第23話 幼馴染




 なんとなく気まずく感じながら、ゆっくりした歩調で職場へ向かう。


 一週間も休んでしまった。自分は何も悪くないんだけど、社会人になってからこんなに休んだのは初めてだし、最後はあんな感じで去ってしまったし……行きづらいなあ。


 とはいえ行くしかない。私は何度か深呼吸をして決意すると、なるべく笑顔を見せながら足を踏み入れた。


「おはようございまーす!」


 明るい声で挨拶をする。すると一気に自分に視線が集まった。一瞬どきりとしてしまうが、すぐに周りの人たちが口々に声を掛けてきてくれる。


「おはよう! もう大丈夫なの?」


「大変だったね。無理しないでね」


 優しい言葉ばかりだったのできょとんとする。だが、すぐに坂田さんの言葉を思い出した。あの後、私以外ににも被害者がいたことが判明した、って言ってた。それで周りも一気に私を信じたんだろう。


「はい、ありがとうございます」


 私は丁寧に頭を下げると自分の席に行く。するとすでに吉瀬さんが出勤していて、隣から私を見上げ口角を持ち上げた。


「おはよ」


「おはようございます! あの、色々ありがとうございました……お礼を言うのが遅くなってすみません」


「お礼言われるようなことはしてない」


「そんな! いつかまた甘い物でも奢らせてください」


「はは、それは嬉しいかな」


 なんだかんだ、彼は本当にいい人だと今回改めて分かった。最初はぶっきらぼうでとっつきにくいと思ったけれど、優しいしちゃんとしてる。


 そして……坂田さんはそれを分かった上で吉瀬さんが好きなんだ! もう暴走しないぞ。ちゃんと坂田さんの口から気持ちを聞いたんだから、勘違いなどではない。これからはやりすぎず二人をそっと応援するようにしよう。今までごめんなさい。


 席について一息つく。さて、溜まっている仕事からこなしていかねば。とはいえ、元々下っ端だったからそこまで重要なものもないんだけどね。


 パソコンを立ち上げた時、後ろから声が聞こえた。


「おはよ」


 どきりと心臓が大きく鳴る。振り返ると、一週間ぶりに見る蒼井さんの姿があり、やたらキラキラ輝いて見えたので自分が重症だと思い知らされた。


 彼は優しく微笑みながら、私を気遣うように尋ねてくる。


「大丈夫?」


「は、はい……その節は大変お世話になりました」


「何もしてないよ。無理はしないでね。あとで新しい上司にあいさつしておくといい。優しい女性だから安心してね」


 それだけ言うと、蒼井さんは私に小さく手を振って自席に戻っていった。たったこれだけの会話を交わしただけなのに、心臓が痛くて敵わない。血圧が二百ぐらいになって血管破裂しちゃうんじゃないかな。


 ふう、とため息をついて肩の力を抜く。


 直接話してみよう、とは思ったものの、仕事中に話すわけにはいかない。帰りに食事とか誘ってもいいだろうか。社内で出来る話でもないので、そうするしかない。


 食事を誘う場面を想像するだけでまた緊張してしまう。自分、免疫がなさすぎる。


 呆れながら溜まったメールのチェックから始めようとすると、またしても私を呼ぶ声がしたので振り返る。


「……井ノ口さん!」


 気まずそうに立ってたのは、井ノ口さんだった。


 相変わらずのボブヘアだが、今までとは少し違う。いつも私に敵意むき出しの表情と、自信たっぷりの態度が彼女の特徴だったと思うのだが、それが一切無くなり控えめになっている。ヘイボブ、君らしくないじゃないか。


 彼女は視線を落としながら私に言う。


「もう体調は大丈夫なの?」


「お、おかげさまで……」


「そう……あの、冷静になって考えれば、さすがに私の言動は失礼すぎたと思います。謝って済む問題ではないですが、すみませんでした」


 彼女は深々と頭を下げてくれたので、びっくりして立ち上がる。


「そんな! いやまあ、確かにめちゃくちゃ失礼でしたけど」


「……」


「でも、そんなに気にしてませんから。大丈夫です。頭をあげてください」


 私の言葉に、彼女はゆっくり姿勢を元に戻す。気まずそうに視線をそらしているので、こういう顔も出来るんだなあと感心した。


 多分仲良しこよしなんてなれないけど、同じ職場にいるなら表面上だけでも上手く行きたいと思うのは当然だろう。ここで大騒ぎしても自分にメリットはない。私は笑顔で答える。


「ほんと気にしてないので! また今日からよろしくお願いしますね」


 そう言うと、井ノ口さんは小さく頷きそのまま去って行ってしまった。なんだか背中が小さく見えるなあ、ボブらしくない。あれはあれで張り合いがなくてつまらないような……でも、謝ってくれたしこれからは平穏に行けそう。


