第3話 顔面偏差値優秀部




 翌週になり、私は緊張しながら営業部へ足を運んでいた。体が重く、憂鬱なのは否めない。


 いくつになっても、初めてのことはドキドキする。手には荷物を抱え、何度目か分からないため息を漏らした。


 深呼吸を繰り返しがちがちになりながら自分を励ます。


 大丈夫、彩は向いてるって言ってくれてた。頑張ればきっとなじめるし仕事でも結果を出せるに違いない!


 ちらりと隣を見ると、ついに目的の場所へたどり着いたのを確認する。あーあ、やってきてしまった。もう逃げられない。


 ちらりと自分の姿を見て、両手に荷物を抱えたままで挨拶もなんだと思ったので、近くに一旦置いておく。第一印象は大事だもんね。っしゃああ、女は気合!


 ついに中へ足を踏み入れた。


 そこは人々が忙しく動き回っていた。私の存在など目に入らないようで、電話をしていたり何やら深刻そうに相談していたり、忙しそうだ。


 とりあえず端を通って上司のデスクへと向かう。近づいたところで私の存在に気がついたらしく、四十代半ばぐらいとみられる上司が笑顔で立ち上がった。


 私はしっかり背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。


「異動してきました、安西朱里と言います。よろしくお願いします」


 しっかりした声が出たのでほっとする。向こうは好意的な様子で話しかけてくる。


「ああ、今日からだったね。浅田です、よろしくお願いします。とりあえず簡単にみんなに紹介だけしておきましょう、少しするとみんな散ってしまうからね」

 

 そう言って浅田さんは大きな声で周りに呼びかけ、注目を集めた。人々の視線が私に集中し、緊張がなお増す。


「今日付けで異動した安西朱里さん。みんなよろしく」


「お願いします」


 私が頭を下げると、拍手が起こったのでほっとした。それなりに歓迎、されているらしい。


 顔を上げて見回してみると、優しい顔で見られていたので、なお安堵する。


「とりあえず……あ、吉瀬!」


 浅田さんがそう呼ぶと、一人の男性がつかつかと歩み寄ってくる。その人の顔を見上げて、心の中でおおっと歓声を上げた。


 こりゃ凄い、きりっとしたイケメン現る。


 黒髪に短髪、整った顔立ち。切れ長の目に薄めの唇。どこかスポーツマンを感じさせる爽やかさがあるが、やや不愛想にも見えた。身長も高くすらりとしている。


「分からないことはとりあえず吉瀬に聞いてください」


「あ、はい。よろしくお願いします!」


「吉瀬唯人です。じゃあ、とりあえず席」


 短い自己紹介をすると、さっさと席に向かって歩き出してしまったので慌てて追った。吉瀬さんの隣が私の席らしい。綺麗に整頓された彼のデスクの隣に、何もないすっきりしたデスクがある。


「荷物は?」


「あ、すぐそこに持ってきています」


「じゃあ、とりあえずそれを持ってきて」


 淡々と言う彼にやや面喰う。ぶっきらぼうだなあ、これで営業が勤まるんだろうか? まあ、私の指導を任されるのだから、仕事は出来るのか。


 先ほど置いた荷物をすぐに持ってきて、簡単にしまう。その間、吉瀬さんは無言でパソコンを操作していた。うーむ、イケメンなのにどこか掴めなくて、不愛想。


 すでに不安が付きまとう。指導係の人がこの人って、大丈夫かな……話しかけにくそう。


 整理し終え、吉瀬さんに声を掛ける。


「終わりました」


「これマニュアル。まずはこれに目を通すところから」


 そう言って、デスクの上にぼんっとファイルを置かれ、目をちかちかさせた。いや、マニュアルから読み込むのは正しい方法だ。だがなんというか、もうちょっとまずはお互い雑談をして馴れあうとか、そういうことはしないものか。


 だが、そんなことを言えるわけもなく、私は小さくなって座った。


「……はい、ありがとうございます」


 お礼を返し、しぶしぶファイルに手を伸ばす。


「こらこら、ちゃんと挨拶したの? しょっぱなからマニュアルだけ手渡したわけじゃないだろうね?」


 突如、背後から明るい声が聞こえてきたので振り返る。一人の男性が立っていたのだが、これまた顔面偏差値が高いので驚いた。もうこの営業部は顔面偏差値優秀部という名前にしたい。長いか。


 色素が薄めの髪色に、どこかあどけない顔立ち。ぱっちりした目を細め、にこりと人懐こい笑みで私を見ている。吉瀬さんとは真逆のタイプのイケメンだった。どちらかと言えば可愛い感じ。


 吉瀬さんは無表情のまま答える。


「まずはマニュアルを見るべきだろう」


「いや、入ってきたばっかりなんだよ? 不安なんだし、人に慣れるところから始めないと。ごめんなさい、こいつ仕事出来るし悪い奴じゃないけど、ちょっと不愛想で不器用でねー僕は吉瀬と同期の、蒼井斗真。よろしく!」


 蒼井さんは笑いながら言ったので、肩の力が抜ける。なんて明るくて話しやすそうな人だろう。私は頭を下げる。


「安西朱里です。分からないことだらけですが、よろしくお願いします」


「いや、うち結婚退職とか続いちゃって人手不足だったんですよ! 来てくれてよかった」


 あまりににこにこ笑うものだから、こちらの顔も緩んでしまう。なんていうんだろう、犬っぽい人だ。吉瀬さんがシェパードで、蒼井さんがゴールデンレトリバー……いや、ウェルシュコーギー? 決して彼が短足というわけではない、むしろ足は長いのだが、イメージ的にそんな感じなのだ。


 それになんだか、不思議と蒼井さんって初めて会った感じがしない。


「今度歓迎会するんで、楽しみにしててくださいね!」


「わ、ありがとうございます……!」


「ほら吉瀬、ちゃんと言葉を交わして。色々教えてやれよ」


 言われた吉瀬さんは頭をぼりぼりと掻いて困ったように眉を顰めた。その様子で、多分悪い人じゃないんだろうなと感じる。恐らく人と雑談を交わしたりするのが苦手なタイプなんだろう。


 そして、不器用なりに私にぽつぽつと話し出してくれたので、こちらの緊張も解けた。そんな様子を見た蒼井さんは、安心したように自席に戻っていったので、私は心の中でお礼を述べておいた。

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