第16話 親友の助言

 翌朝会社に出社すると、すぐに坂田さんが私の元へ駆け寄ってきた。そしてすぐに、昨日キャンセルしてしまったことを謝り出した。


「昨日はごめんなさい! 急に行けなくなってしまって」


「ううん、全然大丈夫です! 熱はもう大丈夫ですか?」


「はい! それで、あの、どうでしたか?」


 どこかわくわくした顔で私を見ながら声を潜めて訊いてきたので、ああと思い出し、カバンからプレゼントを取り出した。


「吉瀬さんにはいい物を買えました!」


「え? あ、そ、そうでしたね……よかったです。あとはほら」


「それとこれ! 坂田さんにも凄くお世話になってるので、ほんのお礼です」


 私はハンドクリームを差し出すと、彼女は驚きで言葉を呑んだ。私が持つプレゼントを恐る恐る手に取り、感激したように見つめる。


「え、私もですか……!? そんな、私なんて何もしてないのに」


「ここにきて仲良くしてくれてるの、本当に嬉しいんです。大したものじゃないですけど」


「ありがとうございます! 私こそ、仲良くしてもらえて本当に嬉しいですっ」

 

 坂田さんは中身を取り出し、蓋を開けて香りを嗅いだ。顔を緩ませて笑う。


「すっごくいい香り!」


「よかったー。あ、そうだ。坂田さん今度またお休みの日に、私と二人でお出かけしませんか? ご飯行きましょうよ。それか私の家でたこ焼きでも」


 こそっと誘っておく。会社では、周りに誰がいるか分からないので彼女の恋心を聞くのは難しいと思うので、やはり休日に話すのが一番だと思ったのだ。


 坂田さんは喜んで頷いた。


「ぜひ! たこ焼きしたいです!」


「やった、今度お休み合わせましょうね!」


 私たちは揃ってはしゃいだ後、ようやく席へと戻った。すると、隣にはもう吉瀬さんが来ており、何やら難しい顔で資料を読んでいる。私は控えめな声で挨拶をした。


「おはようございます」


「おはようございます。今日の午後は俺の外回りに同行してもらおうと思ってますので、よろしく」


 おおう。朝から通常のテンションだあ。仕事が始まったって感じがするなあ……。


 私は頭を下げる。


「どうぞよろしくお願いします。そうだ、これよかったら」


 買ってきた例のお菓子を取り出し、吉瀬さんに差し出した。彼は不思議そうに受け取り、私に尋ねる。


「え、くれるの?」


「いつもお世話になっているので、ほんのお礼です。あ、坂田さんや蒼井さんにも贈らせてもらいました! 全然大したものじゃないんですけど、よかったら」


 私がそう言うと、彼は中身を覗き込む。すると、分かりやすく目をキラキラと輝かせたので、その変わりっぷりに私は驚く。


 甘いお菓子を見て、少年のように笑った。


「めっちゃうまそう! ありがとう!」


「い、いえ、喜んでいただけたならなによりです……」


 蒼井さんに聞いてよかった、と強く思った。彼が意外にも甘党であることは本当らしい。一見、甘い物なんて苦手ですみたいなクールな顔をしているのに、なんて可愛らしい。


 微笑ましく見ていると、視線を感じてふと振り返る。すると、明らかに敵意のある目でこちらを睨んでくるボブたちが視界に入った。


 ヘイ、ボブ。敵意が隠しきれてないぜ!


……しまったな、誰にも見られないところで渡した方が賢明だったかもしれない。彼女たちが何を言いたいのか、聞かなくても脳内に流れてくる気がする。『また贈り物とかあざといことして、いい子ぶってるよあいつ』……いいじゃないか。相手も喜んでくれて、私も嬉しい。お互いメリットしかないと思うのだが。


 ボブの視線には気付かないふりをして正面を見た。気にせずに仕事、仕事。


 気合を入れ直していると、背後から聞き覚えのある声がして、それを聞いた途端心臓が鳴った。


「おはようございまーす」


 振り返ろうかと思ったけれど、なぜか出来なかった。恥ずかしくて、それになんだか気まずくて、私は蒼井さんが見れない。


 昨日はあのまま食事をし、何もなく帰宅した。……何もなくってなんだ、私は! ないに決まってるだろうが!!


