第21話 たこ焼きはうまい




 蒼井さんはタクシーを呼ぶと言ってくれたが、私の家は徒歩ですぐなのでその申し出を断った。そのまま私たちは会社から出て、自宅へ向かってゆっくり歩き出す。


 まだ明るい時刻だったので、人通りも多く普段と変わりない道だった。私は先ほど起こったよく分からない出来事に未だ呆然としながら、とにかくひたすら家に向かって歩いていた。


「気にすることないよ、井ノ口さんの言うこと」


 蒼井さんが優しくそう言ったので、ハッとしてすぐにお礼を言った。もう混乱の絶頂にいたので、私を庇ってくれた人たちにありがとうも言えなかったのだ。


「先ほどはありがとうございました。吉瀬さんと坂田さんがああいってくれて嬉しかったです」


「そんな大したことはしてないよ。井ノ口さんの発言は許されないものだよ。あれは彼女個人の意見で、他の人みんながそう思ってるわけじゃない」


「そ、そうなんでしょうか」


「そうだよ。見てる人はちゃんと見てるから」


 私の顔を覗き込んでそう言ってくれる蒼井さんを見て、ぶわっと顔が熱くなる。


 駄目だ駄目だ。悲しいことがあったはずなのに、今私の頭の中は別の事でいっぱいになってしまっている。蒼井さんが発言した言葉ばかり繰り返されて、ボブの発言なんて隅っこの方に追いやられてしまった。


 なんて単純なんだろう。


「とりあえず今回の事があったから、安西さんの気持ちと体調が落ち着くまで休んでいいって言付かってるから、無理しないでね」


「はい……」


「浅田さんの処分はこれから決まるけど、少なくとも戻ってくるようなことはない。まあ、クビだろうね。こんなことしておいてクビにならない方がおかしいから。心配なのは逆恨みとかだよね。一人暮らしだし、大丈夫?」


「まあ、叔父が経営してるマンションで、そのうち一室に叔父が住んでいます。なので困ったときは駆け込めるかと」


「そうか! それはよかった。でも、困ったことがあったら僕にも相談してね。これからは黙っているのはなし。頼りにしてくれるとありがたい」


「あり、あ、ありぎゃ、ありがとうございます」


「とにかくしばらくゆっくりすればいいよ。体もだし、精神的にもショックが大きかったろうと思うから」


 そのままなんとなく沈黙が流れ始める。私はというと、一人暴れる心臓と戦っている。


 これは、なんだ。帰りマンションの前で、さっきの発言の意図について説明があるかな。彼が私を好き、みたいなことを言っていた件について。


 待ってほしい、いつから? やっぱり坂田さんは違ったの? でも吉瀬さんが蒼井さんには気になる人がいるって言ってたのは、初日の歓迎会の日だ。……え、そんな前から? なぜ?


 ていうか本当に私の事を好きでいてくれたとしたら、今までの自分の言動は、彼に対してとても失礼だったんじゃないだろうか。坂田さんとくっつけようとしてたの、ばれてるかな? ばれてないといいんだけど……。


 ちょっと待って。全部置いておいて、告白を受けた(っぽい)ということは、私も返事をしてお付き合いがスタートするということでは? え、待って、私がこんな絵にかいたようなスーパーイケメンと?


 頭の中はぐるぐると混乱が収まらない。そんな中、気が付けば自分のマンションまでたどり着いており、むしろ少し通り過ぎてしまったところで慌てて踵を返した。


「あ! 過ぎてた、私の家ここです!」


「あ、ここか」


 エントランス前に立ち、まずは深く頭を下げてお礼を言う。


「色々と本当にありがとうございます。とりあえず、明日はお言葉に甘えて休もうかと思います。家まで送って頂き、本当にすみません」


「気にしないで。僕がしたかったんだから。家を出るときは気を付けた方がいいかもしれない」


「は、はい。気を付けます」


 蒼井さんはにこりと笑った。


「じゃあ、もう入りな」


「……え」


 中に入るよう促され、思っていた状況と違った私は間抜けな声を出した。マンション前で、付き合ってくださいとかそういう申し出があると思っていたのだ。そして私はもちろん、喜んで! と答える気満々だったのだが。


 ……あれ?


 もしかしてやっぱり幻聴だった? でもそんなはずは……いや待て! この前、テニスサークルの人たちの前でも『口説いている最中だから』とか言ってくれていた。もしかして、私があまりに可哀想で、立場を少しでも良くさせるために嘘をついてくれた、とか?


 ありえる!!


