第25話 暴走するな

 ありがたいことに、いろんな人に仕事を手伝ってもらいそれなりに仕事を捌くことが出来た。


 嫌われていると思っていた女性社員たちは、優しく声を掛けてくれたのでそれは本当に嬉しかった。浅田さんの件だったり、それからその後の私のぶち切れを目撃したりでイメージが変わったらしい。

 

 ちなみに、仕事を手伝ってくれた人の中にボブもいた。彼女は『手伝うよ』なんて優しい声を掛けてくれたわけではなく、無表情で『やります』と仕事をぶんどっていった。一応、罪悪感は持ってくれている……らしい。まあ、一番やりやすい距離感だと思うので、そこはありがたかった。


 仕事を終えてスマホを覗き込んだが、蒼井さんからは何も連絡がなかった。こちらから送ろうか悩んだが、勇気が出ずにやめてしまっている。


 食事に誘いたいと思っていたけれど、どうしよう……。


 最後に見た蒼井さんの表情がなんだか凄く辛くて、私の中の勇気が何一つ声をあげなくなってしまった。




 翌朝出社し早速仕事に集中していると、しばらくして吉瀬さんが現れた。彼は来る途中買ってきたと思われるドリンクを飲みながら私にあいさつをする。


「おはよう」


「おはようございます。あれ、それ中身なんですか? コーヒーじゃないですよね?」


「うん、ミルクティー」


「あは、いいですね。美味しいですよね」


 たわいのない会話を交わし、私はすぐに手元の作業に視線を戻す。だが、話を続けたのは意外にも吉瀬さんだ。


「昨日のさ、ほら、蒼井の幼馴染って人」


「ああ、はい……鈴村さん」


「あの人ーー」


「おはようございまーす」

 

 吉瀬さんが何か言いかけたとき、その噂の本人が颯爽と現れた。鈴村さんはにこにこ顔で楽しそうに吉瀬さんを見ている。今日もオシャレに気を遣っていて非常に可愛らしい。


 吉瀬さんはやや驚いたように目を見開くも、すぐに挨拶を返した。


「おはようございます」


 それだけ言うと鈴村さんから目をそらして仕事を始めてしまう。鈴村さんはそんな彼に近づこうとして、まず私に気が付いた。


 そして眉をへのじに下げつつ、甘い声を出した。


「あの~! 昨日お仕事終わりました? ほら、とーまくんは結局私が連れて行っちゃったし」


「あ、はい。他の人が手伝ってくれたし大丈夫でしたよ」


「よかったあ! 昨日、すーっごく楽しかったです。夢みたいだったなあ、とーまくんも凄く楽しそうで色々教えてもらいました。めちゃくちゃ盛り上がっちゃって」


 思い出し笑いをするようにふふっと息を漏らした鈴村さんを見て、酷く胸が痛んだ。


 私が行った方がいいですよ、って言ったんじゃない。幼馴染とのせっかくの再会だから、話した方がいい、って。なのに今更後悔してどうするんだ。


 でも、思えば二人きりの食事なんて、勧めるべきじゃなかったのに……。


 鈴村さんはぱっと私から視線を外し、すぐそばにいる吉瀬さんに話しかけた。


「吉瀬さん! 昨日、とーまくんと話してて、吉瀬さんの事を聞いたのでお話したくなっちゃって! 二人はいつもトップを争うライバルなんですってね。凄いです、憧れちゃうなあ」


「いや、大げさだと思う」


「そんな事ないですよ! 私入ってきたばかりで分からないことだらけだから、色々教えてくださいね? とーまくんと吉瀬さん、頼りにしてます」


 キラキラした目でそう言う鈴村さん。目の中に星が見える気がした。女の私から見ても可愛らしいし、モデルみたいだ。


 だが吉瀬さんは表情一つ変えずに返事をする。


「まあ、時間があるときはもちろんできることはします。でも俺は安西さんの指導係なので。鈴村さんも指導係いるでしょ? 聞くならまずそっちにお願いしますね。安西さん、今日の午後こそ外回りに同行頼むから」


