったので、まあ問題にはならないだろう。あの子に荷物を取られた後少し大きな声を出してしまったのは事実だが、怒鳴るって程ではないし、普段から睨んでいたなんて記憶はまるでない。
でも私は鈴村さんを妬んで嫌がらせしたと断罪されているのだ。
混乱している私をよそに声を上げたのは、意外にもボブだ。
「あのねえ。この子は裏で嫌がらせするとかそういうタイプじゃないのよ」
「い、井ノ口さん……!」
「見た目よりずっと能天気でむかつくぐらい天然なのよ!」
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