 一人でそんなことを考えていると、至近距離から蒼井さんの声が響いてきたので、体が跳ねるほど驚いた。


「おはよ! それ、美味そうでしょ? 俺も美味しいお菓子貰ったんだよね」


 蒼井さんが吉瀬さんに話しかけたのだ。私はついに顔を上げると、蒼井さんと目が合う。小さく頭を下げると、吉瀬さんが言う。


「凄くうまそう。気を遣ってもらって申し訳ない」


「い、いえいえ、とんでもないです! 仕事を丁寧に教えて頂いて感謝しています、今後もよろしくお願いします」


 それだけ言うと、私は仕事に集中するためにパソコンに齧りついた。隣では、吉瀬さんと蒼井さんがまだ何かを話している。


 不思議なことに、吉瀬さんの声より蒼井さんの声ばかり私の耳は拾う。彼が笑う声、真剣に相談している声、全部が全部気になってしまう。


 これは、重症かもしれない……。


 頭を抱えたい衝動に駆られた時、デスクに置いてあったスマホが光った。覗き込んでみると、彩から連絡が来ていたのだ。


『久しぶりー元気してる? ランチ行かない? 営業だと外で食べることが多いかなあー』

 

 彩様! なんというタイミング!


 私は心で拝み倒しながら、彼女とランチの約束を取り付けた。






「はあ? あんた、何やってんの」


 久しぶりに会った彩に早口で現状報告をすると、彼女の第一声は呆れの言葉だった。


 職場で吉瀬さんというイケメンが指導係になったこと、友達になってくれた坂田さんのこと、そして色々助けてくれる蒼井さんのこと。ついでにボブのことも。


 異動してからあった出来事全てを彼女に話していた。そして、蒼井さんに特別な感情を抱いてしまったというトップシークレットも、彩には隠さずに告げた。


 私は大きなため息をついて、ハンバーガーを齧る。


「ほんと、何やってるんだろうね。無謀な想いっていうかさ、また自分から当て馬になりに」


「違う違う、そっちじゃないんだわ。その爽やかイケメンとヒロイン女子をくっつけよう、って頑張ってるとこだよ」


「え? だって、私は蒼井さんの気持ちが分かるし、応援したくなったんだもん」


 そこを怒られるとは思ってもおらず、私はきょとんとした。彩はポテトを食べながら眉を顰めている。


「だって本人から頼まれたわけでもないでしょ?」


「そりゃそうだけど……」


「そもそも、本当にさわやかさんの好きな人はヒロインちゃんなの?」


「静岡県のハンバーグ屋みたいな呼び方だな。だって、好きな子がいるのは間違いないみたいだし、坂田さんめっちゃいい子で可愛くて正統派ヒロインだし、坂田さんのことよく知ってたよ! アレルギーも家の方向も」


「そりゃそうだけどさ。話に聞く限り、相当気が遣える人っぽいからたまたまた知ってただけっていうことも……いいやそれは置いておいて。ヒロインちゃんはどっちが好きなのかまだ聞いてないんでしょ?」


「うん、今度たこ焼きするときに聞こうと思ってる。多分、どっちかを好きだとは思うけど」


「じゃああんたの指導係のヒーローさんは? 彼がヒロインちゃんを好きだったら?」


「…………!?」


「考えたことなかったんかい」


 私は持っていたハンバーガーを置いて青ざめた。彩から言われた言葉が衝撃的すぎて、頭が真っ白になる。


 吉瀬さんが坂田さんを好きな可能性……!? そんなの、あるに決まってる!


