第24話 選択肢を間違える




 溜まった仕事をこなすために、必死にパソコンに齧りついて時間の流れを忘れる。


 今日はこうなることを見越して、お昼は朝コンビニで買ってきた。サンドイッチを齧りながら必死に仕事をさばいていく。下っ端だし急ぎの物は周りの人がフォローしてくれていたようだが、それでも一週間いなかったしわ寄せは大きい。こりゃしばらく残業かなあ、と眉尻を下げる。


 蒼井さんを食事に誘いたかったんだけど……数日は厳しそうだな。


 ちらりと蒼井さんの席を見る。外回りの最中なので、今は空席だ。


 そして今度は鈴村さんの方を見た。彼女は自分の席で何かを必死に見ているので、マニュアルだろうか、と初日の自分を想像させた。最初から外回りに同行なんか出来なくて、ひたすらマニュアルを読んでたっけ……。


 ふと、彼女に一言挨拶をしようと思い立つ。坂田さんのようにランチを誘う余裕はないが、「最近入ったばかりなのでよろしく」と一言伝えるだけでも、向こうは気が楽になるかもしれない。


 私は立ち上がり、鈴村さんの席に近づく。


「鈴村さん」


 名を呼ぶと、ぱっとこちらを振り返る。近くから見て、やはり可愛らしい人だな、と再確認する。鈴村さんは私を上から下まで眺めるようにして首を傾げた。


 私はにこりと笑いかけ、明るい声で言う。


「えっと、安西朱里と言います! 実は私、最近ここに異動してきたばかりなんです。なのでまだ全然一人前とは言えなくて……」


 そこまで笑顔で話したところで、ふと彼女の様子が思っていたものと違うことが気になった。


 『そうなんですか!』とか、『よろしくお願いします!』みたいな反応を想像していたのだが、笑顔もなく私を見てくるその表情から察する感情は一つ。


『だから?』という、無関心なものだ。


 慌てて言葉を繋げる。


「な、なのでえーと、同期みたいなものだし、仲良くしてもらえると嬉しいなって……あ、今度よかったらランチとかどうかなって!」


「そうなんですかあ~! 同じ時期に入ったんですね。ランチいいですねー」


「あ、うちの食堂結構おいしいし、近くに安いカフェが」


「じゃあ、時間があるとき、私からまた声を掛けますね。その時はよろしくお願いしまーす」


 それだけ言うと、彼女はふいっと正面に視線を戻し、何やらまた集中しだしてしまった。私は笑顔を固まらせたまま立ち尽くす。


 それってつまり、私からは声を掛けなくていい、ってことかな……?


 思っていた反応と違ったことに戸惑いつつちらりと彼女の手元を見てみると、スマホの画面にゲームらしきものが映っていたので目を見開いてしまう。


 マニュアルじゃなかった、ゲームだった……。


 何か言おうとして口を閉じる。あれだね、昼休憩中だったんだよね。そんなときに話しかけた私もタイミングが悪かったな。


 そう反省し、私は自分の席に戻った。


 その後、私は外回りの予定もなかったので一日中自席に座っていたのだが、その後もちらちらと鈴村さんの様子が目に入っていた。


 彼女は明るくいろんな人と雑談をしていた。話し上手の聞き上手という感じで、よく楽しそうな笑い声響いている。周りの人と打ち解けてよかったなあ、なんて思いながら背中でその声を聞いていた。


