やるべきこと②
「それで……考えたのですが」
がしゃがしゃと耳障りな音を立てて部屋の中に入る男から目を逸らし、リディアは自分が囮になってオーガストを炙り出す案を切り出そうとする。
「ああ」
「我々は本来の計画に立ち戻るべきではありませんか」
「……本来の?」
「はい。そもそも私と閣下が手を結んだのは、黒い羊の炙り出しのためです。閣下は私を犯人役に仕立ててオーガストの排除を計画した」
きっぱり告げれば、苛立たし気な舌打ちが返ってくる。
「確かにそうだが、それは君が襲われたことで不可能になっただろう? 依頼人に死なれては本末転倒だ」
そう告げるリアージュを、リディアは振り返った。
「ええ。ですが、オーガストは未だに諦めていません。今回の毒サソリも恐らく閣下を殺して──……」
そこでリディアは言葉を止めた。
彼がリディアの部屋で……着替えを始めていたからだ。
マントを取り、脱いだ甲冑を書き物机に置いていく。硬い素材の黒い丈の長いシャツと足にフィットした、伸縮性のあるスキニージーンズのようないで立ちの彼の姿に、リディアは喉から悲鳴が漏れそうになった。
それを大急ぎで怒声に変える。
「なんでここで着替えてるんですか!?」
それに彼は腹立たしいことに、「何を言ってるんだ?」という表情で肩を竦めた。
「君が甲冑だと痛いっていうから」
「それが何故今脱ぐことになるんです!?」
慌てて彼に背を向けて喚くと、後ろから腕が伸びて来て背後から抱きしめられる。耳元に吐息が触れた。
「こうしたいから」
(これだからイケメンはあああああああ)
眉間に皺を寄せて胸の内で絶叫する。腰に回った彼の腕を掴み、引き剥がそうとする。だが、面白がるように引き寄せられてリディはぎりぎりと歯噛みした。
「それで? オーガストによる俺の殺害が失敗した今、君はどうしたいって?」
くすくすと耳元で笑われて、リディアはお腹の奥がまたしてももにゃもにゃする。それを必死に誤魔化しながら、食いしばった歯の隙間から呪う様に訴えた。
「現在、公爵閣下はオーガストを探してらっしゃるのでしょう?」
「……ああ」
ふっと声が冷たくなる。ぎゅっと腰に回った腕に力が籠もるのを感じて、リディアは目を伏せた。
この様子だと奴は本当にうまく身を隠しているようだ。
「彼の所在がわからない限り、オルダリア騎士団は動けない。ならば、本来の目的に立ち返って、私が囮になればいいのです」
「駄目だ」
間髪入れずにリアージュが答えた。それに、リディアは苛立ちを飲み込む。
「閣下、私を黒の領地に連れてきた本来の目的をお忘れですか? オーガストをおびき出すためだとはっきり明言されたでしょう?」
「今さっき、俺も言ったはずだが? 依頼人に死なれては困る」
「死にません」
きっぱり告げて、リディアはその目を開くと真っ直ぐに前を見た。ゆっくりと息を吐き、再度彼に腕を外そうと試みる。だがそれよりも先に、リアージュが細い、リディアの首筋に頬を寄せた。
くすぐったくて思わず身体を引けば、彼の唇が肌に触れる。
「ちょ」
「何故そんな風に言い切る」
火傷しそうなほど熱い吐息が肌を掠め、くすぐったさがぞくぞくした震えに変わった。必死に混乱を押し隠しながら、リディアは視線を部屋の扉に定めたまま、上ずった声で答えた。
「閣下がそうやすやすと私を死なせるとは思えませんから」
その瞬間、リアージュがひゅっと息を吸い込むのがわかった。今度こそ、とリディアはやや力の抜けた腕を外し、彼の拘束から抜け出ようとする。だが男は腕を緩く組んだまま彼女を離さない。仕方なく、彼女が腕の中で半回転するとこちらを見下ろす薄明色の瞳を見上げた。
「それに、オーガストは私を殺せません。彼との結婚もまだですし、遺言状も書き換えてませんから」
ゆっくりと事実を噛んで含めるように告げると、見上げる先のリアージュがどこかが痛むような顔をした。
「それは……そうだが……」
「合理的に行きましょう。このままいたずらにオルダリア騎士団の戦力を遊ばせてはおけません」
不満そうに訓練をする騎士たちの姿を思い出したのか、リアージュが苦笑する。それからもう一度ぎゅっとリディアを抱き締めた。
「──……魔物との戦闘で俺は指揮をとらなくてはならない。君を直接は守れなくなる」
そんな真似はしたくないと、そう声音が訴えているが自分にできることをするのだと決意するリディアは変わらない。
「構いません」
「それだけじゃない」
低い声が呻くように告げリアージュがそっと顔を近寄せた。
「君は俺の婚約者だ。その君を……危険な目に合わせられない」
揺れる薄明の瞳に、少し意外に思いながらもリディアはきっぱりと告げた。
「オルダリア騎士団はお強いのでしょう? 彼らを信じてください」
その言葉に、リアージュはすっと目を細めると。
「……わかった」
言って、止める間もなくリディアの鎖骨に噛みつく。
「って、なにするんです!?」
慌てて身体を押し返そうとするが、硬い腕はリディアの背中を支えて動かない。やがて皮膚に鈍痛が走り、リディアは目を見張った。ゆっくりと男が顔を上げ、満足そうに笑った。
「首の後ろの痕は消え、頬の傷が消えそうだったからな。追加だ」
婚約式の時に首を噛まれた。あの痕だって隠すのが大変だったというのに!
「……リアージュ……」
低い、怨嗟の声がリディアの唇から漏れる。だがそれを気にするでもなく身を翻した男が重い甲冑を腕に抱えると大股で部屋を横切った。
「これくらい許せ。他の男に護らせるんだから、印くらいはつけておきたい」
「リアージュッ!」
「では、君を囮にする作戦を立案してくる。その間大人しくしているように」
扉の前で振り返ってにっこり笑う男に、リディアは地獄に落ちろと顔面だけで語りながら頷いた。そんなリディアをじっと見つめた後リアージュが去り、扉が閉まるのと同時にリディアは枕を投げつけた。
(全く! 何なのよあの男ッ!)
ぎりぎりと心の奥で歯噛みしながら、リディアは鼻息荒くベッドに腰を下ろす。目に付く位置に鏡があり、そこに映る自身の姿にリディアは息を呑んだ。
(……ほんと……何なのよ……)
あなたが愛するのはエトワールでリディアではない。それなのに、あんな真似をするなんて。
鏡に映る自分は、先程の冴えない美人ではもうない。ばったりとベッドに倒れ込み、そのままリディアは鎖骨の痕に手を添えた。
心なし熱いような気がして、声にならない声を上げるのであった。
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