 以前、仕事の話をするときに、坂田さんに優しい顔を見せていたし。それに、正統派ヒロインとヒーローの二人だ、惹かれあうのはもう必然的とも言えるじゃないか。


 でも今まで、すっぽり吉瀬さんのことは頭から抜け落ちていた。とにかく蒼井さんの思いを成就させたい、それだけで一杯だったのだ。


「もしかしたら、そこにすでに両想いのカップルがいるかもよ。そしたらあんたがしてきたことは」


「……想い合ってる二人を切り裂こうとする悪役女……!?」


「だった可能性もあるねえ。朱里ってほんと、思い込み激しいとこあるよね。あと案外ポンコツ」


 呆れて言う彩の言葉も気にならないぐらい、私はショックを受けていた。吉瀬さんはあまり口数も多くないし表情に出にくいから分からないけど、坂田さんと両想いの可能性はある。


 とすれば、『蒼井さんが選ばれてほしい』と思ってきたけれど、『すでに選ばれていなかった』という立場であるかもしれないのか。


 彩はコーラを飲みながら言う。


「普通、その辺のリサーチをしてから色々動かないもんかね? 同じ当て馬キャラってとこで感激してヒートアップしたんだろうけどさあ」


「……余計な事してたのかな」


「余計だったろうねえ。話に聞く限り、さわやかさんはヒロインちゃんを好きじゃないと思うんだよ」


「え!? なんで!? 彩になんでそんなことが分かるの!?」


「だってヒロインちゃんが熱出した時さ。普通なら、好きな女の子と遊びに行けるチャンスだから、別日に行こうって言うでしょ。でもさわやかさんは、別にヒロインちゃんがいないならそれでいい、朱里と二人でいいじゃんって出かけたわけでしょ? それ、好きじゃないよ」


「……言われてみればそうかも」


 彩の言葉には説得力があったので、呆然とする。私がずっと信じて疑わなかった説が覆ってしまう。


 蒼井さんが坂田さんを好きだと言うのは、勘違い?? だとしたら、私はなんて邪魔な人間だったんだろう……!


 坂田さんと吉瀬さんをあえて引き裂き、恋の気持ちなんてない蒼井さんとくっつけようとしていたなんて、間抜けにもほどがあるではないか。


 ハンバーガーももう入らなくなるほどショックを受け、私は項垂れる。


「うそ……私何してきたんだろう……とにかく幸せになってほしかっただけなんだよ……」


「朱里は傍から見てるとほんと面白いキャラだよ。あんたの気持ちは分かったから、とにかく一旦さわやかくんとヒロインちゃんを無駄にくっつけようとするのは止めな。どっちかから頼まれたらやればいいんだよ」


「ごもっともです……」


「つーか、さわやかくんが好きなら普通に自分が頑張ればいいじゃん」


 彩は首を傾けて私にそう言うが、答えに詰まってしまう。


「なんかさあ……それは違う気がするっていうか。異動して早々他の人に目を付けられる私と、空気が読めて周りの人から愛されてる蒼井さんじゃ、あまりに合ってないし。向こうも私をそんな風に見てないよ。それに吉瀬さんから『蒼井さんには気になる相手がいる』って初日に聞かされたもん」


「初日、ねえ……」


 彩はぼんやりしながら呟く。私はあの日の事を思い出していた。


 四人だけの歓迎会を開いてくれた後、吉瀬さんに家まで送ってもらった。その時、彼は蒼井さんについてそう言っていたのだ。私はてっきり坂田さんの事だと思っていたが、違うとすればまた他に素敵な想い人がいるということ。


 私が恋を頑張るのは、違うよなあ。


 だが彩は引かなかった。真剣な眼差しで私をまっすぐ見つめる。


「でも、蒼井さんは朱里の勘違いされやすい事とかも全部分かってくれてるんでしょ。彼の好きな人が誰かは知らないけど、付き合ってるわけでもないんなら片思いくらい頑張って何が悪いの? 他のメンバーに睨まれてたって、蒼井さんが分かってくれていればいいじゃん」


 彩はいつでも正直で飾り気のない言葉をくれる。その言葉は、ストンと私の心に落ち着く。


 齧りかけのハンバーガーを見つめながら、心で思う。


 頑張ってみてもいいのかなあ。ああでも、相手に好きな人がいるのは痛い。痛いけど、素直に引き下がるのも辛いとは思う。


 黙り込んだ私を、彩は小さく笑った。


「とりあえず、たこ焼きでヒロインちゃんに探りを入れてみたら? んで、言えそうなら相談してみなよ」


「うん……」


「勘違いされやすい朱里が、すぐに友達出来て私は嬉しいよ」


 彩はどこかほっとしたような顔になり、再びハンバーガーにかぶりついた。彼女のたまに見せる優しさに表情を緩め、私もようやく食事を再開した。



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