第18話 心配かけてしまった

 絶望して頭の中が真っ白になった時、資料室のドアが勢いよく開く音がした。


「安西さん!」


 吉瀬さんだった。


 まだ約束の時間まで少しあるはずなのだが、吉瀬さんが凄い顔をして中に飛び込んでくる。私と浅田さんが唖然としていると、吉瀬さんは目を吊り上げて浅田さんを引きはがした。浅田さんは派手な音を立てて近くの棚に体をぶつけ、その拍子にいくつか資料が彼の上に落ちる。


「大丈夫!?」


 吉瀬さんが焦った顔で私の体を起こしてくれる。私はがくがくと全身が震えており、中々体に力が入らない。


 助かった……。安堵の気持ちでぶわっと涙が浮かぶ。


 私の様子を見て、吉瀬さんはどこか優しい声を掛けてくれる。


「医務室に行こう。この男の事は俺に任せて」


「あり、がとうございます……」


「立てる?」


 何とか立てた私は、吉瀬さんに肩を支えられながらふらふらした足取りで出口に向かう。すると後ろから浅田さんが叫んだ。


「そっちがさんざん誘ってきたくせに! この尻軽!」


 吉瀬さんと咄嗟に振り返ると、浅田さんが目を赤く充血させてこちらを睨んでいる。その言葉に答えたのは吉瀬さんだった。


「お前には後でしっかり話を聞くから黙ってろ」

 

 凄みのある声だったので、浅田さんも黙る。そのまま吉瀬さんと廊下に出ると、資料室からの大声に気が付いたのか、坂田さんが近くで立って心配そうに立っていた。


「あの? なんかすごい声がして……」


 そこまで言って坂田さんが私の様子を見て息を呑む。吉瀬さんがほっとしたように言う。


「丁度良かった。坂田さん、安西さんを医務室に連れて行ってあげて。女性の方がいい」


「え?……それって」


「俺はちょっとあの男と話してくる。安西さん、坂田さんと行っておいで」


 お礼を言いたいのに、私の喉からは声が出なかった。とりあえず頷いて、坂田さんのそばに歩み寄るので必死だ。吉瀬さんはそのまま資料室へ戻っていく。何から言い争う声が聞こえたが、内容までは耳に入ってこなかった。


 坂田さんが私の肩を抱いて声を掛けてくれる。


「行きましょう。大丈夫です、あとは吉瀬さんが何とかしてくれます」


 そのままゆっくりとした歩調で、私たちは医務室へ向かった。





 とりあえず医務室へ入った。


 押し倒されて頭を打ったことを伝えると、一応検査した方がいいと言われ、病院で診てもらうことになった。坂田さんは仕事も調整できるので付き添うと言ってくれ、その心遣いがとっても嬉しく思う。


 私が起こった出来事を話していると、彼女は驚き、そして私の分まで凄く怒ってくれた。普段穏やかな性格なのだが、声を震わせて浅田さんを非難したので、それが何だか凄く心に染みて、なんだか泣き出してしまいそうになる。


 取り合えず脳に異常がないかを検査し終わった私は、結果が出るまでベッドで休んでいた。




「浅田さんがそんなクズ人間だったなんて……ほんっとうに信じられません」


 私の隣でパイプ椅子に座った坂田さんは、眉を顰めて呟いた。私は苦笑いをする。


「ちょっと距離が近いから気を付けよう……とは思ってましたが、あんな行動に出るのは予想外でした……私ももっと気を付けていればよかったかも」


「気を付けるも何もなくないですか!? 上司に頼まれて資料室に行って、そこで襲われたんじゃこっちは防ぎようがないですよ!」


「そ、そう言ってもらえると気が楽になります……」


 拳を握って怒る坂田さんは、悔しそうに目を閉じる。


「私はいい人だな、ぐらいの印象しかなくて……全然気づけなかったのでそれもまた悔しいです……」


「黙ってた私も悪いですから……」


「確かに、ちゃんと言ってほしかったです!! まあ、言われても私じゃ上手くフォローできなかったかもしれないけど、でも何か力になれたかもしれないので」


 力説してくれる坂田さんに、ぐっと涙腺が緩んだ。であったころから、この子はずっといい子だ。私なんかと仲良くしてくれて、本当にありがたい。


「ありがとう……」


「い、いえ、声を荒げてすみませんでした。でもほんと、私は下っ端だし力もないですが、例えば蒼井さんとかーー」


 そう言いかけた時、バタバタというこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。検査結果を伝えに来た医者でも来るのだろうか、と首を傾げると、すぐに扉が開いた。そこに現れた顔を見てぎょっとする。


「蒼井さん!」


 息を乱して額に汗を浮かべた蒼井さんが立っていたのだ。彼は私の姿を見て、一目散に駆け寄ってくる。


「あ、蒼井さんどうして……」


「坂田さんから連絡受けて」


「へ、へ?」


「怪我は大丈夫なの?」


「あ、ああ……今検査の結果待ちですけど、多分何もないだろうって先生は言ってました。たんこぶぐらい出来るかもしれないけどって」


「……よかった……」


 へなへなと蒼井さんがベッドサイドでしゃがみこむ。だがすぐに顔を上げ、私を見る。


「いや、よくないな。とんでもないことになったね。こんなことになって、凄く怖かったし驚いたでしょう。僕、本当にびっくりして……」


「ご、ご心配おかけしました。でも吉瀬さんが来てくれたおかげで何もなかったですし」


 私が言うと、彼は分かりやすく眉を顰める。


「……前から何かあったの?」


「……あー……やたら食事に誘われたり、ちょっとボディタッチが多いなあ、と……」


「……なんで言わなかったの」


「大事にしたくなくて。異動してきたばかりですし」


「でも、悩んでたなら言ってほしかった」


 まっすぐ見つめられそう言われたので、ぎゅっと胸が苦しくなった。


 坂田さんも言われたけれど、やっぱり早めに相談しておけばよかったんだ。結局大事になってしまったし、黙っていた私も悪かったのかもしれない。


 俯いて反省する。



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