 可愛いし人懐こい感じだし、営業に向いてそうだ。私も負けないように仕事頑張らないと。


 そう気合を入れていると、ある会話が耳に入ってくる。


「えーじゃあ、食堂とか案内しなきゃじゃん。俺よく行くから、一緒に行こうよ」


「ほんとですか! 嬉しい~! 一人じゃ心細いなあって思ってたんです、ご一緒させてください!」


 パソコンを打っていた指をぴたりと止めた。


 こっそり振り返ってみると、男性社員と嬉しそうに話す鈴村さんの姿が目に入る。先ほど交わした会話を思い出し、ポリポリと頭を掻いた。


 うーん、まあ……考えすぎかなあ。そう自分に言い聞かせ、また仕事に集中した。





 夕方になると、外回りにいっていた人たちもみんな戻ってきて賑やかになり始める。


 私は吉瀬さんに仕事の指示を貰っていると、徐々に終業時刻が近づいてくる。今日やっておきたいと思っていた分がまだ終わっていない。やはり、残業確定である。


 まあ、一週間も休みをもらっていたのでしょうがない。


 ちらりと時計を見上げ、蒼井さんを誘いたかったけど無理そうだなあ、と心で呟く。一度ゆっくり話したかったんだけど……まあ、今日じゃなくてもいい。仕事も落ち着いたところで誘ってみよう。


 そう心に決めて再びパソコンを睨みつけたとき、隣から蒼井さんの声がした。


「安西さん」


「ひゃっ!」


 突然だったこと、そして何より今先ほどまで考えていた蒼井さんの声であったことに驚き変な声をあげると、面白そうに笑う声が辺りに響いた。


「あはは! ごめん驚かせた? 声がひっくり返ってたね」


「い、いえすみません、考え事をしていて……」


「面白い声だったね。集中してるところをごめん」


 彼は目に浮かんだ涙を拭きつつ、私の手元を覗き込む。そのときふわりとどこかいい香りがして、また心臓が痛くなった。蒼井さんの香り……って、私は変態なの?


「休んで多分、仕事溜まってるんじゃない? 手伝うよ」


 彼がそんなことを言ったので慌てて首を横に振る。


「とんでもないです! 私より蒼井さんの方がずっと忙しいはずですし、私は昨日まで休んでたんですから!」


「休んでたのは君のせいじゃないからね。ほら、僕にできることは手伝うから……」


 そう言ってデスク上の書類に手を伸ばした時、甲高い声が響いてきた。


「とーまくん!」


 二人で振り返ると、鈴村さんが跳ねながら走ってくるところだった。彼女は嬉しそう目をキラキラ輝かせながら、蒼井さんめがけてやってくる。


「仕事中はその呼び方、やめるように言ったはずだよ」


「だってもう仕事終わったもーん。ね、帰りにご飯でも行こうよ! 久しぶりに話したいことがたくさんある!」


 鈴村さんはそう言いながら、蒼井さんの腕に手を触れる。それは自然な仕草で、距離を縮める様子が非常にうまいと思った。いや、幼馴染なのだから昔からこんな感じなのだろうか。


 彼女は一人でふふっと笑い、呟く。


「なんかさ、こんな偶然本当にあるんだーってびっくりして。だって、昔から大好きだったとーまくんが引っ越して、私すっごく泣いたんだよ。それが、大人になって会社で再会するなんて! もうさ、運命だなーって思っちゃうよ」


 恥ずかしそうに笑いながら言ったセリフを聞いて、私は一人『確かに!!』と心で大きく叫んだ。


 幼い頃に引っ越しでいなくなってしまった幼馴染。月日は流れ、もうその顔すら思い出せなくなってしまった頃、入った会社で自己紹介をすると、自分の名を呼ぶ声が聞こえて……。


