第20話 本命
にこにこ笑顔で優しい事しか言わなかった蒼井さんとはまるで別人。本当に怒ってくれているんだ、と理解したのだ。
そしてそれに参戦するように、反対側にいた吉瀬さんが立ちあがって言う。
「俺が第一発見した人間。まず、浅田さんは安西さんに完全に覆い被さって力任せに服も引っ張っていて、あれじゃ言い逃れしようがない暴力の現場だった。それに、浅田さんが資料室に行くよう仕事を頼んでるのを、他の人が見てる。彼は安西さんを人気がない場所に呼び出して、自分もそこに行ってるんだよ。この状況で安西さんの自作自演が通ると思う?」
井ノ口さんはようやく口を閉じ、地面に視線を落とした。だがすぐに震える声を出す。
「だって……蒼井さんと吉瀬さんだって思わないんですか? 浅田さんがそんな事するなんて信じられない、って。安西さんは綺麗な子で男性にウケがいいだろうし、ちょっかい出せば浅田さんもすぐ本気になったのかなって」
そこまで聞いて、自分の中で何かが弾けた。滲んでいた目の前の景色が突然鮮明に映し出される。
私がちょっかい出したとか、男性にウケがいいだとか、計算で色々やったとか。
いい加減、もう黙っていられない。
すっと一歩前に出て正面から井ノ口さんを見つめた。彼女は目を据わらせた状態で私を見つめ返す。自分は間違ってない、と自信を持っているようだ。
「友達にも言われるぐらいですよ。顔がやらしい女だって」
「……は?」
「すぐにイケる女、って思われがちなんですって。私は単に、給料もらってるなら仕事も頑張りたい、お洒落は好きだから自分を飾りたい、毎日明るく頑張りたい。ただそう思ってるだけなんですよ。でも、周りはみんな最初井ノ口さんみたいな印象なんです。分かります? 決して計算してるわけでもモテたいと思ってるわけでもないのに、いっつも勘違いされるんですよ!!」
声を荒げた途端、井ノ口さんの目が点になる。私が言葉を荒くして反撃に出たのは予想外だったのかもしれない。
彼女が言うように『周りからちやほやされたくて自演した女』なら、さめざめと泣くシーンだろう。
「男を誘うほどこちとら経験ないんですよ! 私の交際経歴知ってるんですか? 仰天するぐらい悲しい経歴ですよ。私はねえ、いっつも当て馬女なんですよ! 気に入った男性に交際相手がいるか聞いただけなのに、目の前で公開告白が始まって間接的にフラれる経験したことあります? 好きになる真面目そうな男性はいっつも私の隣にいる大人しめな友達に連絡先聞いて、私の前にはその日ホテルに行こうと誘ってくる男しか来ない虚しさ分かります!? 本命にしてもらえないんですよ? 私だってねえ、変な男に襲われるんじゃなくて、平和にヒロインに!! なりたいんですよ!!」
喉に痛みを覚えるほどの大声を叫んでやると、井ノ口さんは口をぽかんと開けてこちらを見ていた。周りの人たちも全く同じ表情で私を見ているのが伝わってくる。
これが本音だ。私の中身なんかこれぐらいなんです、計算する能力もないし誘う能力もないんですよ。
私は乱れた息を少し整え、咳払いをして喉の調子を整える。そして今度は冷静を務めて続ける。
「私はここに来たばかりですから、ずっと一緒にいた浅田さんの方を信じたくなる気持ちは分かります。でも、私もさすがにこんな風に侮辱されて黙っていられません。言葉は凶器になります。井ノ口さんも色々言いたいことはあるでしょうが、ここは黙っててもらえますか」
私が彼女をしっかり見ながら言うと、ようやくバツが悪そうに視線を逸らす。そこに、吉瀬さんの声がする。
「俺は現場を見てるし、浅田さんがそんなことをするのかって驚きは分かるけど、疑いようのない事実だ。まあ、現場を見てなくても、安西さんが自演した、なんて思わないけど」
腕を組みながら呆れたように言う。そこへ、離れたところから控えめな声もした。
「私も浅田さんがそんなことをするなんて、って気持ちはあります。でもだからと言って安西さんを疑うなんてありえないです。安西さんは凄く優しくて、話してみると面白くって、仕事も真面目です……」
坂田さんが勇気を振り絞って声をあげてくれたのだ、とすぐに分かった。人に埋もれてよく見えなかったが声の方を探すと、やはり隅っこの方で緊張した顔をして、でも何かを覚悟したような顔で立つ坂田さんを見つけ、私はまた心が温かくなった。
そして、蒼井さんが言う。
「もちろん、今回の件は上も浅田さんと安西さん双方から話を聞いて、慎重に進めると思う。僕らはそれを待つしか出来ないし、安西さんを責めたりするのは見当違いだ。自分の言葉で安西さんをさらに傷つけるという考えには至らなかった? あまりに軽率だね。それに、井ノ口さんが安西さんになぜそんなイメージを持っているか知らないけど、彼女はいつでも努力家で人に優しい、そういう印象しかない」
「……現場を見た吉瀬さんはともかく、蒼井さんも随分肩を持つんですね……」
井ノ口さんは悔しそうに顔を歪めて呟く。それを聞いて、蒼井さんがあっけらかんとして言う。
「まあ、安西さんは僕の『本命』だからね。あ、でももちろんだからと言って贔屓はしてないよ。好きな子のことは普段からよく見てるから知ってる、ってだけ」
さらりとそう言った言葉が響いた途端、聞いていた全員がぴたりと止まった。それには私も含まれている。
井ノ口さんがさっきとはまた違う驚き顔で蒼井さんを見ていた。今まで私に集まっていた視線が、ゆっくりと蒼井さんに集中しはじめる。
私は意味が分からず、ただ固まって動けずにいた。
本命……本命? 好きな子??
ようやく隣を見上げてみると、蒼井さんが涼しい顔をして立っている。そして私と目が合うと、にこりと笑って見せたのだ。
……え?
なになに、どうした? なんか言った? 幻聴が聞こえてきた気がしたんだけど、私はついいに限界かな。
誰も動けなくなっている中で蒼井さんはさっと私のデスクにあるカバンを手にし、何事もなかったように話しかけてくる。
「荷物はこれだけでよかった?」
「へ? あ、はい……」
「明日は休んでいいって言われてるから。とりあえず今日は帰ってゆっくりした方がいいよ。送る」
「はあ……」
言われるがままふらふらと蒼井さんについていく。出口付近では坂田さんが両手を口に当て、どこか目をキラキラと輝かせてこちらを眺めていた。
「じゃあ、お疲れ様でーす」
蒼井さんは誰に言うでもなくそう声を上げると、そのまま私と共に出て行ってしまった。
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