第6話 お誘い


 その後、小さな雑用をこなしつつ時間を過ごしていると、ふとしたときに蒼井さんが戻ってきた。昼以降、姿を見ていなかったので、外に出ていたのだろうか。なお、隣の吉瀬さんの席もずっと空いたままだ。


 彼は私に一直線に近づき声を掛ける。


「あ、安西さん。今空いてる?」


「もちろんです!」


「もう少ししたら会議があるんだけど、その準備を見ておくのもいいかなと思って。付き合ってもらえるかな」


「あ、はい!」


 私は返事をして立ち上がり、蒼井さんについていく。近くにある会議室を利用するらしかった。


 彼は歩きながら心配そうに私の顔を覗き込む。


「初日だけど大丈夫? 唯人、ずっといないでしょう。困ったことがあれば言ってね」


「大丈夫です、みなさん優しいので!」


「ならよかった」


 親切な彼に感激しているところで、目的の場所に辿り着く。見るとその部屋の扉は開けっ放しになっており、中から人の声が聞こえた。女性二人と思しき声だった。蒼井さんがあれっと不思議そうにする。


「誰かが手伝ってくれてるのかも。もう準備終わっちゃったかもしれーー」


 そう言いかけたところで、中から聞こえてきた声に言葉が止まる。


「まじでさ、なくない?」


「うわーないわー。凄いぶりっ子っぽいよね。入ってきて早々、男に目を光らせてる感じばれてるっつーのね」


 入ってきて早々、という部分に、私も足を止める。扉の向こうから聞こえてくる声に聞き覚えがあった。さっき、私に注意してきたボブの人だ。


「メイクばっちりで高い声出してさー。でもああいうのって絶対本命にされないタイプだから」


「分かるー! 顔は可愛いから男はちやほやしがちだけど、そこ止まりだよね。んで本人気付いてないの」


「痛いよね。私頑張ってます! アピールっていうの? ほんと迷惑だわ、ああいう女は女に嫌われるよね」


「吉瀬さんが指導についてるから絶対気が利くアピールしてるんだって。仲いいから蒼井さんも声かけてあげてるけど、お前だけにじゃねーからー。吉瀬さんも蒼井さんも騙されないでほしいわ」


「あの二人は大丈夫でしょ、あんなのに手を出さなくても他にもっといい女寄ってくるから」


「あは、確かにー!」


「分からないことがあります~って吉瀬さんにやたら質問してたけど、めっちゃ簡単な内容で笑ったし」


「声かける理由がほしかったんでしょ」


 間違いなく自分のことを言われているんだ、と、なぜか冷静に言葉を聞いていた。


 ただ、そこまでショックは受けなかった。こうやって言われるのは今までも何度か経験してきた。自分が第一印象が良くないのは自覚している。でも、どう直していいのかも分からないし、わざわざ我慢して自分を変えるのも辛いのでこのままでいる。


 お菓子配ったの、そんなに鬱陶しかったかなあ。質問だって、簡単なことでもきちんと理解できるまで聞いた方がいいと思うんだけど……。


 大概、初めて会った人にはこんな風に思われていることが多い、らしい。アピールとかしているつもりは全くなく、自分に出来ることは頑張りたい、って思ってるだけなのだが、相手からすると違うように捉えられてしまう。


 初日からやっちまったか。


 そう一人で反省していると、隣の蒼井さんが凄い形相に変わったのが分かり、ぎょっとしてしまった。ずっと穏やかな笑顔で柔らかい雰囲気を持っていたのに、今は鋭い目で部屋の方を睨んでいる。普段穏やかな人が怒るときほど、怖いものはない。


 彼が足を踏み出したので、慌てて腕を掴んで止め、小声で言った。


「あの、大丈夫なんで!」


 だが、彼は止められたことが意外だったようだ。眉間に皺を寄せて私を見る。


「いや、大丈夫って」


「私、慣れてるんです。平気です」


 本心からそう言い、笑って見せた。陰口を叩かれるのも、その内容を聞くのも、初めてのことじゃない。多分、この見た目や自分の立ち振る舞いもよくないんだから。


 蒼井さんは驚いたように目を丸くしたあと、少し黙り込む。そしてずいっと私に顔を寄せると、低い声で真剣に言う。


「こんなことに慣れなくていい」


 その声色に、そして近くで見る綺麗な顔についどきりとした。


 本当に優しい人だなあ、と感心する。もめ事なんて誰だって起こしたくないだろうに、ちゃんと向き合おうとしてくれている。今日入ってきたばかりの私に、こんなに親切にしてくれるなんて。


 嬉しくなりふふっと笑うと、蒼井さんはまた目を丸くした。


「ありがとうございます。十分です」


 そう小さな声で言った後、私は部屋の向こうに聞こえるような大きな声を出した。


「あ、会議室ってこっちでよかったですか~蒼井さん!」


 それが聞こえたのか、中の声がぴたりと止んだ。そして、私はさも今来たとばかりに会議室へ飛び込む。中にはやはり、あのボブの女性と、もう一人ポニーテールにしている女性が驚いたようにこちらを見た。そして、なぜお前がここにいる、という不快な表情をあからさまに出した直後、私の後ろから蒼井さんが入ってくる。


