第3話 遅刻できない淑女教育
翌日の朝。
パッチリと目を開けると、慌てて起き上がる。窓から差し込む光を確認すると、大体の時間がわかった。
「まずい、姉様の授業に遅れる……!」
クリスタ姉様によって行われる淑女教育だが、通常は一日の間に数時間ほど行っていた。しかし、デビュタントが近付くにつれ学習時間は増え、ついには朝から晩まで行うという地獄のようなスケジュールをこなしていた。
(まぁ、全ては呑み込みの悪い私のせい……自業自得なんだよな)
クリスタ姉様からすれば何度でもため息が吐きたくなるほど、出来の悪い妹だ。それでも姉様は文句の一つもこぼさず、私を淑女に磨き上げるために誰よりも真剣に向き合ってくれていた。
そんな姉の厚意を無駄にしたくないというのが本心だった。
(廊下は走るなとか言われてるけど、遅刻の方がまずい……!)
そもそもどうして走ってはいけないのか、未だに納得していない。急いでる時は走るだろう、普通。
クリスタ姉様の待つ部屋に到着すると、高速でノックをして入室した。
「すみません遅れました」
「……あら、アンジェ」
入室と同時に頭を下げて謝罪をかましたが、意外にもクリスタ姉様は怒っていなかった。そっと顔を上げれば、姉様はキョトンとした顔をしている。
「どうしたの、そんなに急いで」
「どうしたのって……姉様の授業を受けに」
不思議そうに私を見つめてくるが、同じような眼差しを私も姉様へと向けていた。
「驚いたわ。アンジェがそんなに意欲的だったなんて」
「意欲的、ですか?」
「えぇ。昨日帰りに行ったでしょう。今日は疲れたと思うから、明日はゆっくり休んでねと」
完全に忘れていた。
もう早起きが癖になっていて、足が自然にこの部屋まで向いてしまったのだ。
(……失敗した。今日はまだ寝ててよかったのか)
そうわかると、一気に気持ちが落ち込んだ。何だか損したような気がして、小さくため息まででてしまった。
「その様子を見ると間違えたみたいね。まぁせっかく起きたのなら、一つだけ授業をしましょうか」
「……お願いします」
気分は自室に戻りたかったが、頭は授業を受けるために冴えていた。眠気も吹っ飛んでいたので、姉様の言う通りせっかくなので今日も授業を聞くことにした。
本日の講義は座学ということなので、姉様と向かい合って座った。
「昨日のアンジェは、よくお淑やかに振る舞えていたと思うわ」
「ありがとうございます」
最初は意味不明だったお淑やかという言葉も、今では上品に似た言葉だと少しは理解できるまでに成長した。前世があったとはいえ、無縁だった言葉は知らないも同然なのだ。
「お淑やかに振る舞えるのなら、今度はそこに優雅さを加えてもいいわね」
「……ゆうが」
口に出してみるが、すぐにピンとは来なかった。
(ゆうが? もしかして唯我独尊のことか。それならわかるな)
前世でかなり好んでいた言葉だ。きっとそれに似たものなんだろう。
「そう、優雅。上品さを指すのがお淑やかなら、優雅もまた品のあることを意味するわ。だけど同じではないの」
「……何が違うんですか?」
「そうね、わかりやすく言うのなら美しさが加わる感じかしら。ただ品があるだけではなく、そこに雰囲気を加える感覚よ」
「……なるほど?」
うん、駄目だわからない。同じならばお淑やかだけでいいんじゃないかと、心の中で呟いた。わかったフリを取り敢えずしてみたが、いとも簡単にクリスタ姉様に見抜かれる。
「アンジェには難しかったみたいね」
「……すみません」
「いいのよ。私の説明も上手ではなかったから。……そうね、アンジェはアンジェらしく自信をもっていればいいわ。昨日の姿を見る限り、筋が凄くいいもの。萎縮せずに、背筋を伸ばしていなさい」
「自信を持てばいいんですね」
「えぇ。アンジェの場合、優雅に振る舞おうと考えるよりも、自然と身に付けられるものだと思うわ。そうすれば、きっと周囲を圧倒できるはずよ」
つまり優雅さは意識しなくてよいということだが、お淑やかさは意識しろということだろう。
(それにしても自信ってことは、やっぱり唯我独尊だな。自分を無敵だと思えばいいんだろ?)
クリスタ姉様は、周囲を圧倒できるはずだと言った。……圧倒するだけなら得意なのだが。
「圧倒……圧をかけるのなら得意です」
「……アンジェ。やっぱり聞かなかったことにして。ひとまずは昨日のままで十分よ」
自信を持って申し出れば、クリスタ姉様は反射的に拒否を示した。
「え? 圧を出すならできますよ」
「それは淑女らしくないから却下ね」
「そう、ですか……」
真っ向から否定されてしまったので少し落ち込むものの、クリスタ姉様は改めて昨日の振る舞いを褒めてくれた。取り敢えずは今のままでいいようだ。
優雅とは何か結局わからなかったが、今日の講義はこれで終了した。
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