 私はほっと息をついた。






 少しして、浅田さんの代わりに異動してきた北山さんという女性の上司が中に入ってきた。優しそうなたれ目が印象的な四十代半ばぐらいの人で、第一印象で好感を持った。


 私は立ち上がり挨拶をしようとすると、彼女の後ろにもう一人、見慣れない女性が入ってきたのに気が付いて足を止めた。


 若い人だ。ミディアムボブのさらりとした髪に白い肌。目鼻立ちはぱっちりして、とても可愛らしい顔立ちをしている。

 

 マスカラで綺麗に伸ばされたまつ毛に、髪や爪の先もしっかり手入れが施されている。女同士で感じ取れる『女子力』という項目が、非常に高ポイントであることが分かる。

 

 ……お、なんか、親近感?


 間違いなく可愛い人なのだが、坂田さんとは違うタイプ。どちらかというと私よりの人かなあ、なんて思ってしまうのだが。


 というかそもそも、誰だろう?


「えーみなさん。話していた中途採用の方が今日から見えました。よろしくお願いします」


 北山さんがそう言った。なるほど、中途採用の人だったのか。私は最近ずっと休んでいたので知らなかったのだ。そういえば、私が入った時蒼井さんは『結婚退職とか続いちゃって人手不足』と言っていた。私の異動以外にも、人手を集めていたのだろう。


 彼女はぺこりと頭を下げ、鈴の音のような高い声で挨拶をした。


「鈴村直美です! どうぞよろしくお願いします!」


 その姿を見て、俄然やる気がわいてくる。私も最初入った時、不安だったけど坂田さんが声を掛けてくれて凄く嬉しかった。今度は私がそっち側に回りたい。入った時期もほぼ一緒だし、仲良くなれそうな気がする。


 周りが穏やかに拍手をする。私も拍手をしていると、その中に戸惑った声が聞こえた。


「直美?」


 みんなが声の方を振り返ると、蒼井さんが驚いた顔で鈴村さんを見ていた。そして、鈴村さんも目を真ん丸にして蒼井さんを見たのだ。


「えっ……うそ、とーまくん?」


 私は二人を交互に見る。もしかして、知り合いだろうか?


 途端、鈴村さんはわっと声をあげて蒼井さんに駆け寄り、可愛らしく飛び跳ねてその腕にしがみついた。


「えー!? うそ、信じられない、本当にとーまくん!?」


「びっくり。何年振り?」


「すごい偶然!」


 二人は親し気に笑って話している。のを、私はぽかんとして見ている。


 北山さんが首を傾げて尋ねた。


「二人は知り合いだったの?」


 鈴村さんはニコッと笑い答えた。


「はい! 実家が近所で、私の兄の友達なんです! それで、私も小さな頃から後ろを付いて回ってて……兄より面倒を見てくれたんです。でも途中で引っ越してしまって……まさか、こんなところで再会するなんて」


 なんと! 幼馴染というやつか!


 蒼井さんの実家がどこか知らないが、二人は家が近くて昔から付き合いがあったらしい。でも引っ越しで会わなくなったが、まさかの社会人になって再会するとは。確率的にはどれぐらいなのだろう。


 鈴村さんは嬉しそうに目を細めている。


「でも、変わらないなあ。昔からかっこいいままだよ」


 そう言う彼女は未だに、蒼井さんの腕に両手を絡ませたままだ。体を強く密着させ、まるで恋人同士のように見える。


 その光景を見るのがやけに辛くて、私はつい視線をそらした。


 北山さんは目を細めて言う。


「そう。知り合いがいるなら心強いわね。蒼井さん、色々面倒見てあげてね。じゃあ、指導係を紹介するから……」


「え……なあんだ、とーまくんじゃないのかあ」


 鈴村さんは残念そうにそう呟いたが、私はどこかでほっとした。そして、そんな自分に驚いて失望した。彼らの接点が増えることを、私は心のどこかで嫌がっているのだ。


 幼馴染、というだけなのに……。


 蒼井さんは鈴村さんに優しい声を掛ける。


「じゃあ、指導係の方へ行っておいで。頑張って」


「うん、また後でゆっくり話そうね!」


 二人はそう言って別れる。ふと、周りの視線が私に集まってきたのに気が付いた。恐る恐る様子を窺うような、そんな目がいくつもこちらを見ている。


 もしや、公開告白みたいなものがあったから、みんな私の動向を気にしているんだろうか? でも、今ここで何かアクションを取ることはない。仕事中だし、向こうは昔の知り合いと再会しただけなのだから。


 私はみんなの目から逃れるように俯き、用もないのにデスクの上の書類を手に取って眺めた。

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