「あ、蒼井さん!」


「お疲れさまです~今から機材のチェックするところで」


 蒼井さんの姿を見て、二人は高い声を上げてそう声を掛けた。


「ああ、ありがとう。続きはやるから、代わるよ。安西さんに準備を見てもらおうかと思って」


 ちらりと、二人が私を横目で見る。ボブが……いかん、髪型で呼ぼうとすると黒人男性が頭に浮かんでしまう。早く名前を覚えなくてはならない。まあいい、ボブが私に言う。


「あー私たち教えておきますよ」


「ううん、僕がやっておく。安西さんは凄く仕事熱心で、誰かに媚び売ったりしてるわけじゃなく本当に頑張ってるのが分かるので、教える方にも気合が入る」


 さらりと笑顔でそう言ったのを聞いて、二人は顔を強張らせる。私は、優しい雰囲気の蒼井さんが爽やかな顔で嫌味を言ったのに驚いた。さっきの会話を聞いていたからこそ、さらりとこんなことをいったのだろう。


 ボブたちは気まずくなったのか、そのままそそくさといなくなった。しまった、という顔をしていたので、自分たちの会話が聞かれていたことを後悔しているだろう。


「じゃあ安西さん。まあ、機材のチェックは説明もそんなにいらないと思うけど」


「あ、はい!」


 蒼井さんは淡々と準備をしていくので、私はとりあえず出来ることを少し手伝いながら見学させてもらっていると、手を動かしつつ蒼井さんは言う。


「ごめんね」


「え?」


「安西さんが穏便に済ませようとしてるのに、つい僕が口を出しちゃって」


 申し訳なさそうに言ったので、私はぶんぶんと首を強く振った。


「とんでもないです! 嬉しかったですよ。私、第一印象よくない自覚あるので慣れてますけど、こんな風に庇ってもらったの初めてで」


「第一印象そんなによくない? 全然分からないけど」


「友達曰く、私は『顔が派手で悪人役に向いてる』んですって。そこにばっちり化粧して髪まとめると、絵にかいたような嫌な女が誕生してしまうんですよね……それに、性格もこう大人しくないしちょっと調子に乗りやすいし……分かってるけど、でもおしゃれも好きだし仕事はバリバリ頑張りたいので、まあいっか、と」


 私がそう説明すると、蒼井さんは面喰ったように一瞬黙り込り、けれどすぐにぶっと吹き出した。目を細めてげらげら笑う。


「そんな風に自分の事言うかな普通? 面白いね」


「いやあ、笑い事じゃないレベルなんですけどね……損な役回りって言われます」


「そうなんだ。僕から見たらただ気合のある可愛い子にしか見えないけどね」


 さらりとそう言われてどきっとした。可愛い、って、言われるとやっぱり嬉しいし舞い上がっちゃうんだよな。


 蒼井さんはパソコンを操作しながら、少し眉尻を下げた。


「でも、損な役回りっていうのは僕も自覚してるところあって……普段からへらへらしてるからか、ここぞという時に決められないっていうかね。舐められることも多いし、もうちょっとしっかりしないといけないな、と思ってるんだけど」


 その発言に、昼に浮かんだ状況が脳裏に蘇り、ぐっと息を呑んだ。

 

 ここぞという時に決められない……やっぱりそれは、どこかでいつもヒーローキャラに負けてしまう、ということだろうか?


「ほら、吉瀬とかはその点うまいんだよね。普段不愛想だけど、決めるところは決めるっていうか……持ってるっていうか。時々羨ましくなるよ」


 ぐさっと言葉が心に刺さった気がした。分かる、凄く分かる……! 当て馬キャラ同士(失礼)私は彼の気持ちが痛いほどに分かる!


 例えば坂田さんみたいなヒロインは、自分の力でもちゃんと頑張りつつ、でもどこか放っておけないバランスが秀でていている。男がぐらっとくる点を押さえているのだ。それは吉瀬さんもそうで、普段不愛想だけどここぞという時は優しかったり頼りがいがあったりで、これまた女がぐらっとくる点を押さえているのだろう。


 でも、私から見れば蒼井さんも十分素敵すぎる男性だ。


「いや、蒼井さんはへらへらじゃなくてにこにこして場を和ませてるだけですから! それに、さっきのお二人に言ってくれたシーンはかっこよくてびしっと決まってましたよ! それはもう!」


 私が握りこぶしを作って言うと、彼はこちらを見てまた笑った。あ、この人、笑うと目じりに少し皺が出来るんだ。可愛い……なんて思ってしまう。


「ありがとう」


「こち、こちらこそです」


「同僚が失礼なことを言ったの、本当にごめんね。そうだ、今日夜空いてる? 歓迎会はまた今度あるけど、今日のお詫びに一足先にやらせて?」


 私の顔を覗き込み、こちらの様子を窺うように言ってきたので、その可愛さと優しさにまたもやぐっと来てしまう。女の陰口なんて、蒼井さんには何の責任もないのに、私が落ち込んでるだろうと思って励ましてくれているのだ……!


「嬉しいです、ありがとうございます!」


「よかった、じゃあ店を適当に予約してお」


「あ、坂田さんとか私から声を掛けてみてもいいですか? せっかくなのでもっと仲良くなりたいなーと」


 まだ坂田さんぐらいしかまともに話していないので、彼女がいてくれると心強いなと思ったのだ。他に誰が来るだろう? ボブは呼ばないだろう。


 ルンルン気分になる私の顔を、ちらりと蒼井さんが見てくる。なんだろう、ときょとんとするが、彼はすぐに笑って視線をそらした。


「そうだね。声かけて見て。僕も吉瀬に声かけてみるよ」


「あ、ありがとうございます!」


 来て早々、職場の人と食事に行けるだなんて。私は胸を躍らせて喜んだ。


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