「え、あ、はい!」


「よろしく」


 決して愛想がいいとは言えないその言い方に、鈴村さんは少し不満げにしたが、すぐに気を取り直したように口角をあげる。


「分かりました! 私も頑張りますね、よろしくお願いします!」


 それだけ言うと鈴村さんは自分の席に戻っていった。その様子を眺めながらちらりと吉瀬さんを見たが、彼は気にしてなさそうにパソコンに集中し始めてしまっている。


 そう言えば、彼はさっき何か言おうとしていたけれど、一体何を言いたかったんだろう? そう思ったがなんとなく聞き返せる雰囲気ではなく、私は黙って仕事に戻る。もしかしたら、午後の外回りの時に聞けるかもしれない。


 もやもやした心を落ち着かせる。駄目だ、集中しなくては。仕事に私情を持ち込んではいけない。



 午前中はそのままデスクワークに没頭し、簡単に昼を食べた後吉瀬さんと外へ出かけた。本来なら先週、こうして同行するはずだったのに、浅田さんの事件があって出来なかったのだ。今度こそは、と気合を入れて臨んでいる。


 吉瀬さんの営業成績が優秀ということは初めから知っていたことだが、ようやくその理由が分かった気がした。彼が取引先と交わす言葉は、非常に分かりやすく簡素で、余計なものが一切ない。


 私の勝手なイメージだが、営業とは先方の好みや性格も把握し、その話題を話しながら親しくなり、信頼関係を育みながら結果につなげていく印象が強かった。例えば仕事に関係ない雑談も振ったりして会話を盛り上げていくとか。基本的にはその手法ばかりかと思っていた。


 でも吉瀬さんは違う。あまり余計な雑談はせずに仕事の話を分かりやすく淡々と話す。それはもう説得力のある言い方で、でも費やす時間は少ない。なんていうか、現代向きだなあと感じた。


 今ってあまり余計な時間は使いたくない、親しくない人とプライベートな話はしたくないって人も多いからね。


 外回りを終えて会社に戻る最中、私はその感想を正直に吉瀬さんに言った。


「吉瀬さんの説明ってすごく分かりやすいですね! 思ったより雑談も少なくて時間も短かったのは驚きでした」


 会社への道を歩きながら、私は感心している。自分のイメージと違う方法でたくさん成功を収めている彼への尊敬が止まらない。


 それでも、私の褒めの言葉に彼は表情を緩めることもなく、平然と答える。


「そう? 俺は余計な時間を掛けたくないタイプだから。同じような人とは上手く行くけどね」


「なんていうか、営業って雑談とか話しながら相手の懐に入るのが求められるのかと……でもそうですよね、そうとは限りませんよね。自分の思い込みがいけないです」


「いや、安西さんが言うのも間違ってないよ。俺はこういうやり方が合ってるからそうやり続けてるけど、相手を選ぶとは思う。実際、『話しにくい』ってクレームが来たこともある」


「ええ……」


「でも、俺のやり方が合う人間もいる、ってこと。もちろん、相手とたくさんいろんな話をして信頼関係を積み重ねる方法の方が多いと思うけどね。蒼井とかはそういうのがめちゃくちゃ上手い」


 ああ、と納得した。蒼井さんは気遣いとかもできるし、誰とでも話を合わせられる、そんな器用さを持っていると思う。吉瀬さんとはタイプが違う。


「でも、いろんな人がいるから。俺と合うけど蒼井とは合わないってことだってある。それは誰が悪いんじゃなくて相性の問題だから。まあ、『相手に合わせて自分のやり方を変える』っていう方法もいいんだろうけど、俺は自分の強みをしっかり持って堂々としてる方が大事だと思う。少なくとも、それで今までやってきたからね」


 ほう、と自分の口から感嘆のため息が漏れた。吉瀬さんは自分の長所を分かった上でぶれずに進んでいるということだ。それで結果を出しているんだから説得力が違う。


 私は素直に言う。


「すごいです。自分に合うやり方を模索しないといけないですね」


「安西さんは探すまでもないだろ。蒼井と同じタイプだ。計算とかじゃなく、人と接するのが上手いし気が利く。そのままやればいい」


「そうですか? 私、女性からの第一印象悪いんですけど……」


「営業は会ったら必ず話すから大丈夫。話せば君の中身は伝わる」


 吉瀬さんはそうさらりと言ってくれたが、胸が温かくなるぐらい嬉しかった。蒼井さんが『分かる人は分かってくれる』と言ってくれていたが、彼も間違いなくその一人だろう。


 いろんなことがあったけど、素敵な同僚に恵まれている。


 私はにやにやする顔を隠すことなく、上機嫌で会話を続ける。


「坂田さんとかはどうでしょう? 可愛らしいし誰からも気に入られそうですけど」


「ああ……坂田さんは」


 軽い気持ちで彼女の名前を出した私だが、隣で坂田さんの名前を噛みしめるように呟いた吉瀬さんの声を聞いて、ふと横を見る。彼はまっすぐ前を向いたまま、でもどこか優しい眼差しで答えてくれる。