 そっちを見てみれば、昔よりさらにかっこよくなった幼馴染がいたのだ。


 二人は久々の再会に喜び、昔のように接していくうちに……。


……めちゃくちゃ王道の漫画展開だ……ヒーローとヒロインの再会としてこんな完璧なものはまずない。それに、美男美女だし。


 私は無言で二人を交互に見つめている。蒼井さんは笑って鈴村さんに答える。


「運命は言い過ぎだけどね。まあ僕もびっくりした」


「だよねえ! とーまくん、変わってないね。いや、すっごくかっこよくなってるけど、優しくて頼りがいあるとこは昔のまんま」


「そう?」


「ご飯行こうよ! この辺あんまりわかんないから教えてもらえると助かる!」


 そう言って彼女は腕を引っ張るが、なんと蒼井さんはそれをさらりと避けた。爽やかな笑顔のまま断りを入れる。


「お誘いはありがたいけど、まだちょっと仕事があってね」


「えーっ。何時ごろ終わりそう? 私、待ってる!」


「何時になるかまだ分からないから」


 そこまで会話を聞いた私は、空気と化していた自分をようやく動かし、声を出した。


「あ、あの蒼井さん! 私本当に大丈夫なので……一人で出来ますから」


 そう言うと、彼がこちらを見て瞳を揺らし小さく眉を顰めた。


「僕が手伝いたいの」


 真摯なその声に息を呑んだ。


 彼の優しさが心の底から嬉しかった。せっかく再会した昔の知り合いの誘いを断り、仕事を手伝うと言ってくれたその気持ちが痛いほどに染みる。


 そっか、蒼井さんに手伝ってもらえれば、一緒に帰ることが出来るかも。そしたらあの言葉の意味を聞くことも出来るかも……!


 私は微笑んで答える。


「う、嬉しいです。じゃあお言葉に甘え」


 そこまで言いかけた時、隣から洟をすする音が聞こえたのでぎょっとして振り返る。鈴村さんが目に涙を溜めて俯いているのを見て驚き、反射的に立ち上がる。


「す、鈴村さん!」


「私、つい最近この辺に引っ越して……知り合いもいない中、とーまくんに会えたの凄く嬉しくて……でもごめんなさい、一人で盛り上がっていたみたいだね。仕事の事とか色々教えてもらえたら嬉しいなって思っただけなんだけど……」


 まるでテレビドラマに出てくる女優のように、はらりと綺麗な涙が落ちたので慌てる。隣の蒼井さんと言えば、困ったように頭を抱えている。


「あのさ、直美……」


「ああっ! そ、そうですよね、心細い中知り合いに会えたんだからそりゃ嬉しいですよね……まだ分からないことだらけですし。私も異動してきたとき凄く心細かったの覚えてますから、気持ち分かります。えっと、せっかく再会したし、蒼井さん今日は鈴村さんとゆっくりお話しした方がいいですよ。仕事は私、一人で大丈夫です」


 目の前で可愛らしい年下の女性に泣かれては、こちらもやはり慌ててしまう。私はこんな人間だから、すぐに『誰かを虐めた』みたいに勘違いされやすいし、気を付けなくてはならない。


 鈴村さんはぱっと笑顔になり、私に可愛らしく微笑んだ。


「嬉しい。ありがとうございます。とーまくん、かえろ!」


 彼女の表情が明るくなったことにほっとし、蒼井さんの方を見ると、彼がなんとも言えない表情で私を見ていたのでハッとする。


 こちらの様子を窺うような、どこか咎めるような、悲しんでるような……そんな複雑そうな顔でじっとこちらを見つめている。


 あ……私、なんか間違えたかもしれない。


 せっかく手伝ってくれるってあんなに言ってくれたんだから、素直に甘えていればよかったのかも。でも、あんなふうに鈴村さんに泣かれたらどうしようもなかったし……


 困っておろおろしていると、蒼井さんが私から視線を逸らす。


「分かった。じゃあ、行こう」


「うん、お先に失礼しまーす!」


 鈴村さんはにこにこ顔で私に頭を下げ、蒼井さんの後ろを追っていなくなってしまった。呆然とその背中を見送りながら、私はただ立ち尽くすしか出来なかった。


 しまった、と後悔しても遅い。蒼井さんがあんなに親切にしてくれたのに、私は断ってしまうなんて。


「安西さん、手伝いますよ」


 私の後ろから、坂田さんのそんな声がして振り返る。彼女はどこか複雑そうな顔をしていて、一部始終を見られたんだな、と感じた。


 私は苦笑いしながら小さな声で答える。


「ありがとうございます……」


 すると、意外なことに他の女性社員からも声が掛かる。『私も手伝うよ』『休んでた分、大変だよね。休みたくて休んだわけじゃないのにね』と気遣ってくれ、ああいろんな人に見られていたんだな、と少し恥ずかしくなった。


 坂田さんは小さな声で私に言う。


「明日こそは、ちゃんと話した方がいいですよ」


「……ですね」


 そう答えつつ、私は俯いた。


 

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