 蒼井さんは周りから一目置かれている人だし、その彼が私を好きだと公開告白すれば、みんなは私にいちゃもんを付けにくくなるだろう。蒼井さんを敵に回すようなものだからな。


 え、そういうこと?


「どうしたの?」


「あ! いえ、ありがとうございました。お疲れ様です」


 私はどこかふらふらした足取りでオートロックを解除し、中へと入った。何度か蒼井さんを振り返ってみたが、彼は優しい目でこちらを見ているだけで、特に何も言わなかった。


 




 その後は顔も知らない偉い人から電話が来て状況を聞かれたりと、落ち着かない時間を過ごしていた。その人曰く、やはり浅田さんは解雇されるようだった。


 怪我の事もあるし、しばらく仕事は休んでいいと言われた。私はそこまで重傷でもないし、家にじっとしているのも好きではないので働くと言ったのだが、休みなさいと言われた。多分、そうしないと上としても立場が悪くなるんだろうなあ。


 了承して自宅待機することになる。かといって遊びに出かけるのも駄目だと思うので、暇で死にそうになっていたところ、坂田さんから連絡が来た。


 仕事終わりに材料を買って行くから、たこ焼きやりませんか? と……。


 大喜びで彼女の提案を受け入れ、私は家の掃除をしながら坂田さんの訪問を待っていた。




 あまり広くはない部屋に、ソースの香りが充満していた。


 一度目のたこ焼きを焼き終え全て皿に上げた後、また生地を流し入れて具材を放り込む。タコ以外にも、チーズやキムチなども投入し、なんでも焼きと変化している。


 一通り終えたところで、先ほど焼いたばかりのものを早速口に入れる。焼きたてなので中が熱く、口の中を火傷しそうになりながら、ハフハフと笑って言う。


「美味しい! やっぱたこ焼きは誰かとやるもんですよねえ! 坂田さんが色々買ってきてくれて助かりましたー」


「いえ……療養中にいいのかな、と思ったんですが」


「たんこぶで療養中って言われてもねえ。まあ、精神的ケアって意味もあるんでしょうけど、だったらなおさら一人は辛いですよ。話し相手が欲しかったので嬉しかったです!」


 私がそう言うと、彼女は嬉しそうに目を細めた。


 心配して様子を見に来てくれているのだ、ともちろん分かっていた。ちゃんと食べてるかなとか、眠れているのかなとか、きっと色々想像してくれたに違いない。


 だが、私が思ったよりずっとぴんぴんしているから、坂田さんは少し驚いたようだ。


「よかったです。色々大変でしたから……浅田さんの件ももちろんですけど、そのあとも」


 言葉を濁しながら言う。私は食べながら頷いた。


「確かに、ショックは受けました。でも坂田さんも蒼井さんも吉瀬さんも、私を庇ってくれたから、そこまで落ち込んでないです。私の事を嫌いな人の言葉を気にするより、味方でいてくれる人たちの言葉を信じる方がずっといいじゃないですか」


「……凄いです。ずっと思ってましたけど、安西さんは凄いです! 見習いたいな、って思います。いや、もちろん安西さん自身傷ついてないわけがないとは思うけど、そう言えるのは安西さんのいい所だと思います」


「いえいえ! あの状況で、坂田さんが声をあげてくれたの嬉しかったですよ。本当にありがとう」


 私がお礼を言うと、彼女は恥ずかしそうにうつむいた。どちらかと言えば内気な坂田さんが、ああやって言ってくれるのはかなり勇気がいることだったと、安易に想像が付くもんなあ。


「あれから、浅田さんはもちろん出社もしなくて、そのまま解雇みたいです。他の人が浅田さんの代わりに異動してくるみたいですけど、細かいことは決まってないです」


「そうなんですか……」


「あと井ノ口さんですけどね。ああ見えて、ちょっと反省してましたよ」


「え? ボブが?」


「え? ボブ?」


「あ、井ノ口さんが?」


「はい。実はあの後、うちの課みんなに聞き取り調査があったんですけどね。安西さん以外にも二人、浅田さんから執拗に食事を誘われたりボディタッチされてる人がいたらしいんです。でも、浅田さんは人望ある人だし、中々周りに言えなかった、とのことで……」


「……わー」


「吉瀬さんの目撃情報や、そういう女子たちの証言もあって、浅田さんも言い逃れ出来なくなって、認めたみたいです。井ノ口さんは、さすがに自分は言い過ぎだったし軽率だった、って反省してるみたいですよ」


「へえー」


 私はあまり関心がないように適当な返事をした。まあ、本人が謝ってくれば多少は信じるけど、第三者から聞いてもなあ。次職場に行った時、どうなるか楽しみだな。

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