「あの子は俺よりはずっと愛想がいいし穏やかで人から好かれると思うけど、案外雑談とかは苦手らしくて。入った当初苦労していたよ。だから、無理に会話を広げようとしなくていい、ってアドバイスはしたかな。仕事の話をとにかく誠実に頑張れば相手も聞いてくれるから……ってね。いつも一生懸命だし、最近はコツをつかんだのかぐんぐん伸びて来てるし、よかったね」


 そう言った彼の声色と表情が、いつもとどこか違った気がしたので、驚きで足を止めた。


 とても柔らかで優しい顔だった。横顔だけど、しっかり分かる。私の事や蒼井さんの事を話す時とはどこか違う、特別な顔。


……え、ちょ、ちょっと待って!??


 いや、思い返してみればここに来た当初、吉瀬さんと坂田さんが話しているのを見た時、彼の表情が柔らかかったことは今でも覚えている。それってもしやのもしや? あれ、もしやのもしや!?


 あわあわ慌てた挙句、私はわざとらしくひっくり返った声で大げさに言う。


「坂田さんってめっちゃいい子ですよね! 真面目で優しいし、仕事で悩んでたかもしれないけど今は慣れたみたいでよかったですね!!?」


 私がそう言うと、少し前を歩いていた吉瀬さんの足が止まり、こちらを振り返る。その表情はどこかいたずらっぽい、少年のような顔に見えた。


「言っとくけど、安西さんは人の事より自分の事をちゃんとした方がいい」


「え……それって」


 仕事のことですか? それとも、恋愛のこと?


 そう尋ねたかったけれど、吉瀬さんはすぐに前を向いて歩いて行ってしまったので慌てて追いかける。色々言いたくて聞きたくてたまらないうずうずを必死に堪える。


 落ち着け朱里! お前は前も人の恋愛を応援するだとか言って暴走しただろ! 余計なことするな、お前の出番はここじゃない!


 自分に言い聞かせ深呼吸をする。が、興奮が収まらないのだがどうしてくれよう。坂田さんと吉瀬さんが両想いだったら、もう私なんていうか、もう、もう……


「そういえば、新しく入ってきた子だけど」


 興奮状態の私に吉瀬さんがそう話題を振る。昂っていた気持ちはすんと落ち着き、私は普段通りのテンションで答える。


「鈴村さんですか?」


「あの子、ほとんど蒼井の妹みたいなもんだって。前、蒼井から聞いたことがある。年も離れてるしね」


「そうなんですか……」


「あの子、なんか今までにいなかったタイプだな」


 ぽつりと吉瀬さんが言ったので、私は首を傾げる。


「自分で言うのもなんですが、なんか私とタイプが似てるかなーって勝手に親近感を持ってたんですが」


「いや。違う」


「そ、そうですか。失礼だったかな」


「ぱっと見そう見えるかもしれないけどね。あれは多分全く違うタイプだ。あれから蒼井と話した?」


「い、いえタイミングがなくて……二人で食事に行って凄く盛り上がった、って鈴村さんからは聞きましたけど」


「それほんとかな?」


 吉瀬さんが珍しく眉を顰めたので、少し驚いた。彼はいつもあまり表情を変えないのだが。


「と、いいますと?」


「……まあ俺がとやかく言うことじゃない。とりあえず話してみたら」


 そう短く言った吉瀬さんはそのまま黙ってしまった。私もそれ以上何も聞けず口を閉じた。


 吉瀬さんにも坂田さんにも、ちゃんと話せって言われてるし自分でも分かってるんだよね。とはいえ仕事中は無理だし、やっぱり彼を誘うしかない。今日は残業は免れそうだし、何とか声を掛けたい……。


 そう思うと同時に、坂田さんと吉瀬さんが両想いと思われる事実に胸がいっぱいだ。ああでも、私の口から『吉瀬さんも坂田さんが好きっぽいよ!』なんていうのは違うよなあ。ああ、どうしたら素敵な二人が幸せになるんだろうか!

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